37
「なんなのだ、これは一体!」
どん、とテーブルを叩き割る勢いで拳を振り下ろし、シャルロットが大声をあげそうになり、慌てて口を押さえて赤くなった。
何しろ、野中の一軒家ではなく、学校近くの喫茶店である。
一番奥の大人数席には壁際にニファーリアとシャルロット、対面には楓と真衣、そして隣の大人数席との間に薫という配置。
ちなみに、薫はチャイナドレスではなく、いつもの学生服に着替えている。
グリーンを基調にした落ち着いた内装だが、学生が躊躇するほど敷居が高くない、という典型的な「ちょっとおしゃれな」で認識されている学生向け喫茶店というやつである。
そんなわけであるから、客のピークが終わった夕方と夜の間の時間とはいえ、彼女たち以外に客がいないわけではない。
国交決闘が突如中止になって、張り詰めたテンションがそうそう簡単に日常モードに切り替わるわけもなく、薫たちはクールダウンのためにここへ流れてきた。
「し、しかしそれにしても無礼というか非常識というか」
シャルロットは声を抑えていたが、次第に声が大きくなってしまう。
よっぽど腹に据えかねているらしい。
「ほとんどの国が国交決闘の無期延期とは!
恥知らずにも程があります!」
「まあまあ、シャルロット、あまり熱くならないで」
優しく言いながらニファーリアは微笑んだ。
「は、はい」
申し訳なさそうに小さくなるシャルロット。
「しかし、何かあったのかねえ?」
他の連中よりひとあし早く来たチョコパフェに手を付けるわけにも行かず、口にスプーンだけをくわえた楓が背もたれにだらしなく上半身を預けて天井を向いた。
「王女様、何か、そっちには連絡ないの?」
「そうですわねえ……私たちは国交決闘を仕掛けた側ですので、本国との連絡は限定されてますから、明日か、明後日ぐらいでないと」
「国交の失敗ってのは辛いねえ……しかし、どこの国も事情説明をロクにしてないってのが引っかかるわね」
今日、ぞろぞろとやってきたバイク便(中には定報形式でNTTから来たものもあったが)、が運んできたメッセージの内容は揃いも揃って、
「国家的事情により、国交決闘の無期延期をお願いしたい。
詳しい事情の説明は現在我々も召喚命令を受けているので追って後日、ご無礼の事平にご容赦」
という定型文ばかりであった。
つまりこれは何の説明もせずに「悪い、用事が出来た」と言ってるだけに等しい。
ニファーリアによると国交決闘の延期を申し出る際の定型文なので問題はないらしいが(ただし、事情説明は必ず後でしなければならない)、それにしても一斉に、というのが異様である。
「普通は、ひとことぐらい事情説明があるものなのですが……」
どうもそれが引っかかる、というのがニファーリアの意見だ。
「何か新たにニファーリアたちの国をハメるべく、な国際的陰謀だと面白いけど、現実はそんなドラマチックじゃないからなぁ」
楓はそう言ってしばらく中天を見つめる。
「……じゃあ、ひょっとしたら『当たり前だから』なのかな?」
ぽつん、と薫が言った。
「ほら、メールとかでもあるじゃない、大急ぎで作ったクラスメイトへの一斉送信のお知らせとかで、ほとんどの人間が知ってることはすっ飛ばして書いて、事情がよく判らない人から『今のメールどういう意味?』って聞かれるパターン」
「ああ、あるねえ……」
ふんふん、と楓は頷いた。
「つまり、どの国も知ってて当然の騒ぎが向こうの世界で起こってる?」
推理する名探偵の顔であった。
「それこそ、国際的大事件なのかも」
「でも、ほとんどの国が国交決闘を中止するなんて……それほどの大事件というのがあるのでしょうか?」
「んーわかんないわねえ」
ふと、薫は気づいてニファーリアに向き直った。
「あのさ、ファリイ。
ほとんどの国って言ったけど、全部、じゃないの?」
「はい。
タイハンからは通知は来ておりません」
「出し忘れたんじゃないの?」
楓は素っ気ない。
「そういう人には見えなかったけどなあ」
薫はタイハンの調停王子、シムトの顔を思い浮かべて呟いた。
前回の戦いで、彼は常に公明正大に国交決闘を行おうとしてくれた。
ある意味、「閃光大剣」アドネと「雷撃騎士」エストという、初陣相手にはキツすぎる強力コンビに一勝するチャンスを与えてくれたのは彼とも言える。
「電話番号とかは判るわけないよね」
「まあ、流石に……」
「あ、あたし知ってる」
「へ?」
楓がゴソゴソと携帯電話を取り出した。
「この前の国交決闘の時に次回決闘の日取りを知らなくちゃいけないからって、えーと、アドネさんだっけ?
あの髪の長い女執事の人から携帯電話の番号聞いておいた」
この少女がこの国交決闘を食い物……もとい、国交決闘をショーアップしてそこそこの小銭を稼ぎ、ニファーリア達がこの世界に留まるための費用の一部として「募金」してくれているのは知っていたが、そこまで本格的なプロモーター的行為をしているとは思わなかったので、薫はまじまじとおでこの広い眼鏡少女を見つめた。
「えーと、たしかタイハンは英数記に入れておいたから……あ、これこれ」
と呼び出して、いつでもかけられる状態にした楓は、ニファーリアへ、
「どうする?
