42
何とも問抜けというか、がっかりというか。
意を決したはずの行為がものの見事に空振りというか実は場所にさえたどり着いてなかったというのは間が抜けすぎていて気力が失われることおびただしい。
だから、薫はいったん外に出て気分を変えることにした。
「なー」
この前、公園で拾った子猫が足下にしがみついたのもある。
栄養が満ち足りて、安心できる環境だと納得したせいか、捨てられていた他の子猫たちに比ベ一段と貧相だったこの子猫、いつの間にか結構かわいい顔になっていた。
「よしよし、そういえばおまえのキャットフードも買っておかないとな」
子猫用のキャットフードを扱ってるコンビニは少し遠いので、いい気分転換にもなるだろうと思った。
祖母に「ちょっとコンビニに行ってきます」と言い置いて、サンダルをつっかけて外へ出る。
夜風がそろそろ冷たい季節になってきた。
「生足だと辛くなるだろうなあ」
国交決闘の時の衣装は、係になっている斎京楓の性癖というか趣味というかで、太腿があらわになるものばかりだ。
今はまだいいが、冬とかになると辛そうだな、と思う。
「寒さ対策……」
ぽつん、と呟いて、再び思い出す。
(このまま、すべての国との国交決闘が中止になったら、ニファーリアたちはどうするんだろう?)
暗澹とした気分で、少年は立ち止まる。
(ファリイの国はさほど裕福じゃない、って聞いてるし、きっと帰っちゃうんだろうけれど……それまでどれくらいいられるのかな?
それに……返事、聞けるのかなあ?)
溜息をついて、思わず夜空を仰ぐ。
妙なものが、視界に飛び込んできた。
一瞬、それは上からいきなり下へめがけて落ち、次の瞬問、ふわりと浮かび上がると、また落っこちた。
がさごそばきばき、という、どうも公園に植えられた木々の枝をへし折り、茂みに落下したとおぼしい派手な物音。
「人?」
一瞬、ぼけっと中天を見上げたままだった薫は、自分が何を見たのかようやく理解し、慌ててその人影がおっこちた方へ駆けだした。
地面に激突する瞬間、現状における最大レベルでの「飛翔」魔法を使い、反発、いったん浮かび上がったものの、優雅に地面に下りる余力は落下速度と相殺するためのエネルギーで使い果たし、無様に木々の間に落っこちた。
落下高度は二メートルだが、十分人が死ぬ高さである。
受け身を取らなかったら、あるいは緩衝材代わりの木の枝がなければ、もう少し落下位置がずれて、アスファルトに叩きつけられていれば、骨の二、三本か、あるいは首をぽっきりいっていたかもしれない。
だが、地面に叩きつけられた時、そんなことを考える余裕はなかった。
右半身を下にし、右の手のひらで思いっきり地面を叩いたものの、身体の打撲の衝撃は一瞬、頭の中を真っ白にした。
気力を使い果たしつつあるというのもある。
「……くそ。
仮面……」
もうろうとしかけた意識で、怪我をした左手で思わず仮面を外すための「鍵」に触れようとして、激痛にうめく。
皮肉にもそれで逆に意識がはっきりした。
指が仮面から離れる。
二年前、凄絶な修行の末に「願掛け」もかねてかぶったこの仮面を、今こんなことのために取るわけにはいかない。
こんなこと……そう、サーシャにとって、自分の肉体の損傷など「こんなこと」でしかない。
「くそ……折れてはいない、か」
不幸中の幸いというやつだろうか。
安堵の溜息が仮面の中に漏れたが、それは途中で止められた。
誰かが駆け寄ってくる。
「……」
腰の剣を取ろうとしたが、手に持っていたはずの細薄剣はどこかへ飛んでいた。
「しまった……」
呟くその声に重なるように、
「大丈夫ですか!」
茂みをかき分けて、誰かが来た。
(これで、終わりかな……?)
ぼんやりとサーシャは思い、訂正した。
敵なら大丈夫かとは言うまい……それ以前にまだこの世界にサーシャたちにとっての「敵」はあの戦乙女意外いないはずだった。
「おかしい」
エストは、しみじみと呟いた。
例のOL変装用衣装は再び着用したままであるが、カツラも眼鏡も外しているので偉くちぐはぐな印象に見える。
「なんであたしはこんなところにいるんだ?」
「しーっ、声たてちゃだめですよ!」
と押し殺した声で言ったのは真衣だ。
「ま、大丈夫でしょ。
お祖父さんは居間で王女様たち相手にニュース解説してるし、薫君は普段はただの人だから、滅多な物音を立てなければ気づかれないわよ」
と鴨気なことを言ってるのは斎京楓。
ちなみに三人とも、薫の家の庭にある木の陰に隠れている。
「なんで騎士がこんなところでこそ泥のまねを……」
首をひねる強面の女騎士に、
「まあ、人生『考えるな、感じるんだ』とブルース・リーも言ってたわけだし」
「なんだそれは?
どこぞの王か?」
「王というより一種の神様ね」
「この世界には神がいないのではなかったか?」
「……まあ、英雄を神様扱いしてるのよ」
「なるほど」
わかったような、わからないような会話をして、再びエストの思考はぐるりと一周して元に戻る。
「で、なんであたしはこんなところにいるんだ?」
「そりゃ決まってるわ」
にやり。
楓の口元に下弦の月のごとく、三角に近い笑みが刻まれた。
「あなたの恋を!
ラブを!
あまーいあまーい愛の行方を!
私たちが知りたいからっ!
