43
何とも妙なことになった。
茂みをかき分けてやってきた少年は、怪我をしたサーシャを見つけると大慌てになった。
医者だ救急車だと言い出す相手に何とか翻訳魔法の力で「頼むからそれはやめてくれ」と言い含める。
ただ、頼んで近くのベンチ(らしい)に仰向けに寝かせてもらった。
「怪我は……腕の傷と、打撲以外、痛いところありますか?
骨が折れてるところか」
少女のように細い身体でサーシャを担ぎ、ベンチに寝かせると、少年は気遣わしげに尋ねる。
「と、とりあえず薬とか」
(敵ではなかろうと思ったが……これはこれで問題か)
外界の一切見えない仮面の中で、サーシャは苦笑した。
「とにかく、この怪我はたいしたことではない……じきに傷口も塞がるし」
「やつぱりあなたも魔法使いなんですか?」
驚いたことに、相手は「そんな馬鹿なことが」とは言わず、納得したようだ。
「魔法を……知っているのか?」
「ええ、まあ……その、僕はその……ソグディアナの騎士なもので」
「ソグディアナ?」
「はい」
サーシャの祖国(といっても今となっては違う国ではあるが)タイハンの騎士、エストとやり合って一勝をあげたとかいう、この世界の人間で、なおかつ騎士という変わり種。
(なるほどね)
納得した。
とりあえず、出自はどうあれ、同じ騎士ならば名乗らねばならない。
「私はサーシャ……神聖タイハン王国の騎士だ」
「あ、えーと、僕は薫です。
城崎薫で、あの、何か出来ることは?」
この少年は、どうやら自分を助けてくれるらしい。
一瞬、サーシャは迷ったが、
(まあ、とりあえずソグディアナの騎士ならば当面の敵ではないからいいか)
そう考えた。
どちらにせよ、怪我による体力の低下と疲労で「意識の先端」が拡散して、魔法を使うまでのレベルに戻っていない。
食事と静養が必要だ……神の都合ではなく、己の都合で使える純化魔法はここがネックと言えた。
神聖魔法は神の都合(信者たちは御心、とよぶアレだ)にさえ合えば、十分の一以下の精神力の消耗で使うことが可能だが、純化魔法は百パーセントすべてを自分で補わねばならない。
(ひと眠りは必要だろうな)
自分の体力、傷の具合、精神状態を冷静に分析してそう結論づける。
「ではすまないが……食事と水分を補給したい。
頼めるか、カオル殿」
そう言うと、相手が一瞬考え、理解したらしく「ああ」と手を打つ音が聞こえた。
「ご飯と飲み物ですね!」
「……ま、まあそうとも言う。
それと、私がここにいることは、君の胸だけにとどめておいてくれ」
この騎士殿は平民出らしい。
どうにも戸惑う……サーシャ自身は平民の世界など思いもよらないからだ。
「わかりました!
じゃあ、ちょっとと待っててください、ここから動かないでくださいね!」
少年が駆けだしていく足音を聞きながら、サーシャはくすっと笑った。
「動きたくても、動けないよ」
改めて息を吐く。
脳の奥、精神の一部を切り離して常駐させている基本魔法を解除した。
身体が重くなる。
胸、腰、太腿の密度が増していく。
筋肉の心地よい密度ではなく、鑑賞目的以外では何の意味も役にも立たない、脂肪をメインにした塊。
それから解放されているのが常であるが故に、サーシャは哀しみの入り混じった溜息をついた。
とたんに、みっしりと胸を押し上げている塊が揺れ、それがまた彼女を憂鬱にさせた。
「女の身体なんかいらないのに」
呟いた。
とにかく今は休み、肉体の回復を待つしかない。
空から落ちるときに出血だけは止めておいた腕の傷が痛む。
薫は急いだ。
近くのコンビニまで行き、自己最短記録でサンドイッチとグラタン、清涼飲料水を選んでスマホで決済、お箸ではなくてスプーンを入れてもらって公園まで駆け戻る。
「こ、これ!」
そう言って袋を差し出し、腕が怪我をしていることを思い出して弁当のラップを外し、清涼飲料水(お茶と水)のふたを開けてやる。
「す……すまない」
勢いに押されて少々鼻白んだ声で、それでも仮面の騎士……サーシャは礼を言う。
そうすると、サーシャはマントを外し、テントのように頭からかぶった。
「すまないが、その食事をしているところをあまり見てほしくないのだ」
恥ずかしそうに言う。
マントは頭からかぶったままだ……たぶん、いつもそうしているので前もって断るのを忘れていたのだろう。
「あ……はい」
目立つのがいやなのか、それとも食べ方にコンプレックスでもあるのか。
マントをかぶってでも見せたくない、というからには後者なのだろう。
「食事ぐらい、好きに食べていいと思いますし」
「ありがとう」
「……美味しいですか?」
頭からすっぽりマントをかぶるようにしてテント状態にし、コンビニ弁当を食べ始めたサーシャをしばらく見て、薫は尋ねた。
(警戒心の強い子猫みたいだな)
小学校の頃、そういう子猫が通学路にいたのを思い出す。
あの子猫も、薫たちが与えた給食の残りを必ず公園の隅の茂みに引きずっていって、そこでしか食事をしなかった。