自分でかける?」
「いやあの、えーと……こ、こういうことはあまり慣れてないものですから」
唐突な状況に、ニファーリアが慌てふためく。
横では複雑そうな顔をして、シャルロットが横を向いた。
「すまぬが、カエデ、お前がかけてくれ」
アドネはシャルロットの姉であり、同じ武騎人である。
が、色々な事情が絡まり合って今は敵国の側だ。
妹とはいえ……いや妹だからこそ、気軽に電話などはかけられない。
「……ま、いいけどね」
あっさり言って、楓は送信ボタンを押した。
スマホを耳に当てる。
「ありゃ、『現在電波の届かないところにあるか、電源が入ってないので、かかりません』だってさ」
楓が肩をすくめると、シャルロットの口から小さな溜息が出た。
「……」
エストはとある駅の有料トイレの個室に潜り込んだ。
さすがに今はいつものボンデージな衣装ではなく、その上からコートを羽織っているという、まあ、これはこれで風俗のおねーさんの出勤風景な格好である。
手には大きな紙袋。
便座の蓋を閉め、その上に置く。
コートを脱いで、トイレのドアにかけた。
別に、これから薫へ喧嘩を売りにいくとか、偵察するとかいう国交決闘に絡む「軍事的行為」のためではない。
暇つぶし、である。
国交決闘は一カ月後、と決まりはしたが、今朝からおかしなことになっていた。
本国への定期連絡が取れなくなったのだ。
異世界であるエストの国、タイハンへの連絡はそうそう取れるものではない、七日に一度、タイハン王城にある王宮魔導官を通じて「専用回線」が開かれる。
端末は、シムトの部屋にある、大人の握り拳大の水晶玉だ。
非常事態が発生したときには一度だけ、こちらから向こうへ連絡を送ることが出来る優れものである。
ところが、今朝、いつもの時刻になっても王宮からの連絡が来ない。
タイハンは大きな国であるが、 それを維持するための社会制度は充実しており、その基本中の基本は時刻の正確さだ。
こちらの世界で言う一分どころか、二秒を超えての遅刻は、場合によっては担当者の斬首を意味することがある。
十分経過しても、二時間が経過しても、こちらへの連絡はなく、水晶玉はぴかりとも光らなかった。
シムトとバルートは、こちらから連絡を入れるべきかどうかの話し合い中である。
馬鹿馬鹿しくなったのでエストは気分転換に「散歩」に出た、というわけだ。
不安がないのか、といえば嘘になる。
実を言えば、二日ほど前から嫌な予感が背中にぞわぞわと張り付いている。
水晶玉が光らなかったとき「ああ、やっぱり」とさえ思った。
故郷にはようやく病から立ち直ったばかりの母と貧困から救われたばかりの妹たちがいる。
ひとは所詮最後はひとり、と思ってはいても、心配にはなる。
が、その心の柔らかさが騎士としての弱さに繋がる、ともエストは考えていた。
「バルートみたいな穀潰しじゃなくて、神官様か魔法使いでも連れてくりゃあ良かったんだ」
呟きながらエストは紙袋を開けた。
紙袋自体は、宿泊しているホテルの貸金庫に預けてあるもので、カウンターで受け取るようになっている。
まず小さな卓上鏡を背もたれの後ろにある荷物置場に置いて角度を調整。
そして服……いかにも目立たない、仕事帰りの疲れたOLそのままの地味なねずみ色のワンピーススーツ。
都内では有名な「二十四時間営業の何でも屋」で購人した宴会用の物だが、上からコートを羽織ってしまえば大して目立たない。
そして分厚い眼鏡レンズ二度は入ってない。
そして髪留めのピン。
十分ほどすると、凛々しい顔つきのいかにもなSMの女王様は消え、仕事帰りの疲れたOLがひとり、トイレの中に立っていた。
「ま、こんなもんだろうね」
鏡を見て呟き、紙袋の中に仕舞い込む。
少し背中を丸め気味にして、外に出る。
洗面台では何かスポーツでもしているのか、すらりと背の高い女子高生が化粧を直しているところだった。
(……貧乏でもないのに娼婦の真似をする小娘が当たり前の世界、か)
苦笑いを浮かべながらエストはその横を通り抜け、トイレから出て行った。
女子高生のスカートのポケットでスマホが振動する。
それをよく訓練された兵士が銃を抜くような、スムーズな動きで取り出して開け「斎京楓」と表示されているのを確認すると、女子高生は「失礼」とでもいう風に目を伏せてポケットに戻し、エストの後を追った。
眼鏡をコンタクトに変え、髪も黒いウィッグを着けているが、それはエスト専属の武騎人にしてシャルロットの姉、アドネだ。
が、そう言われても知り合いの誰もが目を疑うこと間違いなしの板に付きぶりであった。




