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「んー、快眠快眠」
ベッドの上でエストは、大きくのびをした。
普段のイメージに似合わず、眠るときのエストはぶかぶかのガウンのままだ。
この時間までぐっすり眠れるのは久々のような気がする。
「おはようございます、エスト様」
すかさず、寝室のドアを静かに開けて、アドネがワゴンに載った紅茶とトーストの朝食を運んできた。
まずはその前に、トレイに乗せた蒸しタオルを広げて手渡す。
「ん」
鷹揚に頷いて、エストは熱いタオルで顔を拭くと紅茶をわずかに口に含み、香りを楽しんでから飲み干した。
口を薄く開けて息を吐きつつ、喉を滑る紅茶の香りを楽しむ。
「生きてる、って気がするねえ」
「……」
無言で微笑みながら、アドネはトーストとベーコンエッグの乗った皿と、野菜スティックの入ったコップをベッドテーブルの上に配置する。
「で、殿下は?」
「明け方まで寝付けないご様子でしたが、今は」
「そうかい」
ふっと溜息に似たものをつきながら、エストはにんじんの野菜スティックを一本取って囓る。
「まあ、急転直下というのもはばかられるぐらいの流転ぶりだものねえ」
国がクーデターでなくなり、兄が死んだと聞かされたと思ったら、実はその兄がクーデターの首魁で失われた王族の名を名乗り、しかも自分はこの世界においては生存を許されるものの、実質は追放……普通の王族の人生では最初の一項目だけでも大事件である。
「覚悟を決められた、というよりも肉体の疲労が先に来た、とお見受けいたしますが」
「まだいいほうさ」
にんじんを食べ終えたエストは次にセロリのスティックに、小皿にとってあるサラダドレッシングを少量つけながら続けた。
「心労が身体を壊し始めたら薬を使っても眠れなくなるからね……まあ、大事な家族が死んでいる、と聞かされるよりも、大逆人としても生きているほうがマシってもんさ」
自分の家族のことは言わず、エストは食事を続ける。
「そういえばバルートの阿呆は?」
「さあ?
そういえば先ほどルームサービスをお取りになった後、『外の空気を吸ってくる』とお出かけになられましたが」
二秒ほど、エストは首を傾げていたが、
「アドネ、しくじったね」
ぽつん、と言うと食事を中断し、ベッドから下りた。
「は?」
「あいつ、逃げたよ!」
厳しい顔で言いながら部屋を出る。
そのまま廊下を突っ切って、このフロアの奥、シムトの部屋の手前にあるバルートの部屋のドアを蹴り破るようにして開ける。
異様に整頓された部屋。
シムトの部屋にあるのと同じく紫檀だが、サイズがふた回りは小さい机の上に、白い封筒があった。
「辞職願」とエストたちの言葉で書かれている。
「ちくしょう!」
だん、とエストは壁を叩いた。
「しかし、バルート様は手ぶらで……」
後を追ってきたアドネへ、
「荷物はアレで送ったんだよ」
赤毛の美女はそう言って顎をしゃくった。
壁の柱と一体化した食器運搬用のエレベーター。
この階で唯一、事務仕事をすることになっていたバルートの部屋にだけ割り当てられているシステムだ。
「どれくらい前だい?」
「一時間ほど前になります。
しかし……」
「判らないのかい?
あたしたちの財布は、あの馬鹿が握ってるんだよ!」
「!」
エストはそう言って、バルートの机の後ろにある壁の大きな絵をずらした。
個人用の金庫がある。
ハンドルをひねるとあっさり開いた。
中身は空。
「フロントに電話!
あの屑野郎がシムト様の貴金属にまで手を出してないか、調べておいで!」
「は、はいっ!」
慌ててアドネが飛び出していく。
「ちきしょうめ……やっぱりクーデターが判ったときにぶち殺しておくべきだったねえ」
苦々しげにエストは呟いた。
「最悪、このホテルの宿代まで解約して持ち逃げしてるね、あれは」
苦労してきた過去が、こういう場合はたやすく最悪の事態とその対応を組み立てさせる。
「とりあえず、今月分はあたしの手持ちで何とかするとして……下手をすると、この世界で飢え死に、ってことになりかねないよ、これは」
溜息が出る。
父といい、バルートといい、あの貧民街にいた連中といい、エストの人生において、男というものは、最後は腰が抜けて逃げ出す存在ばかりだ。
「男ってのは」
一瞬、自分の喉元に剣を突き出している美少年の顔が浮かんだ。
(あの子は違うのかねえ?)
