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「お……おのれぇええ」
毒づく声も弱々しい。
戦乙女のアルテリアーは、ようやく日本にたどり着いた。
姿形はずいぶんとまた変化しているというより、若返り、小型化している。
今の彼女の姿は十代前半……どう見ても十二歳より上には見えない。
しかも、鎧も羽もボロボロだ。
「物騒な花火をありったけ撃ち込みおって……死ぬかと思ったわ」
普通、空対空ミサイルを数百発擊ち込まれれば死ぬの生きるの以前の問題であるが、そこはやはり神の使いであろうか。
「と、とにかく、早くソグディアナの調停王女のいるところへたどり着かねば……で、ここはいったいどこ?」
槍を杖代わりにすがりつき、きよろきよろと周囲を見回す。
何もない、だだっ広い場所である。
足下にアスファルトで舗装された道路があるからかろうじて文明圏にいるのは理解できる。
しばらくノテノテとあてどなく歩くと、道路標識が見えた。
「国道四十号線、天塩川まで十キロ……?
何のことじゃ?」
文字は読めても、この世界のことはいまいちよくわからない神の使いは、そう呟いて首を傾げた。
その横を、異様に冷たい風が吹き抜ける。
「うう……なんと情けない……」
半泣きになりながらも、ヴァルキリーは頑張って歩く。
と、その後ろからど派手なエンジンの音と地響きを立てて、大型トレーラーがやってきた。
「?」
とりあえず、脇にどくと、トレーラーは集団で、十台以上連なってやってくる。
「わっ」
よほど急いでいるのか、ドライバーがそうすれば相手がよけてくれると信じているのか、警笛をやたらに鳴らしまくり、土埃をあげながらトラックはヴァルキリーの横をすり抜けていく。
風圧に、十代前半の少女の身体にまでレベルダウンし、しかも疲労困憊したヴァルキリーの足下が乱れた。
「わわっ!」
バランスを保とうと、杖代わりの槍を手近な壁に突き刺す。
いや……壁なんかない。
そこにあるのは壁のごとく怒涛の地響きを立てて移動するトラックのコンテナ。
ぐい、という感触よりも先につま先が宙に浮いた。
「のわーっ!」
慌てて槍にしがみついたが、身体はそのままふわりと浮いて、トラックに引っ張られる。
台風の中、うっかり物干し竿に通したままのシャツみたいな状況である。
しかもタイミングが良かったのか悪かったのか、やつぱり神の武器故か、槍は深々とコンテナの側面に突き刺さり、抜ける気配が皆無だ。
また、猛スピードで疾走しているので足を踏ん張る余裕もないし、このスピードでは引っこ抜いたとたんに地面に転がって偉いことになる。
「こんな世界、大っ嫌いじゃああああああっ!」
ヴァルキリーの絶叫が、北海道の大地にこだました。
地上げにより、廃墟と化した教会が、彼らの仮の宿となった。
重力によってすっかり色が流れ落ちたステンドグラスから差し込む日差し、初歩的な「清浄」の魔法で埃や汚れは消え去り、債権者が何もかも持ち出した教会の中はまるで作り物のような美しい抜け殻をさらしていた。
「神の廃墟で我らが一夜を明かす。
私好みの皮肉だな」
仮面の騎士、サーシャはそう言って喉の奥で笑う。
「君が私に合わせてくれるとは意外だ」
ヴァリアルドはそう言って口をへの字に曲げた。
「寝室がふたつあって、人目につかない、なおかつ金を使わないで済む場所がここしか見つからなかっただけだ。
同衾するわけにはいかないからね」
「妻子持ちはお堅いことだ」
「笑わないでいただきたいものだなサーシャ。
君とてあのお方以外の手が触れることをよしとはしないくせに」
ちくりとした皮肉を込めてのヴァリアルドの言葉にも、仮面の騎士は平然と、
「まあ、当然だ……だが、別に男女問わず貞操に意味があるとは思っておらんよ」
すっかり回復したサーシャの身体のラインは、男性のものに戻っている。
「そんなものに価値があると定義したのは神どもだからな」
「君は神のすべてが嫌いなんだな」
「当然だ。
私は彼らに呪われた存在だし、彼らのやることに対しても腹を立てている、まして私たちの世界の命運を考えれば」
「しかし、誰も今は信じまい……正直、私もあれが夢であって欲しいとさえ思う」
そう言って眉間にしわを寄せるヴァリアルドの姿は、かつての純粋な神学生の面影を濃厚に宿していた。
「だが事実だ。
神々は我々を裏切る……そんな神などいるものか」
吐き捨てるようにサーシャ。
「だから我らは神を捨て、あの世界を捨てる……そのための大逆だ。
あのお方はそのために己に永遠の汚名を着ることを覚悟なさったのだから!」
声を荒げて、それを恥じて、サーシャはうつむいた。
「すまぬ……まだ寝不足らしい」
「仕方がないさ、昨日は疲れることばかりだったし、怪我の名残もある」
ヴァリアルドはそう言って微笑んだ。
彼らの世界において「神」は存在する「偉大なるもの」であり、すべての価値基準の基本、人生の道標であるのだ。
ヴァリアルドも含めた「彼ら」はその「偉大なるもの」が何を考え、計画し、進めているのかを理解してしまった。
だが、その怒りの根源も、「悪」と断じる理由も、すべては「神」が規定したものの上に成り立っている。
この怒りは本物なのか、それとも神に用意された計略の一部なのかさえ判然とはしない……その不安定さが、誰のウチにもあった。
(それでも、生き延びるためには戦わねばならない)
絶望的な気分で、ヴァリアルドは天窓のステンドグラスを見上げた。
(この、真の意味で神なき世界の人たちは、何をもって生きる道を決めているのか……やはり神に仮託しているとは聞いているが、それで不安ではないのか?)
