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結局、何も判るわけでもないので、不完全燃焼な雰囲気のまま、場は解散となった。
薫たちは帰り、楓と真衣はその場にしばらく留まる。
それからナポリタンがひと皿(楓)とラザニアがひと皿(真衣)、さらに楓がパフェをふたつ、真衣が沖縄風氷ぜんざい(小豆ではなく、金時豆を使い、白玉粉を入れ、かき氷の上から振りかける)を三つ平らげた。
喫茶店は、さらに冴えないOL風の客も入ってきたりとそれなりにまったりと繁盛しているが、乙女いや、漢女ふたりは構わずに甘味を消費し続ける。
その間は充分に他愛のない、クラスのことや学校の先生のことなど、普通の女子高生と同じような会話が飛び交う。
気分のクーリングは終了したかに見えた。
が、食事は所詮食べている間、思考を一時停止する役割しか果たさない。
空いた皿が回収されてきっかり二分、沈黙が落ちる。
「あー!」
不意に、斎京楓は叫んで頭を掻きむしった。
「だめ、ぜんっぜんよろしくない!」
それまで「雰囲気」レベルでしか言い表せなかった感覚が、食事による思考の一時停止によって逆に明確な形となったことが、一気に少女の口から吹き出した。
「駄目、駄目、ぜーんぜんだめっ!
来ないわ、こー、ぐっとくるっていうか、ドーっとなるっつーか!」
「何がなの楓ちゃん?」
真衣はニコニコしながら聞いてくる。
幼い頃からの熱心な読者で、今なお熱狂的に斎京楓というネット小説家のファンにして信者にして、さらに言えばスポンサーでもある真衣にとって、こういうおしゃべりは大抵、「次の面白い小説のための最重要工程」が始まったことを意味する。
喜ばしい事態なのだ。
もっとも、現在の楓の小説は城崎薫という少年の犠牲の上に成っているので、ある意味それは彼の新たなる災難が始まることを意味する可能性が高いのだが。
そして、斎京楓は作家や思想家の一部がそうであるように、自分が喋ることで思考をまとめることが加速される少女でもあった。
「だからね、第二章に入ったというのにサプライズがないのよ
男が足りないのよ!」
別に男に飢えているとか、これからの高度老齢化社会を憂いていたりするわけではない。
単純明快、彼女の書いている小説の話だ。
よりにもよってクラスメイトである城崎薫を主役にした半分ノンフィクションの連続ネット小説なのだが、これがまた、どうも煮詰まっている。
今日の国交決闘でまた新しい展開があるもの、と作家としての楓は期待していたのだが、サプライズも何も、決闘そのものが中止になっては如何ともしがたい。
「でもこの前、シャルロットさんを男にして何とかしてるんでしょ?」
楓の小説を熟読しているので、真衣は即座に状況の整理を始める。
現在、真衣の父の会社を通じて人気コンテンツとなりつつある楓の小説は、現実を反映して、主人公であるカオルは国家間の諜報戦争に巻き込まれ、そこでスパイの一員として良き先輩シャルロットと、スパイチームの長であるニファーリア(彼女はアクセントとして女性キャラのままだ)と共に諜報戦の暗い闇に迷い込み、戦っている。
この「超展開」は賛否両論を巻き起こし、契約を解除する読者も出たが、逆にそれが宣伝効果を及ぼして加入者を増やし、また拒絶反応を示した説者のうち六割以上も結局は再契約、という幸運な状況にある。
「でもシャルロットは薫君と恋仲じゃないものー!
ああ、失敗したー!」
「そうねえ、どっちかっていうとニファーリアさんの方がバランス取れてて良かったんじゃないの?」
「いや、そういう方向じゃなくて、葛藤、コンクリフト、対立するあるいは別ベクトルに物語を引っ張ろうとするキャラが足りないのよ!」
ぐいっと拳を握りしめて楓。
「第一部はさ、状況説明とキャラクター紹介がメインだからいいのよ!
あとはインパクトって感じで何とかなるんだけど、問題は第二部!