一度それを覗き込んだクラスメイトの顔をひっかいて、それっきりどこかへ消えてしまったが……。
「空腹……だから、何食べても美味い……冷静……なところ……はわから……ない」
食べる合間にそれだけ言って、サーシャはサンドイッチとグラタン、そしてペットボトルのウーロン茶のボトルを空にして、マントの外に出した。
やがて、金属のジョイントが塡まる音がして、マントが元の位直に戻り、仮面の騎士は地面に座ったまま、大きな溜息をついた。
「ありがとう。
感謝する」
声に丸みが生まれて、サーシャが女性だとカオルに確信させた。
だが、先ほどベンチに運んだ時には男性の体つきだったと思ったのだが。
「君はいい奴だな」
「まあ、そう言ってくれると少し嬉しいかな」
笑ってカオルはグラタンの空容器などをコンビニ袋に詰めた。
「でも、本当にここでいいの?」
「私も騎士だ。
好意に甘えすぎるのはよくない」
そう言って、懐から金貨を数枚取りだした。
「生憎、この世界に来たばかりで通貨を持っていない。
純金だからそれなりの価値はあるだろう」
「いいですよ……困ったときはお互い様、っていうし」
「だからこそ、だ」
仮面の騎士はそう言ってずい、と金貨を持った手を差し出した。
「けじめはつけておかねば、私の主の面目にも関わる」
それに、付け加えた。
「馴れ合うのはしない主義だ……いつ、敵になるかわからないからな」
薫は胸を言葉の杖先で突かれたような気がした。
サーシャの声は、冗談めかしているわけでも、気負っているわけでもなく、ただ当然のことを言っているだけ……「明日は雨だから傘を持っていこう」という程度の響きしかなかっただけに。
(そうか……僕も、同じ騎士なんだよな)
無自覚というか、ヌルいというか……少し自分が情けない。
「わかりました、じゃあ」
そういって、受け取る。
「だが、君がよくしてくれた恩は恩だ、いずれ返す」
「はい」
しっかりと頷いた。
これも「けじめ」なのだろう。
「しかし、君があのエストを相手に勝利を得た戦神騎士なのか」
「はぁ……勝ったのは三回の内の一度だけですけど」
「しかし、その実力故にシムト王子でさえ再戦の前に策を練ると猶予を申し出るほどの腕だそうではないか……しかも風の使い手と聞く」
「いや、あのまあ……たぶん、珍しい魔法を使う戦神騎士だからだと思います」
照れて謙遜すると、仮面の下で微笑む気配がした。
「私は焔だ」
礼儀のように、サーシャは告げた。
「私相手に風の魔法を使うときは注意するがいい。
焔と風では焔の方が強い。
焔は風で勢いを増す」
軽く、挑むような口調。
(こういうのはちょっと苦手かな……いい人だと思うけど)
ちょっと苦笑しつつ、薫は頷いた。
「でも、負けませんから」
ここで「そうですね」と言ってしまうのは逆に相手を馬鹿にしているように思えた。
この辺は、シャルロットとの交流があるので、薫も何となく最近理解できるようになっている。
「当然だ。
お互いに負けるために戦うのではないのだから」
「ええ」
力強く頷き、少し嬉しかった。
(体育会系ノリは辛いだけだと思ってたんだけどなあ)
文系帰宅部としては不思議に思う。
だが、そんな気分になれるのも「勝利」というものがあってこそだ、と自分に言い聞かせる。
体育会系のかっこいいところはすべて、「勝った者」だけに与えられるのだから。
考えてみれば、自分はひどく危うい刃の上に立っているようなものだと再自覚できる。
(おっかないなあ)
と呟くと同時に「もう少し頑張ってみようか」という欲の囁きも心に感じる。
「では、私はしばし休んで身体を治療する……君はいくがいい。
もう、夜なのだろう?
この世界の夜道は明るいとはいえ、闇が物騒なのは変わるまい」
「夜なのだろう、って……?」
「ああ、私はこの仮面で」
とサーシャはこつこつと黒革の手袋で覆われた指先で、なめらかな金属の仮面を叩いた。
「視界を覆っているから、見えない」
「食事は……」
「口元が開くから問題はない」
先ほど聞こえたジョイントが塡まる音は 、どうやら仮面を外していたわけではないらしい。
「はぁ……でも何でまた」
「君には関係のないことだ」
「あ、そ、そりゃそうですね」
先ほどサーシャが言った「敵」という言葉が生々しく別の響きを持って薫の耳に響く。
それはひどく辛辣なものだった。
「じゃ、じゃあ、いきます」
「うむ。
では……願わくば、君が敵にならぬように祈る」
立ち上がって、サーシャは腰の鞘から剣を抜こうとしたが、それがどこかに行ってしまったことに気づいて、ばつが悪そうに拳を胸に当てた。
「本来なら、剣を持って礼すべきだが、許してほしい」
「いえ、僕も剣はありませんから」
ようやく微笑み、薫は深々と一礼した。
踵を返して歩き出す。
振り向かなかった。
風は冷たく、それが自分の足を踏み入れた世界そのもの温度のような気がして、薫は頬を強ばらせた。