さらに言えば小説のための最重要参考資料としてファイリングするためにッ!」
思わず立ち上がって身体を妙な角度にひねり、あらぬ方向を指さすという変なポーズを決める楓だが、こういう状況の彼女の扱いに長けている真衣が、誰かに見つかるか見つからないかの絶妙なタイミングで首根っこをひっつかまえて元の位置に戻した。
「……つまり、野次馬根性」
ひとことで言い直す。
「……つまり、おもちゃか、あたしは?」
「んーと、違うわ。
貴重な小説の資料」
「どこが違うってのさ?」
「飽きたらぽいするのがオモチャ、終わるまで陰になり日向になりフォローしたり引っかき回したりするところが参考資料……かな?」
真衣が解説を入れる。
「まあ、そんなとこね」
「おもちゃよりもひどいじゃないか」
「まー、小説のためには犠牲はつきものと明治の私小説家大ブームの頃に世間とのコンセンサスは取れてるから」
くくく、と楓は喉の奥で笑った。
「第一、誰と誰の恋なんだい!」
「そりゃ決まってるわ、あなたと」
と楓はエストを指さし、
「薫君と」
と家の方……正確には薫の部屋があるであろう窓を指さす。
沈黙は、きっかり十秒。
「ば、ばかをおいいでないよっ!」
エストは思わず立ち上がって大声を出した。
「だ、誰と誰がだって?
ふざけるにもほどがあるってもんだ、年上をからかうとろくなことにならないよっ!」
「まーまーまー」
立ち上がった楓と真衣がなだめようとするが、もとより楓の勢いとノリで「とりあえず暇なら薫君家にいきましょー」と引っ張られてきた、という経緯があるから、エストとしては止まらない。
「だ、大体あいつあたしは敵同士、仇同士、国交決闘とはいえ殺し合いっこをする相手なんだよ!
馬鹿言うんじゃないよっ、恋だの愛だの、浮っついた関係であるわけないだろこのオタンコナス!」
いや、止めるわけにはいかない。
止まったら、楓の指摘を認めてしまうことになるからだ……その行為自体が、実際には墓穴を掘ってることになっていると冷静に判断するだけの余裕は、ない。
「人をよく見なってんだ、あたしとあいつがそういう関係になる必要ってか、理由がどこにあるってんだいっ!」
「んー」
楓は慌てず騒がず、形のいい顎に人差し指を当てて考えていたが、
「ま、フィーリング?」
という何ともファジーなお答え。
「な……」
「もうちょつと言えば、薫君、って言葉を口にしたり聞いたりしたときのあなたの口調っていうか目つきっていうかは、恋する乙女のそれなのよ。
たぶん」
「たぶんってのはなんだ、たぶんってのは!」
「じゃあ、薫君、って言ってみて」
「い、言えるさ……か」
「さ?」
「カ……オル……君」
ぽ。
エストの頬が赤くなった。
楓がその顔を見つめ、
「……」
真衣もその顔を見つめ、
「……」
エストはそんなふたりの顔を見つめる。
今度の沈黙は五秒ほど。
「あ……ビンゴだったのか」
ぽけっと楓が言った。
「まぐれ当たり、ってあるのねー」
真衣とふたり、顔を見合わせて「ねー」と頷きあう。
「……」
ぽかん、とした顔でエストはしばらくふたりを見ていたが、
「殺ス!」
怒りのあまり発音さえひっくり返った状態で立ち上がった。
腰の後ろから鞭を引き抜く。
「殺す殺ス皆殺ス!
人をコケにするにもほどがぁあるっ!」
「エスト様、落ち着いてください」
いつの間にか現れたアドネが、女子高生のコスプレ、もとい変装のままエストを羽交い締めにした。
「離せアドネ……っておまえもいつの間に!」
「先ほどから脇で控えておりました」
「おまえまで聞いてたのか!」
「……」
「うわああああーーんっ!」
じたばたばたた。
もう、習い覚えた体術を使う余裕すらなくした半狂乱でエストは暴れるが、こういう場合では冷静なアドネに押さえつけられるばかりだ。
「殺すーっ!
みんな殺してあたしも死ぬー!」
純情乙女の狂乱である。
「そんな、エスト様!」
「むしろギャップキャラとしてはいいアクセントだと思うんだけどなあ」
「ねえ!?」
諸悪の根源は達観しているのか現実感がないのか、互いに首を捻るばかりだ。
「余計なことを仰ってないで、逃げるかなだめるかなさってください!」
珍しくアドネが声のテンションを上げた。
「あら?」
そんな四人に声がかけられる。
「斎京さんに……真衣さん、でしたっけね?
あとのおふたりは……?
あらあら、気づかないでごめんなさいね」
温厚そのものの声は、カオルの祖母、城崎妙子である。
「あ、どうも薫君のお婆さま」
ぺこり、と楓が頭を下げた。
小説のネタにならない対象に関しては、ひどく礼儀正しいのである。
「薫は今、コンビニへ行ってますから、どうぞどうぞ、皆さんお上がりになってくださいな」
薫の祖母の前、という状況がエストの混乱した脳の中のダイヤルを「正常」に近い位置に戻した。
ただし「近い」だけで正常ではない。
「あ、いえあのあたし……いえ、私たちは、そのまた別に用事がありますので、こ、これでっ!」
そう言うと、エストは鞭とアドネの襟首をひっつかんで駆けだした。
「あら……OLさんは大変ねえ」
「あ、あははは、そうなんですよ」
と「少々照れ屋かつ無害なクラスメイト」という超特大の猫をかぶって、楓が笑う。
「あら、楓様」
祖母の声につられたのか、ニファーリアが縁側に出てきた。
「どうなさいましたの?」
「いや、近くに寄ったモンで……あ、そうだ、渡し忘れてた本、持ってきたよ」
そういって、楓は鞄に手を突っ込んで、数冊の文庫本を取り出した。




