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銀髪の少女は手にした鋭いナイフを自然な動きで腰の後ろにある鞘へ収めた。
中世ヨーロッパ風の、短衣と呼ばれる衣装をアレンジしたような、ミニスカートに長い脚が強調されるような衣装だ。
クラスの女子の男装なんか足下にも及ばない、彼女ひとりだけでも大劇場での舞台公演が出来るほどの凜とした気配というか、輝きがあって、思わず薫は見とれてしまった。
(まるで、宝塚のスターみたい)
ぼんやりと、去年の年末偶然家のテレビで見た番組を思い出した。
周りも、その美貌と格好、さらにあまりにも唐突すぎるが「絵」になりすぎの登場の仕方に声も出ず、ごくりと固唾をのんで見守るしかない。
「大丈夫ですか、姫様」
と少女は小脇に抱えていた少女を優しく床におろしながら、日本語ではない言葉で囁くのが、薫の耳に届いた。
「……え?」
その妙な違和感に首を傾げるヒマもなく、ふたりは会話を続ける。
「ええ、大丈夫です……でも急に使った割には上手く『跳べ』ましたわね」
と白いマントの少女が、鼻かけ眼鏡を直しながらホッと安堵の溜息をつく。
それから立ち上がり、周囲の人々ににっこりと微笑んだ。
「お騒がせして申し訳ありません、私たちは怪しいものではないのです、すぐにここを去りますので、ご無礼の段、お許し下さいね」
そう言って頭を下げた。
「姫様、何を周囲に気を使われておられるのですか!
今は非常時ですよ!」
あきれ顔の銀髪の少女に、「でも礼儀は人の魂の貴賤に関わることですよ」とやんわり抗議し、
「でも良かった……正直、壁の中にでも出てしまったらどうしましょうと思ってたのですが」
「怖いことを仰らないでください」
銀髪の少女は「冗談は後に願います」という顔で溜息をついた。
「冗談じゃありませんわよ?
魔法の授業で教わったでしょ?
『跳躍』魔法は構成式の詠唱が短くなればなるほど失敗確率が上がると」
何とも言えない表情を銀髪の美少女は浮かべる。
「でも、こんなところで向こうの方に出会うなんて、偶然って怖いですわねえ」
「暢気なことを仰ってないでください。
相手は我々よりも半年前からここにいるのですから、何らかの形で警戒網を作っていたのでしょう」
鼻眼鏡の美少女はそこで何かに思い至ったらしく、ぽん、と手を打った。
「ああ、そういえばこの世界にはまだ魔法はないんでしたよね。
それでさっきの『人捜し』の魔法が感知されちゃったのかも」
「そうでしたね。
そういえばこの世界で魔法使いは我々の世界の者だけでしたか」
溜息をつきながら、銀髪の少女は人で出来上がった教室の壁を見やり、そこが人で埋め尽くされているのを見て「こっちは駄目か」と呟いた。
どうやらそうとうに急いでいるらしく出入り口を使うことを諦めたらしい。
「すみません、どうやらここから抜けるには別の部屋に飛ぶ必要がありそうです。
向かいの建物は人も少ないようですから、そちらへ」
「構いませんよ。
そしたら今度はもう少し遠いところに『跳び』ましょう」
にっこりと鼻眼鏡の美少女は頷いた。
「でも……」
少々不安げな銀髪の少女へ、鼻かけ眼鏡の美少女は、
「大丈夫、今度はもう少し長く時間が取れそうですから失敗しませんよ」
と、その時。
「ひゃーはっはははははは!」
耳障り……というよりもこちらの背筋が伸びるような狂気の入った奇声。
黒いボンデージな衣装を纏った美女が、女豹のように破壊された窓から銀髪の少女を追って飛び込んできた。
顔立ちは美人だが、美しさよりも剣呑さが強調されるような、もうちょっとで三白眼というキツい目つき。
ぐっと絞り込まれた革のビスチェの上からは豊満な白くて丸いマシュマロのような胸(どう見ても九十八センチ以上はありそうだった)がこぼれそうだ。
「じょ……女王様?」
思わず薫が呟いた。
それも無理はない。
腰骨の遙か上、脇の下から測ったほうがいいような位置から始まる切れ込みとシェイプされた砂時計のような、腹筋の浮いた細いウェストと、胸よりはささやかだが、充分を息をのむようなヒップの張り出し。
銀髪の少女に負けぬ、長くて、そしてそれ以上にむっちりと、しかし「太い」と言われぬギリギリの脂肪が乗っているおみ脚の先は、踏めば穴が空きそうなピンヒールのブーツ。
