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日本から見れば遙か彼方の北の空。
「うー、おのれー」
ふらふらと、ゆっくりとした速度で戦乙女のアルテリアーは空を行く。
飛行機に衝突、その翼に引っかけられた状態でここまで運ばれ、何とか抜け出したものの、巨大な金属の塊に空中激突されたダメージは、彼女の鎧をあちこち凹ませ、背中の羽をボロボロにしていた。
「人間ごときが空を自由に闊歩しているとは……転移魔法だけの我が世界が懐かしい」
ぽつり、と呟くその前髪も乱れてぼさぼさである。
実際には数百トンの金属の塊にぶつかったのだから、通常の生物ならその場で真っ赤な染みになっているはずで、それを考えれば冗談のようなダメージだ。
「ええい、これでは神の使徒の名が泣くわ!」
頭を振ってそう言うと、彼女はその場で空中制止し、背筋を伸ばすと目を閉じた。
身体の中からしみ出すような光がその全身を覆い、強さを増してヴァルキリーを光の人型へ変えて、その輪郭が少し縮まった。
光は一瞬で拡散し、そこには美女から、美少女へと数年若返ったアルテリアーの姿があった。
鎧の凹みや髪の毛の乱れはなくなり、背中の翼も白さと美しさを取り戻している。
「おのれ……この調子では、色々とすり減ってしまうわ」
苦々しく呟く横顔は、この世界で言えば高校生ぐらいであろう。
「さて、とにかく急がねばならんが……」
と周囲を見回す。
彼方には山、白いものがびっしりと地面を覆い、つもった針葉樹ばかりの森が足下には広がっている。
「あやつらのいる国は確かあっちか?
いや、確かあっちだったはず」
なんとも心細いことをのたまいながら、戦神の娘は槍を小脇に抱え、手のひらをひさし代わりに額に当てて周囲を睥睨する。
「……わからん」
この戦乙女、方向音痴らしい。
「……まったく、あのタイハンの馬鹿ものどもめ。
あんなところで戦いさえなければ、まっすく右手に進めばたどり着いたというに……せっかくエルラーレ姉さまが心づくししてくださったというに、もう!」
ぷうっと頬がふくれる……若返った分、子供っぽくもなっているようだ。
頭の横にある小さな翼が、ひくひくと動いた。
後ろから爆音。
「また人間どもの飛行機械か」
溜息をついて翼をたたみ、高度を下げる。
今度はぶつからないように、かなりの距離を取った。
そのはずだったが。
「?」
爆音はふたつ、それが両方共、彼女を追いかけてくる。
「なんじゃ?」
首を傾げて振り向くと、神の目に、遙か彼方から人には見えぬ、妙な赤い光が自分に照射されているのを知った。
赤外線ロックオン、などという知識がこの世界に来て十数時間のヴァルキリーにあるはずはない。
まして、謎のエネルギーを自ら放ったりした上に、謎の飛行速度と軌道を描く領空侵犯機に自分が認定されていることなどは。
ただ、その光の先にある飛行装置は彼女を引っかけてここまで連れ去ってきたものと比べてずいぶんと小さく、かつ妙に先鋭的……武器の美しさを伴っていた。
「?」
その翼の下から炎の輝きがあって、恐ろしい速度でその炎の輝きがこちらへめがけて飛んでくる。
悪い予感が、彼女の翼の羽を逆立たせた。
「いかん!」
慌てて急旋回しようとしたヴァルキリーの背中に、ロシアの誇る|中距離空対空ミサイルR27Tが炸裂した。
「のわあああああああああっ!」
爆発に吹き飛ばされ、それでも驚いたことにちょっと煤にまみれた程度で飛行を続けるヴァルキリーの背中へ、次々と赤外線照射型のミサイルが殺到する。
「ひー!」
爆発と爆風、炎の嵐を右へ左へ逃げ回るヴァルキリーへ追いついてきた戦闘爆撃機Su-34が今度は機銃を撃ち始める。
「ひっ、ぎゃっ、ぐぎゃっ!」
固定武装であるGSh-301三十ミリ機関砲を当てられながらも鎧をベコボコにされ、悲鳴を上げる程度で済むあたりがやはり神の一族というべきか。
