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「……はぁ」
昼休み。
薫は溜息をついて机に突っ伏した。
何とか家から逃げ出して学校に来たものの、この調子だと帰ればまたシャルロットの銃口が待ち受けているのは間違いない。
(第一、返事さえもらってないのになんでこんなめに合わなくちゃならないんだ)
とはいえ、後ろめたいのはまた事実。
「どうしたのどうしたの、ヒーローがそんなんじゃあ、これからいろいろと大変なんでないの?」
「誰のせいだと思ってます?」
「さあ?」
本気で楓は首をひねっていた。
「……聞いた僕が馬鹿でした」
「なんか私が悪い人みたいじゃないのー」
(ここまで無自覚だといっそ尊敬に値するかも)
嫌悪とか呆れとかを通り越した「なにか」を薫は見上げる。
「まあ、冷酷非情ってんならわかるけど」
「……自覚はあるんだね」
「ま、んなこたぁどーでもいいけどね、薫君、で、どうなのよ?
まさかニファーリアと本当に……」
「ば、ばか言わないでよ!
そんなに進展してるならもっとその……」
ニファーリアとの仲が進展していれば、本当に自分は何をしているんだろう、と薫は思った。
哀しいかな、失恋しかしたことない身では、リアリティを持って、という条件をつけてしまうと何も思い浮かばない。
まして、異世界の王女様なのである。
デートしようにもどこへ連れて行けばいいのか判らないし、手を握るにしてもどのタイミングかはさっぱりだ。
(まして……まして……その先は)
その瞬間、よせばいいのに、以前自分を女だと思って風呂場に入ってきたニファーリアとシャルロット、ふたりの裸体が脳裏に克明に再生された。
ぷぱっ。
生暖かい物が鼻腔から流れ出すのを感じて、慌てて薫は鼻筋から口元にかけてを押さえ込み、教室から駆けだした。
「?」
楓は少し首を傾げたが、すぐに廊下に点々と落ちている赤黒い液体に気づいた。
「まずいわね」
顔をしかめて、細い顎に手を当てる。
「こりまま異性愛に向かわれると困るのよね。
あくまでもリアリティ重視で行きたいし、せっかくあれだけの美少年だし」
「ねえ、楓ちゃん」
購買部でパンを買った滝沢真衣がふらりと戻ってきた。
「いっそのこと、ニファーリアさんに頼んで、楓ちゃんが男の子になって恋愛してみたらどう?」
「……」
かちかちかち、と、機械人形のように楓は真衣の方を向いた。
「真衣……」
眼鏡がきらりと輝く。
「あなた、天才だわ」
がっし、と真衣の手を握る。
「あわわ」
危うく買ったばかりで暖かい、昼の購買部最大の攻防対象になる「レッドバロンチーズロール(減塩スパム入り)×4」を何とか左手に移すことで死守しながら、真衣は「そうかしら?」と楓を見る。
「そうよ、それよ!
考えてみればリアリティの極みは実体験!
殺人と懲役刑になる犯罪行為意外ならやってみないとね!」
楓の目は燃えている。
いや、それはちょいと考えものなのでは? とブレーキを踏む人間は、 この瞬間、嘆かわしいことにこ暴走腐女子の周囲にはいなかった。
「そうよ、自ら!」
楓はぐいっと拳を握りしめ、立ち上がる。
「そうよ、その手があったわ!
状況がなければ作る!
フレデリック・フォーサイスが『ジャッカルの日』で得た印税をつぎ込んで赤道ギニア共和国でクーデターを起こそうとしたがごとく!
クライブ・カッスラーが『タイタニックを引き揚げろ』の印税をつぎ込んでホントに海底のタイタニックを見つけたがごとく!」
ちなみにどちらも一生食えてなおかつ余りまくりの金を稼いでの道楽な上に、フォーサイスは結局失敗し、カッスラーの作品の質はそのあたりから……、と評判になっている、などという話はさておき。
「僕の意志はなし?」
ティッシュで鼻を覆い、さらにその上にあまりにも人気がないのでいつもキンキンに冷えている「ブラックバージンチェリーコーク」の缶を当てながら戻ってきた薫がジト目で言うが。
「なし!」
と楓は即座に却下した。
「そうよ、世界はショウ!
ショウほどすてきな商売イコール作家家業!
世界はすべてキーボードの上で踊る!