自分を打ち負かし、そして完全な勝利ではなく、哀しそうに降伏することを「求めた」相手。
ぼけっとそう思ってしまう。
「な、何考えてんだ、あたしは!」
ぶるぶると頭を振った。
「そうだ、縫いぐるみ分が足りないんだよ、うん……後で屋根裏へ行こう、うん」
拳を握りしめてしきりに頷く。
そんな外のドタバタぶりからは隔絶された自室の中で、シムトはぼんやりと机の上に設置された液晶モニターの画面を見ていた。
アドネが睡眠を確認したすぐ後に目が覚めているので、実質はウトウトした程度で、時間もほんの数十分というところか。
シムトも打つ手がないまま無駄に体力を消耗することが無意味だとは知っている。
だから一度寝て、頭を休めてから考えようとはしたのだ。
が、眠れなかった。
寝付けるはずもなかった。
このモニターの表示内容を見れば。
そこにはつい数十分前に帰国した、カスティア王国の調停王女、メルウェからのEメールが表示されている。
彼女はシムトに望まれるがままに、最後の情報提供を行ってくれていた。
カスティアが入手した、今回の内乱の被害状況を、数字にまとめた物だ。
首都の三分の一が焼失、二万人の市民が家を失い、皇帝の近衛兵を含め、三千四百人の兵が負傷、あるいは捕らえられた。
王都にいた貴族の四分の三は国外へ脱出、もしくは自分の領地へと逃げ帰った。
王族はことごとく捕らえられて投獄、大臣クラスの者は皆、処刑を待っている。
その数およそ千四百人前後。
内乱としては少なすぎるほどの数だ、と判ってはいても、シムトには衝撃的な報告だった。
「なぜです……兄上……なぜ……」
シムトは昨日以来、無限に近い数繰り返していた言葉を再び口にし、シムトは机に突っ伏すと、自分の髪の毛をくしゃくしゃとかき回した。
「なぜ……こんなことを」
うめき声は、この少女の悲鳴でもあった。
槍を杖の代わりにして、ずるずると小さな影が裏路地を歩く。
戦乙女である。
が、ずいぶんと縮んでいた。
今の彼女の身長は大体四十センチ程度。
槍も杖にするのに最適なほどに細く短くディフォルメされている。
手足も小さく、短くなり、鎧や顔のディティールもずいぶん減って、今や縫いぐるみのような外見。
かつての颯爽とした姿は今や見る影もないが、これはこれで女子には受けそうな可愛らしさだ。
鎧はベコボコに凹み、薄汚れているのはいただけないが。
「あう……うー」
何とも情けない声をあげつつ、ヴァルキリーはのたのたと裏路地を行く。
「腹がへったあ」
使う言葉も舌足らずになっている。
風が吹いた。
「あ……」
惚けた声をあげたのも道理、風に乗って流れてきたのは、強烈に食欲をそそる、中華の豆板醤と肉、ネギの焦げるかすかな匂い。
「ほえ……」
とててて、と、杖代わりの槍を使うことも忘れたのか、小さくなったヴァルキリーは食の香りに誘われるがままに歩いていく。
やがて、中華料理店の裏口にたどり着いた。
「なんたるよいにほいー」
厨房の換気扇から漏れる匂いに誘われて、ヴァルキリーは今や自分の身長より巨大なゴミバケツの上へぱたぱたと羽ばたいた。
「このかほりははたしてなんであろうかのー」
空腹のレベルがある一点を通り越した者に特有の暢気な口調で言いながら、縫いぐるみな外見になったヴァルキリーはさらに飛び上がろうとしたが、今度は羽は弱々しく動いただけで、空中に舞い上がるつもりだった二頭身はそのままコテンと倒れた。
そのまま動かなくなる。
「……あう……だめじゃ……うごけぬぅ……」
ぐらりとバランスが崩れ、ポリパケツがひっくり返った。
「わ!」
どたがたがらららん。
中身を頭からかぶり、わたわたとヴァルキリーは伏せられたポリバケツから這い出てくる。
「ああ、なんとなさけないことであろーか……われはいくさがみのむすめだというに、かかるすがたとありさまになろうとわ」
がっくりとうなだれる。
がるるる。
犬のうなり声。
「?」
ゆっくりと首を巡らせると、野良犬が一匹、ヴァルキリー相手に牙をむいている。
栄養がいいのか、やたらと体格のいい、グレートデンがメインの血筋の雑種。
「?」
しばらく、残飯まみれになったヴァルキリーは、首を傾げ、その犬と見つめ合った。
犬にとってここが「縄張り」であり、「餌」の入ったポリバケツをひっくり返して中身にまみれた自分が、「縄張りを荒らすもの」であるという自覚……がヴァルキリーに理解されるよりも早く。
犬が吠えた。
都会とはいえ野良犬の人生は厳しい。
たとえ一グラムでも、無関係な存在にくれてやる理由にはならないのだ。
「わーっ!」
さっきまでのフラフラぶりが嘘のように襲いかかってくる犬を右に左にかわし、ちびのヴァルキリーはトタタタと走り出した。
脳の配線が壊れたように吠えながら犬が追う。
「こ、こんなせかい、だいっきらいじゃー!」
小さなヴァルキリーの叫び声は路地に長々と響いた。