ご丁寧に、肘まであるような黒い革手袋に包まれた手には、この服装ならば仕方がないと諦めるしかないような太く長い革鞭。
こちらも黒く輝いている。
「やあっと追いついたよニファーリア様あァッ!」
赤く染められた腰まである長い髪を片手でかきあげながらボンデージな美女が言った。
声も鞭のように鋭く恐ろしげで、薫の言うとおり「女王様」である。
「そこの銀髪の『剣』もろとも、このエスト・エルヴェイスが!」
そう言って、腰に下げていた長い革鞭で床を打った。
ぐいっと豊満な胸を反らし、片手をまっす伸ばして銀髪の少女達ふたりを黒革の手袋をはめた手で指さす。
「天国にイクまで優しくアイしてあげるわ!」
恐ろしいほど決まりすぎていて、その佇まいは現実感がまるでない。
銀髪の少女達もふくめて、映画か、舞台のワンシーンのようだ。
「おのれ……無礼な!」
銀髪の少女が睨むが、ボンデージ美女は鼻で笑ってこれをいなした。
「あらあら、弱りましたねえ」
その傍らで、白いマントの美少女は鼻かけ眼鏡を直して溜息をついた。
「まだ騎士様が見つかっておりませんのに……」
何とものんびりしていて、こちらもこちらで現実味はない。
「な、なんだ?」
「演劇部か映研の宣伝か?」
余りにも唐突な出来事に、教室内の人間は誰もが戸惑い、反応を躊躇していた。
固まったように身動きせずに状況を見守るだけだ。
無論、ただの高校生である城崎薫もその中に含まれている。
「くそ……ここでは人が多すぎて戦えぬ」
銀髪の少女は舌打ちし、日本語ではない言語で呟いた。
「え……?」
トレーを小脇に抱えた状態で、英語のヒヤリングでさえろくに出来ない薫は、なぜ自分が少女の言葉を理解できたのか、不思議に思うヒマもなく。
「逃げることはないじゃないか、ニファーリア様ぁ?」
ボンデージな美女が言う……こちらは明白な日本語だつた。
「この世界はアタシらの戦場、いつでもどこでも勝負勝負で殺し合いだぁ、文句はねえからあんたらだって宣誓書にサインしたんだろう?
アアん?
王女様ぁ?」
自分の方は特定の人たちが集まるところでは絶対恐らく間違いなく「女王様」と呼ばれそうな格好で、女はせせら笑った
「ま、本格的な勝負が始まるまでに『不慮の事故』で死んでもらえれば楽ってもんよ……神様の目も、この世界にはよく届かないらしいしねえ!」
二年ほど前、うっかり足を踏み入れた渋谷のセンター街でぐるりと中学時代の薫とその友人を取り囲みにきた「怖い人たち」が可愛く見えるような凶相狂眼で、赤いロングヘアをなびかせながら美女は言う。
「あのー、エスト殿とか申されましたね」
おずおずと手をあげてニファーリアと呼ばれた白いマントの少女が言った。
「ここは人も多うございますし、それに……私達はまだ騎士様を見つけておりませんので、戦いは後日、ということで、今日はこのお祭りを楽しみながら別れるということでは」
「バッカじゃないの?」
吐き捨てるようにエストは言った。
「騎士と契約を結ぶ前にあんた達を始末して、国交決闘自体をなくすためにアタシはアンタたちを襲ってるんでしょうが!」
「はあ、そうですか」
ぼけ、っとした白いマントの少女をかばうように銀髪の少女が前に出る。
「エスト!
この卑怯者め!
タイハンの騎士は恥を知らぬのか!」
銀髪の少女が吐き捨てた。
「騎士の不在を狙って仕掛けてくるとはどこまで性根の腐った奴!
それでも姉上の使い手か!」
「うるさいねえ、武騎人の癖にご主人様に指図するんじゃないよ!」
「貴様を主人に持った覚えはない!
この恥知らずめ!」
早口のやりとりだが、理解できているのは薫だけらしく、他の連中は遠巻きにこの、唐突に始まった演劇ともリアルともつかない状況を眺めているだけだ。
「主なしの武騎人のくせに、人に意見するんじゃあないよっ!」
ボンデージの女が鞭を手に姿勢を低くし、次の瞬間には右腕がかき消えた。
空気を切り裂く鞭の音は後から響き、それよりも先に腰の後ろから何かを抜く動作をした銀髪の少女の手から黒いものが飛び、さらに右腕の布地が宙に舞うのが、薫の眼にくっきりと映った。
「くうっ!」
手首を押さえて思わずうずくまる銀髪の美少女。
「ほぅら、無粋な飛び道具はもう使えないよ……そうら!