踊る大ニューヨーク!」
「……弁当買ってこよ」
「ノリが悪いわねえ」
「良くなる理由がありません」
言い切って薫は教室を再び出た。
溜息が出る。
「……ファリイ、どう思ってるのかなぁ」
たまらなく、城崎薫は孤独であった。
「……まさか、本当はシャルロットと同じで、女の子のほう……」
馬鹿なことを、と判っていても、そんなことを考えてしまう。
「!」
ソファーでまどろんでいたエストが立ち上がり、部屋の外……エレベーターに続く廊下へ出つつ、腰から鞭を抜いた。
いつものありきたりの品ではなく、持ち手の端に、複雑な文様の描かれた金属部分がはめ込まれた特別品だった。
「エスト様」
仮眠を取っていたはずのアドネが、いつものように執事服で傍らにいる。
「来たね……」
じり、とエストは廊下の真ん中に仁王立ちになった。
アドネは半歩下がって半身になって懐に手を入れる。
エレベーターの階数表示がゆっくりとあがってくるのが見えた。
この最上階はタイハンの一行がすべて貸し切りだから、思い切ったことが出来る。
破壊も含めた、という意味だ。
「やれやれ、これで生活が安定する、って思ってたんだがねえ」
苦笑するエストヘ、
「何事にもマイナス面はございますから」
と静かにアドネが微笑む。
「シムト閣下は?」
「まだ自室です。
お知らせしますか?」
「あの人はそれほどボンクラじゃないよ。
気づいてもなお、何もしない、ってんなら、そう決めた、ってこったろ。
あたしらはここで役割を果たすだけさね」
「はい」
珍しく、アドネの声に尊敬とい名の感情が交じる。
そんな会話が途切れたとき、階数表示がこの部屋を意味する最上階の数字で止まった。
扉が開く。
思いっきり踏み込みながら、エストが手首をひねるようにして鞭を打ち込む。
握りにはめ込まれた金属の輪から、戦神の「祝福」が鞭全体を覆い、攻撃方向へ収束されながら、革を寄り合わせた鞭の先端を開き、いくつもに分岐した「柔らかい槍」となって相手に殺到する。
まばゆい青の閃光がエレベータールームの中から放たれて、廊下全体を染め上げる中、アドネの手が懐から出て、フィンランドのかつての制式銃そっくりなオートマチックの引き金を引く。
堅い金属音。
ほんの一瞬、ただし当人たちにとっては数十秒にも思える時間が過ぎ、エストは鞭を引きながら大きく後ろへ飛んだ。
再びの一撃を繰り出そうと構える。
その間に、エレベーター内の客は、悠然と廊下に歩み出た。
二枚のマントが翻る。
「いい獲物ですね。
ヴァルチルードの祝福武器ですか」
温厚そうな、大地母神か神か調停神の神官でもつとまりそうな、細い目の青年が言った。
「ですが、我々には無意味だ」
くぐもった声で言ったのは、その傍らにひっそりと立つ、鳥のくちばしを逆にしたような、流線型のデザインをした鉄の仮面をかぶった少年。
「魔法騎士……」
エストが相手の正体を察して歯の隙間から押し出すように呟いた。
「そうです。
そして、この戦いそのものが無意味です」
そう言って、細い目の魔法騎士は言った。
「私はヴァリアルド、彼はサーシャ。
我々は戦いに来たのではありません。
ある伝言をお伝えに来ただけどうぞ、シムト殿下にお取り次ぎのほどを」
ふさぎ込み、落ち込んでいたにも関わらず、シムトの服装には一点の乱れもなかったし、髪の毛にしてもいつものように丁寧に手入れされていた。
唯一、この調停王子(実際には少女だが)の外見にその痕跡を認めるとしたら、それは目の下の隈だろう。
そして、取り乱すこともなく、エストたちの案内によって現れた魔法騎士を前に、堂々と、そして力み返ることもなく、「いつものように」対応した。
執務室へ彼らを招き入れ、ソファーを勧める。
エストとアドネはシムトの背後で、いつでも動けるように立った。
「いえ、我らはこのままで」
とヴァリアルドは辞退し、サーシャもそれに倣った。
「安心したまえ、腰掛けようが寝ていようが、魔法騎士不意討ちは無駄だということは知っている」
シムトの口元に薄い皮肉の笑みが浮かぶ。
「いえ」
ヴァリアルドの顔には、軽侮の色はなかった。
敬虔な神官のごとく、静謐さと誠実さのみがある。
「王族の方の御前では立つのが家臣の法です」
「私をまだ王族と呼ばれるのか?」
シムトの所属する古い王族を打ち倒した者たちだというのに、彼らのたたずまいと振る舞いは、言葉の通り、主に対する家臣のそれだった。
「はい。
我らはダリアム様の命によってここへ参りましたので」
数秒、シムトの顔から表情が剥落した。