切実な問いかけを胸に、ヴァリアルドは視線を元に戻し、
「さあ、行こう」
と相棒を促した。
「戦乙女には呪いをかけた……その間に我々のなすべきことを成して、準備を始めよう」
にやりと不適な笑みを浮かべるつもりが、哀しげな笑みに化けてしまったのを自覚しつつ、ヴァリアルドは続ける
「神々と戦うために」
「ん……んー」
たっぷり八時間は寝て、昼過ぎ。
ようやくニファーリアは目を覚ました。
「ああ、よく寝ましたわ……ふぁああ」
言うほどに寝たりてはいなさそうな顔で、ほにゃほにゃとニファーリアは寝床の上にちょこねんと座って頭を揺らし続ける。
「あ、ようやくお起きになられましたね、姫様!」
ドタバタとシャルロットが部屋に入ってくる。
「どうしたのですか、シャルロット?」
「騎士殿にこ、こ、こ……」
「こけこっこー?」
「ちがいます!
こっ、告白されたとかいうのは本当ですか!
結婚を申し込まれたというのは!」
「!」
先ほどまでのうつらうつらした感覚は一撃で吹っ飛んだ。
「しゃ、シャルロットどうしてそれを……」
それまで主の精神状態同様だらんとなっていた耳がぴん、と尖る。
ニファーリアの顔がどんどん赤く染まっていくのを見て、シャルロットは納得したらしい。
「やはりそうなのですね!
おのれ騎士殿!
許さぬ!」
「ま、まってシャルロット!」
再び腰の銃を引き抜いて表に飛び出そうとする臣下を抱きついてとどめ、ニファーリアは、
「とにかく、落ち着いて、話をお聞きなさいっ!」
と説得にかかった。
「しかし、臣下の分際で主に、しかも姫様にけっ、結婚を申し込むというのは大逆です、犯罪です、法律違反で縛り首ですっ!」
「いいですか、シャルロット、よーくお聞きなさい」
(まったくもう、この子はこの思い込みの激しさだけが欠点ですわね)
溜息をつきながら、ニファーリアは説明……というよりも言いくるめるための内容を色々考える。
だが、起き抜けの脳裏に浮かぶのは、今朝方まで熱中して読んでいた斎京楓貸与の小説の「……」な熱い熱い内容ばかり。
交わされる熱い視線、肌のぬくもり、男たち同士の熱い(熱すぎる)友情の織りなすタペストリー……
(ああもう、こういう時に限って!)
どうにも脳の配線がおかしな方につながると、人間そうそう簡単に元には戻らないものである。
ましてしんどい状況に立ち向かうよりは、楽しいことだけ考えていたいのは情というもの辛いもの。
「あー、と、とにかくですね、カオル様を害してはなりませぬ」
「しかし!
非常識です!」
「カオル様は……その……そ、そう、この世界の人であって、私たちのいる世界の人ではありません、我々は『協力』してもらっているのですよ?」
「それは、そうですが……」
「この世界にはこの世界のルールがあって、それに従って人々は生きているのです。
我々の世界と違い、神々こそ実際におられませんが、それでも良き人たちは良き人たちであり、我々に手をさしのべてくださっているではありませんか」
「はい」
この辺、シャルロットは素直である。
「では尋ねます、シャルロット、カオル様は悪い人ですか?」
ちょっと大人の狡い知恵をニファーリアは口にした。
他人を「善人」として全面肯定するのは難しくても「悪人ではない」というのは楽だ。
「悪い人ではない」が「迷惑な人」や「いやなやつ」よりは遥かに柔らかい言い回しに聞こえるのと同じである。
まして、シャルロットにとっては自分の「騎士」でもある相手である。
「い、いえ悪い人物では、ありません」
案の定、純情な武騎人はそう答えた。
「悪い方ではないと、思います……」
「ですよね?