すでに世界観は一巻で説明されているしキャラクターたちは確立されてるから、二巻目は別の目玉がいるのよ!」
「そこで全体を通してのストーリーを動かし始めるんじゃないの?」
「全体を通してのストーリーを構築するのは一巻の段階でもやれるのよ、問題はその大きな、ゆったりとした流れに付き合ってもらうための『仕掛け』、これが大事なのよ、これが!
なんていうか、ほら、えーと二巻ならではのサプライズ?」
「つまり新キャラ恋敵?」
「そう!
ソレよ!
新しいキャラクター、ライバルとか!」
いや、それはガジェットのみに頼ることになるので、インフレを起こす可能性もありますがな、という声もあるが、とりあえずノリと勢いが命の斎京楓、この辺はむしろ自分の中で納得できるか否か、ということらしい。
「んー確かに、現実には薫君に絡む人でそういう人はいないわよねえ」
「そうよ、彼の人生を無理矢理ねじ曲げるっつーか、人生に修正を加えるというか、そういう強力なキャラがいないのよ!」
自分たちは数に入っていないらしい。
「そうね、出来ればおじさまがいいわ」
「年上系?」
「そう、薫君が十代なんだから、ここいらで三十がらみの渋いおじさまが欲しいわ。
彼を教え導く、あるいは最後に立ちふさがる最大の存在、仰ぎ見るようなキャラとして!」
「それは当分ないんじゃないかな?」
「どうして?」
「だって、それって今の敵を倒さないと出てこれないわよ?
あと新しい強大な敵とか」
「ああ、なるほど……確かに、今の敵さんってのはアレね、あんまり圧倒的、というか、良い具合に噛ませ犬っていうか」
エストが聞いたら百回は殺されそうな話である。
いや。
「お前ら……」
真衣の背後でそれまで背中を丸めて紅茶をちびちび舐めていたOLが、外見と反する凛々しい声を唇から押し出しつつ、こちらを向いた。
ぎろり。
度の入ってない眼鏡越しの眼光に、真衣が「ひっ」と喉の奥で悲鳴を凍らせる。
「?」
楓が首を傾げる中、OLは眼鏡を取り、髪をアップにまとめていたピンを取る。
ついでに、宴会用のコスチュームらしく、肩の辺りをホックで留めてるだけの衣装を引き抜いた。
そこにはボンデージな衣装を纏った、異世界の女騎士の姿がある。
「あら……いたの?」
楓はまるっきり動じない。
「こういうときに出現するキャラだとは思わなかったわ」
「か、楓ちゃん、こういうときに冷静なのはちょっとマズいんじゃないかなぁ……」
「何て言いぐさだい、この……」
そう言って、エストは腰の後ろに下げていた鞭を取る。
「黙って聞いてりゃあいい気になって噛ませ犬だの、圧倒的には強くないだの弱っちいだの没落騎士で家柄がよくないだの実はあの衣装恥ずかしくないのかだの実は結構な年齢いってるんじゃないかだの無事に結婚できるのかなだの、言いたい放題に言ってくれるじゃないの、ええっ!」
両手で鞭をぎりぎりとねじ上げながらエストは凶暴な笑みを浮かべた。
「あ、いや少なくとも圧倒的に強くないだの以後の台詞は発言にないんですけど……」
腰を浮かせた真衣がかろじて抗議のか細い声をあげるが、さらなる「じろり」でそれも空気の中に消えた。
「まあ、本人が認める事実、ってことね……あなた、意外と内罰的思考の常識人なのね」
感心したように楓。
「ちょっと意外……でもいいわね、そういうの……メモメモ、っと」
あろう事か懐からリング式のメモ帳を取り出して何か書き始めた。
この少女にとっては世界に存在するすべてがネタなのだろうか。
物怖じしないにもほどがある。
「こら、何してるんだ、人の話を……!」
さすがにエストが鞭をアンダースローから振るおうと一度手を下ろした。
……その時、束ねられていた鞭の先端がうっかりと、彼女の隣に置いてあった紙袋にぶつかる。
大きく膨らんでいる割に軽い中身の紙袋は椅子から落ちて、中を床にこぼした。
「あ!」
怒りも一瞬忘れ、エストは床に転がった中身を回収しようと身をかがめる。
「あ、その縫いぐるみ!」
と可愛いモノに造詣の深い真衣が、さっきまで怯えていたのも忘れて中身を言い当てた。
「いちか工房の新作ー!」
「な、何で知ってる!」
こんなところで同好の士に会えた、という嬉しさと同時に「まずいものを見られてしまった」という焦燥感がない交ぜになった表情で、エストは真衣を見た。
「だって、私も買ってますもん!