エストとアドネも顔を見合わせる。
「兄上が生きてる?」
呆然と、シムトの口が動く。
「はい。
それだけではありません。
あなたの兄上ダリアム様こそ改名なされ、今のタイハンの国王にして、正当なる後継者、ラシューム・ジャルマー・タイハン二世陛下であらせられます」
ヴァリアルドはそう静かに告げ、微笑んだ。
「そんな……馬鹿な」
「ダリアム様のお母上様は、平民に身をやつしはしたものの、タイハン王家の正統、ラシューム『月光王』・ジャルマー・タイハン一世様の御血筋を引かれるお方だったのです」
信じられる、られないの話ではなかった。
タイハン王家の始祖、ラシューム・ジャルマー・タイハンの血筋は五代目にあたるメルヒス「愚劣王」・ジャルマー・タイハン二世の一族郎党を巻き込んだ「大自殺(毒殺とも言われる)」によって一度途絶え、百年以上の内乱の後、傍流であったアルスタシオ「再生王」・レフ・タイハン一世によって引き継がれ、本流宗家を名乗ることとなった。
以後、二百年、詐欺師の一部が起こした騙りの事件を除き、ジャルマー・タイハンの名を持つ王や、その子弟が歴史に登場したことはない。
どう考えてもダリアムが正統の血筋を持っていると言い出して内乱を起こすには無理がありすぎた。
客観的に見ればである。
現実は違う。
真実であろうがなかろうが、それはもう「こと」が行われた以上「事実」となる。
「そんな……」
「これを」
そう言って差し出された封筒を、シムトは震える指先で受け取る。
封蝋の紋章は見覚えがなかった。
ペーパーナイフで封を切る。
厚みのある書紙には紋章による浮き彫りがなされている。
それだけがいつもの王宮のものなのは、紋章が王国ではなく、兄自身に与えられたものだからろう。
「……」
目を通した。
〈シムトへ
私は生きている。
唐突なことで驚いているだろうが、真相はこの手紙を託したヴァリアルドの言うとおりだ。
私の血筋は滅ぼされた王家の正当たる継承者ラシュームのものだ。
だが、これを振りかざすつもりはなかった。
良き王国、良き政事がなされていれば、一生それを秘して生きていくつもりだった。
が、この国はそれを許さなかった。
そして、私を殺そうとした。
このたびのことは私が正当な血を引くから、ではない。
このままでは抹殺される故に立ったのだ。
私はこの国を一度滅ぼし、そこからまた立ち上げ直す。
愚かな王として私は名を刻むのか、それとも魔王と恐れられるのかは知らない。
だが、最後に兄として、妹であるお前にだけは人がましいことをさせてほしい。
幸い、お前は調停王子だ。
そして性別を偽っていたという事実がある。
だから、私はお前をこの世界に永久追放する。
帰ってくるな。
お前と、私の人らしい思い出のためにも。
直接出向いてお前に言いたかったが、それを許さぬ事態が続いている。
許して欲しい。
生きてくれ。
愛する妹へ〉
そして、兄の署名がしてあった。
何度も読み返す。
魔法による真贋の判定など、必要なかった。
ダリアムとシムトは、ともに母が庶民の出であった故、「都合良く使い、切り捨てられる下賤の者」として政争渦巻く王宮において常に危険にさらされていた。
だから万が一に備え「無理矢理書かされた」時の合図を、シムトと兄は決めてある。
魔法にかけられて書かされたときにも発動する「癖」だ。
だから判る。
これは本物だ。
手が震えた。
何があったのか。
あの温厚で善良な兄が、都を焼き、兵を殺し、血族を皆殺しにしたという。
そして、王座を奪ったと。
嘘としか思えなかった。
だが、どうやらそれは本当のことらしい。
「我々は急ぎません」
ヴァリアルドは目に同情の色を微かに浮かべて呟いた。
「これまで支払われ、あるいは預けられていた国交決闘における費用の残りのうち、半分はそちらへ、半分は新たなる王のためにお返し願いましょう。
書類の提出は結構、引き渡し書類にサインをいただければ」
つまりそれは「どこまでが残った半分」としようとそちらの自由、という謎かけでもあったが、シムトにそれと気づく余裕はない。
「では、明日にもまた参りますよろしいですか?」
「あ、ああ……か、かまわぬ」
呆然としているシムトに一礼し、温厚な青年騎士は踵を返した。
ドアが閉まる。
シムトはよろめいて、机に手を突いた。
「そんな……兄上が大逆の……首謀者なんて……」
兄が生きていた喜びと、彼が自分の所属する社会すべてを抹殺した国家的犯罪者であるという事実。
感情をどちらにシフトさせればいいのか、シムトはただ迷い、混乱していた。




