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「?」
どこからか「だいっきらいじゃー」とい、声が聞こえた気がして、薫はびくんとおびえたように箸を止めた。
斎京楓と真衣ほか、クラスの女子を避けて(そうでないとまた化粧品など、薫の女装用に彼女たちが買い求めた『お試し品』の攻勢やら何やらが始まる)、校舎裏で食事をしていたのだが、どうもニファーリアのことをぼんやりと考えてしまう。
そこへ先ほどの「だいっきらいじゃー」という子供の声である。
シンクロしてしまうのは仕方のないところだ。
「……気にしすぎかなあ」
溜息が出る。
先ほどの「だいっきらいじゃー」が実はニファーリアの内心なのではないか、という過剰反応をしてしまうぐらい、少年は考え込んでいたのだ。
日の当たらない校舎裏、というロケーションも手伝ってか、どうにも考えが悪い方へと向かってしまう。
だから、自分の真上に現れた影にも気づかなかった。
「ここにいたのか」
どこかで聞いたような、くぐもった声がした。
上から。
見上げると、そこにはマントを悠然とたなびかせた仮面の騎士が浮かんでいる。
「あ、君は……」
「改めて礼を言いに来た」
そう言って、タイハンの「怪しい(ニファーリア談)」魔法騎士、サーシャはふわりと薫の前に降り立った。
「これは代価とは別の『気持ち』だ」
そう言って魔法騎士がマントから取り出したのは、コンビニ袋だ。
「いや、悪いよ、お代はこの前ちゃんともらったし」
「『気持ち』だと言っただろう?」
そう言って、サーシャは少年にコンビニ袋を押しつける。
「だから受け取れ」
有無を言わせぬ口調である。
「あ、うん」
となると本来から押しが強いタイプではない薫は弱い。
受け取って中身を見てみると、律儀にも薫がサーシャに与えたものと同じ中身のコンビニ弁当とペットボトルだった。
「これ自分で買ってきたの?」
思わず聞いてしまう。
「当たり前だ。
今朝ようやくこの世界の貨幣を手に入れたのでな」
コンビニのレジの前に、この異形の仮面とマントを着用した人物が並んでいる、というのは想像すればするほどちょっとしたコントである。
「ぷっ」
思わず薫は吹き出した。
「何がおかしい?」
「いや、さぞみんな驚いただろうな、って思って」
「まあ、確かに驚いていたようだな」
サーシャは平然としていた。
(うらやましいなあ)
ちょっとだけ薫はそう思う。
自分のやりたいようにやり、それを押し通せる強さは、今ひとつ自分に備わっていないものだからだ。
「でも、よくここが判ったね?」
「ああ、君の気配はちょっと変わっているからな、昨日の夜から探していたらすぐに見つかった……ここは学舎なのか?」
「うん」
「ずいぶんと人がいるものだな。
みな上流階級のものたちか?」
「いや、ウチは公立だから普通の一般市民……中流階級ばっかりだよ?」
「一般市民から中流階級までだと!
……それはすばらしいことだな!」
仮面の騎士は感慨深げに頷いた。
「身分の上下なく、学びたい者が学べるとは!」
「それ、普通じゃないの?」
薫は首を傾げた。
上流と中流という言葉の意味は中世やヨーロッパにおけるそれと、現代日本におけるのでは天地ほどに意味が違う。
たとえば、イギリスにおいては世界的大企業の社長ですら「中流階級」に分類される。
上流階級とは企業の枠の中にいるのではなく、枠の外にいるたとえば株主や役員などの「会社にいるという労働さえ一切しない」で財産を維持、あるいは増殖させることの出来る、十分な教育を受け、美術品や土地建物を所有し、文化事業にも携わり、その状態を三世代以上(あるいは百年以上)維持している血筋を指す。
さらに言えば、上流、中流、下流階級においては同じ英語でも微妙に違うものが使われていて、ミルクティーを入れる作法ですら違う。
むろん「教育」に至っては、二十世紀になるまで「上流階級」か「金持ちの中流階級」にのみ許された特権だったのだ。
「なるほど、君が礼儀をわきまえているのはそのためか」
うんうん、とサーシャは頷いた。
「では、ひとつ忠告しておこう」
楽しげな声に鋼の筋が通る。
「万が一にも、我が国タイハンのことには関わらないでくれ」
「え?」
「実は我が国はちょっと揺れているのだ……すぐに収まるがな。
だがそのとき、君たちにまで騒動の種を持ち込む者がいるかもしれん」
「騒動の種って?」
「具体的には判らん、『かもしれぬ』話だからな。
ともかく、そのときは断固として拒絶してくれ。
あるいは見て見ぬふりをしてくれてもかまわない。
無視するのが一番いいだろう……それが君と、君の仕える調停王女 のためでもある」
使われている単語の並びはひどく恫喝じみているが、声の響きは不思議なほどに真摯だった……本当にこちらを気遣っての言葉だが、他に言い方がないので、仕方なしにそうしているらしい。
「君は、いい奴だと思う」
溜息混じりに、サーシャは言った。
「私は出来れば君とは戦いたくない……戦えば、国交決闘の場でない限り、神の加護を必要としない分、私が絶対に勝つ……いや、君を殺す」
ゆらりと、マントの奥、腰に下がった真新しい細薄剣を見せながら、サーシャは断言する。
薫の武騎人、シャルロットが変化したものよりも刀身は薄く、
「私は私の主に命を捧げているのだ、主のためならば、私は君との知友を断たねばならないし、そのときは後悔も躊躇もしない」
「!」
仮面の下から、恐ろしいまでの殺気が押し寄せ、思わず少年は後じさる。
同時にその言葉は、ひどく薫にはまぶしく思えた。
自分を殺す、という気迫の裏に、その「主」のために戦う覚悟と決意が恐ろしく重く、固く……そして何よりもまっすぐなものだと判ったからだ。
それはひどく歪なのに、同時に清々しく思えた。
(僕は……)
それに比べると、自分が先ほどまで悶々と悩んでいたことはなんとみっともなく見えることか。
(そういえば、何のために戦うんだろ?)