いちか工房は新作だけ包装紙が違うんですよね!
今日、ってことは『ねこのろくたん』のお座りバージョンでしょ!」
「ああ、そういえば真衣がこの前、欲しかったけど整理券取り忘れたー、って喚いてたアレ?」
「そうそう……お好きなんですか、こーゆーの?」
真衣は完全に「お仲間」を見つけた嬉しさで目を輝かせている。
「こ、これは、い、妹たちへの贈り物だ!
絶対にあたしのためのものじゃない!」
「……本当?」
楓がひどく人の悪い笑顔を浮かべた。
視線が絡み合い、沈黙が落ちる。
その数秒の無音状態が雄弁に「嘘です」と物語っていた。
「くっ」
エストは舌打ちして、席に戻った。
それを心配そうに見ていたカウンターの向こう側では喫茶店の主の妹が溜息をつくのが見え、楓は「ごめんなさい」と片手でそちらの方を拝む。
「その通りだよ、好きにしな、笑いものにでもなんでもするがいいさ」
そう言ってエストはうつむき、ぐっと唇を噛む。
「あら、逆ギレしないんだ」
「……あたしだって騎士の端くれさね。
国も大儀も関わりのないところで感情を爆発させるほど愚かじゃないさ」
どっかと座り込み、ボンデージ美女はぎゅうっと両腕で包装紙ごとぬいぐるみを抱きしめた。
なんとなく、いつもと違って幼く見えるのは、その瞬間だけ、彼女が普段の姿の下に隠している真の姿が垣間見えるからだろう。
「おをを!」
ぐっと拳を握りしめ、楓は眼鏡の奥の瞳をきらきらと輝かせた。
「いいね!
その羞恥心!
恥じらい、義の心!
秘めてこそ花!
花こそ瞳、立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿はカリフラワー!」
「?」
「いいねえ、いいねえ、実にいい!」
どうにも人をほめているのか茶化しているのか、この少女小説家の言動はよくわからない。
ひょっとしたら両方なのかもしれなかった。
「来た来たキタ!
そうだ、次の展開が来たわ神がきましたキマシタよォーっ!」
「わーい!」
横で真衣がぱちぱちと拍手をする。
もうわけがわからない。
「……こいつら、何者?」
こけ、とエストが首を傾げたが、ふたりの少女は堅く手を握りあい、
「楓ちゃん、小説の神様が来たのね?」
「うんうん、キタキタ!
この前の超展開からさてどうしようかと思ってたけど、やっぱりここはキャラを掘り下げて読者を少し落ち着かせるべきだとわかったわ!」
「じゃあ、しばらくカオル君(楓のネット小説の主人公のほう)はアレなのね?」
「いや、むしろこれがそーだから、アレは何にしておいて、一時棚上げして、彼をナニしておいてから、一気に引き落とす形にしてナニするわけよ!」
「うわー、でもカオル君は薫くんと違って、誘い受けでしょ?
どっちかってーと」
「そこはそれ、ほら、ドンデンよ、ドンデン!