私もそう思います……ですから、『好きだ』と言われたのは嬉しく思いました」
「!」
はっと顔をあげたシャルロットへ、たたみかけるようにニファーリアは優しい笑みを浮かべ、
「ここは異世界です、カオル様の仰る『好きだ』も『つきあって欲しい』も我々の世界とは意味が違うかもしれません。
それに、私は調停王女です。
調停王女は戦神騎士が望めば、命と勝利以外のすべてを差し出す不文律があります」
有無を言わせぬ、厳しい「現実」をシャルロットの上に置いた。
「……はい」
「それに……その……カオル様が私にいきなり無礼な振る舞いをする方に見えますか?
もしもそんな殿方なら、とっくの昔にあなたにも何かあるはずですよ?」
喋りながら、つい、ニファーリアはシャルロットの口元を見てしまう。
(そうですわよね、カオル様は戦いの時にはシャルロットと唇を……いえ、すでに何回も重ねられてて)
そんな当たり面の、馬鹿なことを思ってしまう。
シャルロットと唇を重ね、凛々しく剣を持って立つ薫の姿。
たとえ女装し、性転換魔法によって女性化していても、いや、だからこそその姿には凜々しい張り詰めた糸の、研ぎ澄まされた刃の美しさがある。
その少年に、自分は抱きしめられたのだ。
あのとき、少年をはっきり受け入れていたらきっと、自分の唇と彼の唇が正なったに違いない。
(どんな、風なのでしょう)
シャルロットはこれまで、異性に唇を許したことはない。
求められたことは一度だけ……その人は、「帰ってきたら必ず!」と告げて、帰らぬ人となった。
じーっと見つめる。
(あの唇に、カオル様の唇が……)
シャルロットの口元に、薫のそれが二重写しになって見えた。
「姫様?」
薫の声ではなく、シャルロットの声が聞こえてニファーリアは我に返った。
「あ、はい、な、なんでしょう?」
「何か?」
「いえ……その、シャルロットは、どうなのです?
カオル様のことをどう考えてますか?」
少し赤くなりながら、ニファーリアが尋ねると、シャルロットはまっすぐに、
「はい、良い戦士になられる方と思います」
と答えた。
「いえ、騎士として、ではなく殿方……」
と言いかけて、シャルロットが男嫌いであることを今更ながら思い出す。
「ではなく、人としてどう思われます?
私の夫になるには不足の方ですか?」
「そ、それは……」
改めてそう言われると、断言することはシャルロットにも難しい。
元々、男嫌いという要素を植え付けられて育ってきているから、脊髄反射的に行動している部分が大きいと、当人も自覚はしているようだった。
「私が正式にお断りして、なおもカオル様が私に未練を抱いてみだらなことをしようとしたときは、シャルロット、あなたにお願いするでしょう。
でも、今は私たちは一丸となってこの国交決闘を切り抜けねばなりません……よろしいですね?」
言葉の省略。
そうすることで、相手に答えを「見つけさせる」のだ。
愚鈍な相手だと話にもならないテクニックだが、幸いにもシャルロットは気づいてくれたようだ。
「判りました、私は姫様のご命令なしでは勝手に動かないことといたします……ですが、あまりにも目に余るようでしたら、そのときは」
「判りました」
こくりとニファーリアは頷いた。
「あ、あの、姫様」
主従ではなく、「長年あこがれ続けてきた同性」に対する純粋な尊敬と好意のまなざしでシャルロットは頼み事を口にした。
「どうか……その、早まってしまったりその……なさらぬように」
「ええ」
にっこりとニファーリアは頷いた。
(早まるも何も)
自分は結局、薫のそばで添い遂げることができない。
永遠に等しい時間を生きるハーフエルフにとって、ヒト族との別れは必須のことだ。
まして、異世界の人間である。
だから、今度は生まれて初めて自分からはっきりと、薫に断りを入れねばならない。
同時に、調停王女としての駆け引きとして「それはまずい」という考えもある。
どうすればいいのか。
そもそも、自分の本心は薫のことが好きなのか、否かそれすら、ニファーリアには自分では判然としないことに気がついていた。
いや、数百年近い時間の間「その考え」をしないようにしてきて、思考回路の中から隔離されてしまっている。
(だとしたら、私は、神のごとき人間にでもなっているのでしょうか?)
己の中に認識してしまった、皮肉で冷たくて、辛いものをニファーリアは笑顔の下に押し隠した。
「判りました」