ともあれ、災難であることに間違いはない。
「ぎゃがぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
その声も爆風と銃撃音にかき消されてしまう。
一度ヴァルキリーを追い抜いた戦闘爆撃機三機は、また大きくカーブを描いて引き返してくる。
さらにミサイルが発射された。
鎧も翼もボロボロになったヴァルキリーは、思わず叫ぶ。
「こ、こんな世界、大っ嫌いいじゃあああああー!」
北の空で唐突に始まった危険きわまりない花火祭りは、まだ終わりそうにない。
現実逃避の読書、というものは何でこんなにも甘い果実であるのか。
気がつくと朝で、ニファーリアは昨日、物置から薫とその祖父の大介が引っ張り出してきた古い机と電気スタンドの明かりの下、付箋だらけになった小説の最後のページを読み終えた自分に気がついた。
これだけ根を話めて本を読むというのは久しぶりだった。
ちなみに、付箋は翻訳魔法を持ってしてもわからないニュアンスや単語の部分で、あとでこの本の持ち主である斎京楓に尋ねるためのものだ。
障子の向こう側から朝日が差し込んでいる。
「もう……朝、なのですね」
慣れない徹夜などしたせいか、声がガラガラにひからびてる。
それでも四冊の本を読み通したという実感と、中に刻まれていた物語の面白さと、数十年ぶりに感じる「お話のワクワク感」に、異世界の王女の気持ちは一時的にせよさわやかなものに包まれていた。
「……殿方同士の恋愛もので、しかも流行ものと聞いていたのであまり期待していなかったのですが……嬉しい誤算もあるものなのですね」
幸せそうに微笑み、ニファーリアはぎゅっと本を抱きしめた。
本好き、と呼ばれる人たちのみが味わうことの出来る、幸せな瞬間。
問題なのは、その本のジャンルではあるが。
「ん……姫様?」
布団の中から、シャルロットが目を覚まして起き上がる。
カオルが太ってた頃につけていたというだぶだぶのパジャマ姿なのが、いつものきりりとした凛々しさとのギャップになって、寝ぼけた子犬のような愛嬌ある。
「ずいぶんと今朝はお早いのです、ね……」
ふらふらと頭を揺らしていたシャルロットは、やがて、手だけを別の生き物のように動かしてぱちんと頬を叩き、いつもの顔に戻った。
「では、すぐにお顔のおすすぎを」
「いえ、結構ですシャルロット。
私はこれから寝ます……朝食……は」
シャルロットの寝ぼけが移ったかのように、ニファーリアは頭をゆらゆらと揺らしはじめ、そのままいすから転がり落ちるように布団に突っ伏した。
「姫様?」
慌てて抱き起こそうとするシャルロットの前で、ニファーリアは幸せそうな寝顔を見せた。
「……」
どうやら病気などの身体異常ではない、とわかってシャルロットは安堵の溜息をつくと、ニファーリアをちゃんと布団の中に入れ、肩までしっかり布団をかぶせた。
ハーフエルフの王女は、耳の両端を垂らして、もう小さな寝息を立てていた。
「姫様、おやすみなさいませ」
そう言って微笑むシャルロットの顔は、どう見てもニファーリアの姉に見える。
斎京楓の朝は早かったり遅かったり……その辺を決めるのは前日の夜、午後十一時までに何キロバイト進んだかによる。
五キロバイト以下ならそのまま十キロバイト分まで、と粘って深夜まで起きるから遅くなるし、十キロバイトに達していたらそのまま一段落つくまで書いて、さわやかに寝床に入るので早くなる。
まあ、もっともたまたま筆がのって十五キロを超えると勢いが止まらなくなって貫徹、ということもあるから一概には言えない。
今日は早い日であった。
畳間に置いたベッドで目覚めると、パジャマ姿のままのびをして、スクリーンセーバーが作動しているパソコンの画面を復旧、ニュースサイトとメールをチェック。