前回のエストとの戦いの時は無我夢中だった。
その中で、ニファーリアの姿に惹かれ、彼女のためにと思ったのは事実だが、その思いの結果は今のところ宙ぶらりんのまま。
いや、もし仮に、あのハーフエルフの王女が思いを受け入れてくれたとしても、今の自分は人まで殺せるだろうか?
「では、警告はしたぞ、ソグディアナの戦神騎士」
マントが翻って一瞬薫の視界を覆うと、いつの間にかサーシャの姿は校舎裏からかき消えていた。
薫の祖母の手伝いは自分だけでいいとシャルロットは言い張ったのだが、ニファーリアに押し切られる形で、炊事はシャルロット、洗濯はニファーリアという分担になっている。
「……」
縁側に腰掛けたニファーリアは、ぼんやりと秋の空を見上げた。
薫の祖母の仕事を手伝って、干し終えた洗濯物が物干しに翻っている。
ひと仕事やり終えた小さな充足感。
どこからか風に飛ばされてきた紅葉が、ゆっくりと空を舞う。
「好みの相手が近くにいれば、恋愛感情を持つのは自然……」
今朝、斎京楓が言った言葉を口にする。
考えてみれば、当たり前の話だった。
つまり、薫が自分に「好きだ」と告白したのも自然な成り行きなのだ。
当たり前のこと。
そんなことさえ、自分は「実感」として忘れていたのだ。
「カオル、様……」
ぽつん、と呟く。
顔がほのかに赤くなっていることに、ニファーリアはまだ気づいていない。
「助かった……」
成田エクスプレスに乗り込んで、バルートはようやく安堵の溜息をついた。
座席に身を沈め、目を閉じる。
普段の薄っぺらな二枚目顔が、先ほどまでのひどい緊張を伴う精神的疲労のあとの安堵による弛緩で、ひどく老けて見えた。
「国がなくなった今、俺の信じられるのはこれだけだからな」
そう言って、食器回収用エレベーターシャフトで先に降ろしておいたブリーフケースを抱きしめる。
その中には、異世界の祖国からこの世界にやってくるときに与えられたすべての資産が納められているのだ。
呆れたことに、この青年貴族は、最初の知らせが入ったその日のうちに、密かに回して東欧某国のパスポートまで手に入れていた。
飛行機のチケットは成田で購入すればいい。
そんな行き当たりばったりのをするだけの金はあるのだから。
「どうせ貴族には戻れないんだ、好きにやらせてもらうさ」
そう誰にともなくうそぶいて、彼は目を閉じた。
「あばよ、殿下、エスト。
おまえさん達は美人だが、俺の好みじゃないんだ」
薄い唇が皮肉にゆがむ。
もともとニファーリアの身の回りに関する雑事一切を引き受けていたせいもあって、この世界の買い物にいち早く慣れたのはシャルロットのほうであった。
だからタイムセールが始まり、レジが混み始める直前に買い物を済ませるという知恵も出る。
「今日は魚料理だが……煮るのか焼くのか、材料表だけではさっぱりわからんな」
スーパーから出ると、ちらりと念のために視線を落とし、素早く買い物かごの中身をもう一度点険しながらシャルロットは呟いた。
かごの中身はいつもより少ない。
薫の祖父母は今朝から古い友人たちと一緒に湯治旅行へ出かけている。
だから、今日の料理は薫の祖母が残していったメモ帳を元にした料理を、シャルロットと薫が作ることになる。
豊富に新鮮な肉や魚、野菜類はもちろん、火と水と油が使えるこの世界では、料理はかなり贅沢に楽しめる作業となっていた。
「煮込みものがメインだと楽で良いのだが『らじお』も聴けるし」
テレビをはじめとする映像装置はシャルロットにとってまだついて行くのが辛いほどの情報量であるが、音を主体とするラジオは、目を使わなくて済む分、かなり好みの媒体だった。
特に薫の家では若者向けのFM放送ではなく、働く人や老人向けの番組が多いAM局に周波数を合わせてあるので、流れる曲もクラッシックや、新しくても八十年代の歌謡曲が多い。
それは物語に節をつけた吟遊詩人の歌に慣れ親しんだシャルロットにとっては受け入れやすくもある。
「まあ、騎士殿にお任せするしかないか」.
と呟いたその足が商店街の雑踏の中、止まった。
「……!」
いつの間にか、シャルロットの目の前には、姉……アドネの姿がある。
「姉上……いや、アドネ、何の用だ?」
「戦うつもりはない」
穏やかな口調でアドネは言い、サングラスを外すと執事服の胸ポケットに納めた。
驚くほどシャルロットと似た目もとが、まっすぐにこちらを見つめる。
「我が騎士殿のお仕えするシムト殿下から、そちらのニファーリア様に、お伝えして欲しいことがある」
「……聞こう」
「話し合いを申し込みたい」
「果たし合いではなく、か?」
「そうだ話し合いだ。
なるべく早く、出来れば明日にでも。
時間と場所はそちらの指定通りに、決まったら、ここへ連絡を入れてくれ」
そう言って、アドネはどこからともなく取り出したを妹へ差し出した。
慎重に、用心深くそれを受け取る。
「私の携帯電話の番号と、ホテルの電話番号とルームナンバーだ。
都合のいい方へかけてくれ、私が出る」
「何を話し合うつもりだ?」
「……」
一瞬アドネはためらい、しかし意を決したように再び口を開いた。
「亡命だ」