次は王女様だあ!」
本来は人間の数十倍ある分厚い皮膚をもつ牛や象を操るためにつくられた革の鞭が再び襲いかかる。
「ぐあっ!」
銀髪の少女は背後の少女の上に咄嗟に覆い被さり、背中の布地を裂かれた。
「え……?」
「そうらそうら!」
凶相狂眼の美女は、興奮に目を輝かせながらさらにもう一本の鞭を反対側の腰から取り外して振るう。
少女の苦鳴と鞭の音が少年の耳に数秒重なる。
鞭は鋭い歯となって少女の背中に食い込み、遂に覆う布地もなくした白い肌に無惨な爪痕を刻む。
本来ならこういう場合、真っ先に美女相手なら飛び出してきそうな体育会系の五郎や、クラス一のプレイボーイを(洒落半分に)自称している真田雄介までもが、女装したせいか拳を口元にやって縮こまる「まあこわい」のポーズで教室の隅に固まっていた。
つまり、誰もがこの唐突な状況に対応していないのだった。
暢気なまでの活気に満ちた学園祭という非日常から、それ以上に「鞭で打たれる美少女」という現実世界から完全に乖離したこの状況に、誰もが思考を失い、呆然と成り行きを見守る……が、
「!」
瞬間、はっと少年は我に返った。
「だ、ダメだってば!」
この緊急事態に何とも暢気なことを言いながら、それでも床を蹴ってミストレスな美女の背中に飛びかかった。
羽交い締めにすれば、と思ったのだが、
「うっさい!」
不意打ちはならず、美女は薫を背負い投げにして銀髪の少女のところまで放り出した。
頭や背中から落ちず、何とか受け身を取れたのは奇跡に近い。
それでも左半身をフローリングの床にたたきつけられて息が止まりそうになる。
「か、カオリ……様!」
銀髪の少女がかばっていた白い少女が、薫の顔を覗き込んで口をきいた。
「つー!」
激痛に顔をしかめながらも、少年は声のほうを向いた。
頭にターバンのようなものを巻き、かつ白いマントを纏った、ファンタジーものに出てくる「賢者」そのまんまの格好をした眼鏡の美少女の顔がアップで目に映った。
どこかで観た気がする。
「見た」ではなかった「観た」だ。
「へ……?」
さらに混乱と苦痛で、少年は自分の名前を呼ばれたと思い込んだ。
「何で僕の名を……」
「ああ、やっぱりカオリ様!」
「何!?」
鞭使いの美女の動きが固まった。
「カオリだと?
伝説の『勇者』なのか、そいつ!」
一瞬の隙を逃さず、銀髪の少女が飛んだ。
振り向きざま、上から下への後ろ回し蹴り。
長い足が、ボンデージ美女の鞭のように鋭くしなる。
「くっ!」
ボンデージ美女はすかさず後ろへ飛んでコレを避けようとして、窓から飛び出した。
そのまま窓の外へ落ちる。
銀髪の少女の踵は、空振りしてフローリングの床を粉砕する。
周囲で悲鳴があがった。
ようやく、教室内の生徒、お客を含めた全員が、コレが手の込んだ即興演出ではないと気がついた。
誰かが金切り声をあげ、それを合図に誰もが出入り口に殺到する。
「こら、くそ、止めないと!」
男子の何人かが我に返って薫の加勢に行こうとするが、人の流れに押し流されて行くのが視界の隅に見えた。
「カオリ様ですね!
シャルロット!
この方です!
この方が我らの『戦神騎士』様です!」
眼鏡の美少女が歓喜の叫びをあげ、銀髪の少女ははっと顔をあげ、薫を見た。
どちらも街中を歩けば人の眼を引くこと必至の美人に食い入るように見つめられ、薫は戸惑った。
ふたりの視線はどちらも、初めて出会った人間を見つめるものではなく、片方は懐かしさと親愛、片方は無限の尊敬と安堵がこめられている。
「え……と?」
首を傾げる薫だが、疑問を口にしようとした少年の前に影が落ちた。
「は?」
銀髪の少女の顔が、どアップで目の前にあった。
「母からお名前は伺っておりました、お会いできて光栄です、カオリ様」
さらに、少女の閉じた目のどアップが少年の目に映る。
「失礼します」
恐ろしく柔らかくて、甘く、いい匂いのするものが唇に押し当てられる。
キスされていた。
薫の、人生初めての口づけだった。