ウェットティッシュで顔をぬぐい、眠る前に差しっぱなしフラッシュメモリを含めた数ヵ所にセーブしたデータがちゃんとあるかどうかを確認してから洗面所へ向かう。
家は広い。
コンクリで作られた、年代物だがかなり頑丈な家である。
死んだ祖父が不動産屋で、最後に八十年代バブルでもうけた金をつぎ込んで作らせた家だ……ちなみに、今の楓の部屋は死んだ祖父のいた「はなれ」なので、母屋までは渡り廊下を通る。
今なお父や母が職人を入れたりして手入れを欠かさない庭を眺めながらノテノテ歩く数秒間は結構気に入っていた。
「かーさんおはよー」
台所で仕事をしている母に挨拶する。
「あら、今朝は早いのね?」
「うん、昨日はずいぶん筆がノったから」
「あ、そうそう、お兄ちゃんから昨日電話があったわよ『そろそろ中華が食べたい』って」
楓の兄は大学に進学して家には月に一度帰ってくるだけだ。
その際、楓の作る料理を楽しみにしているのだが、それは「小説の神様」が憑依した状態のまま、小説を書き上げてしまって勢いが止まらない時とか、かなり気まぐれに左右される。
「んー、その辺は小説の神様に聞いて、って伝えといて」
地方公務員の父は、今朝から出張なのでもう出ている。
本格的に顔を洗い、歯を磨き、その間に傍らに置いてある超音波洗浄器で洗った眼鏡を取り出し、クリアな視界を確認。
洗面所の出入り口の脇にある納戸から、飼っている犬用のドッグフードを取り出し、大きめの軽量カップに朝の分を分ける。
それを片手に玄関を出、ついでに新聞受けに入っている朝刊五紙を抜き取る。
楓の父が取っているのは一紙だけで、残りは楓が自分の小遣いで取っている。
右寄り左寄りおよび経済誌とスポーツ新聞、とバラエティに富んでいるのは「作家は視点を固定してはいけない」というポリシーからだ。
……もっとも、半分くらいは「そのほうが格好いいから」という見栄も入っているが。
新聞を小脇に抱え、犬小屋まで行く。
それまでのへーっと寝そべっていた、アフガンハウンドとシベリアンハスキーの血が混じった雑種が、楓の匂いを感じて立ち上がり、ちぎれんばかりに長いしっぽを振る。
吠えないのは、三歳になるこの犬が心底脳天気だからだろう。
誰にでも懐いてしまうので、ほとんど番犬の役には立たないが、それも愛嬌だと楓とその家族は思っている。
犬とか猫とかは何かに役立つから飼うわけではないのだ、と。
「よしよし、メケメケ『待て』」
犬の名を呼んで命令すると、長い毛足と垂れ耳の犬は、ぴたりと足をそろえて腰を下ろした。
「メケメケ」とマジックで書かれた赤いプラスティックの皿に、ザラザラとドッグフードをカップから流し込む。
楓が言うが早いか、雑種犬「メケメケ」は皿に顔を突っ込んだ。
その間に楓は新聞を台所に持って行き、朝の散歩用のジャージに着替える。
皿の中身を空っぽにすると、犬は再び「おすわり」のポーズを取る。
「んじゃ、 行こうか」
楓は首輪から地面の杭へ伸びるロープの金具を外して手首に回して持つ。
「もう、変なのを拾うんじゃないわよ?」
そう言って頭をなでる様は、とても普段の小説の鬼、傲岸不遜で|突撃全滅外道照身霊波光線《とつげきぜんめつげどうしょうしんれいはこうせん》な少女には思えない。
「この前みたいに大騒ぎになるのはごめんだからね」
この犬の妙な癖で、必ず「拾いもの」をするのだ。
たいていは財布とか、うち捨てられたオモチャだが、半年に一回ぐらい、「やたら分厚い『賞与』と書かれた封筒」とか「鎖でがんじがらめに縛られた上に鍵のかけられた古い本」やら「日本銀行と大書されたずっしり重いジュラルミンケース」、「銃器類が山と詰まったゴルフバッグ」やらを拾ってくる。
「どうせなら、薫君と絡められるような壮絶美少年とか拾ってほしいんだけどなあ」
と呟くあたりは、やはり斎京楓、であろうか。