さらにまたドーンと展開させて、アレが恥じらいながら、ってのがいいんじゃない?」
当事者というか、モデルである薫自身が聞いたら涙目になって「やめてー!」と言い出しかねない、指示語だらけながらとても淫靡なことが妄想されているらしい会話を少女達は続ける。
「……翻訳魔法はちゃんと機能してるはずなんだけどねぇ?」
エストは首をますます傾げ、しかるのちに、カウンターの中にいる気弱そうな店長代理の少女の視線に気づいて、あたふたと脱ぎ捨てた衣装を再び着用し、ホットケーキセットを追加注文した。
五分後。
どうやら脳内麻薬大全開の「打ち合わせ」が終わってぐったりと真衣が座り、楓は膨大な量のメモを書いて、制服、ボックスプリーツなスカートのポケットに戻した。
「ふう……小説の神様は何とか捕まえられた、っと……」
「で、あたしを笑いものにとか、するわけ?」
ホットケーキを、見かけによらぬ優雅な動作で食し終えたエストが、死刑執行を待つ囚人の顔で訊く。
視線をエストに戻し、楓はやれやれ、と小さく息を吐くと、
「んなことしませんって。
あなたは薫君の敵役ではあるけれど、あたしたちとは単なる顔見知りだし、人間、趣味のひとつも持たないような奴は付き合ってても面白くないしね」
「……」
意外な言葉に顔をあげるエストヘ、おいでおいで、と手招きする斎京楓。
誘われるままに、エストは席を移った。
真衣が「どうぞ」とひとつ席をズラしてくれたので、エストは楓の直接対面に座る。
「それ、本気なのかい?」
不信感そのままの、しかし完全に「嘘」とは決められない顔でタイハンの女騎士が問うのへ、
「こういう秘密は言わないわよ」
嘘偽りのない言葉で楓は応じた。
「第一、言ってもお話は面白くならないもの。
薫君にとっては『ああ、そうなんだ』だし、あなたにとっては恥かくだけだし、あたしはあなたに殺されかねないし……意味のない嫌がらせをするほど、あたし暇じゃないもの」
「なるほど」
損得勘定の理屈は通っている。
だからエストは納得した。
先ほどの侮辱の件も、今までの真衣との会話をみて「こういう連中なのだ」と納得してしまっていた。
「つーか、そういう属性は考えてなかったわね……そうか、可愛いもの好きのツンデレ系ってのも面白いわ」
ブツブツ言い出して楓が新しいメモを取り出し書き始めた。
ちなみに、先ほどのメモ帳もちょっとした辞典並の厚みで、この新しいのも同じくらいあるのだが、楓のスカートは不格好に膨らんでいなかった。
一流のネット小説家のみが持ち得る特殊技能なのか、それとも、斎京楓だけが持つ特殊能力なのかは定かではない。
ともあれ、楓は周囲の存在を完全にシャットダウンして、一心不乱にメモ帳を埋めていく。
そんな冗談みたいなスピードで、買ったばかりのメモ帳がみるみる裏表を文字で埋め尽くされ、次々とめくられていく。
どうやら脳の中にある作家エンジンがさらにブーストアップし始めたようだ。
「……?」
首を捻るエストの横で、真衣が、拾ってきた子犬が元気よく食事を始めたのを見る小学生のようにニコニコと、何度も頷いてそれを見守る。
「どうも、ただのヒト族じゃないのか……?」
首を傾げるばかりのエストである。
「ところでさ」
猛然とメモを取りながら、目も上げずに楓が訊いた。
「エストさん……だっけ?
あなた、男だったら薫君をどう落とす?」
「?」
「つまりね、あなたが男で、薫君が好きで好きでたまらない、ってなったら……」
「ば、馬鹿をお言いでないよっ!」
思わずエストは真っ赤になって叫んだ。
「な、何であたしはあいつのことが好きにならなくちゃならないのさっ!」
わたわたと手を振り回し、あやうくぬいぐるみを放り出しそうになるのをまた慌てて抱きかかえる。
ぎゅー。
エストの腕の中、 包装紙がくしゃくしゃになって、 中のぬいぐるみがさぞ苦しかろう、と察せられるほと抱きしめられる。
「あ、エストさん、てにをはが間違ってる」
真衣の鋭いツッコミが入った。
ぴく。
楓の眉があがった。
「ほほぅ……」
ゆっくりとその顔があがる。
楓の眼鏡が、天井の灯りを反射して輝き、魔界の魔物のように見えた。
「ちょっとあなた、今おもしろい反応したわねえ」
地獄の底から、亡者たちを招く魔王の声は、おそらくこういうものであるに違いない。




