31
車から降りたエスト達は、学校の女生徒に案内されて校庭の真ん中までやってきた穏やかな風が吹いている。
すでに相手は待っていた。
長いローブを身に纏った黒髪の少女と、傍らに立つ銀髪の武騎人の少女。
背後には立会人であり、主催者でもある金髪眼鏡の王女。
シムトとニファーリアは優雅に一礼し、騎士達は無言で見つめ合う。
校庭に人はいないが、校舎の窓には鈴なりの少方女達がいた。
「では、さっそく始めましょう」
ニファーリアが言う。
「そうですね」
ふたりは頷き合い、互いの指に神々の契約の証である指輪を出現させた。
「我ら、契約と闘争の神、ヴァルチルードに誓わん!」
ニファーリアとシムト、ふたりの声が朗々と校庭に響き渡る。
「是より国の威信と利益をかけ、国交の戦を騎士と剣で行わん!
神よ、神々よ、ご照覧あれ!」
そう言って軍神の指輪を引き抜き、鮮やかな手つきで空に飛ばした。
ふたつの指輪は光の粒子となって波紋を空に刻みながらはじけ飛び、この決闘の場所を光のドームで包み、その外にある校舎まで戦いの影響が及ばないようにする。
〈よろしい、我が世界の子らよ〉
どこからともなく、男女どちらとも判らない威厳に満ちた神の「声」が再び響いた。
〈汝らの宣誓を我ら、聞き届けん〉
戦いの時間を示す、平たくした砂時計を捻ったような形をした幻が出現する。
〈再戦であるので説明はない。
汝よ、三度目まで行うか、それとも今回のみでまた日を改めるかを決めよ〉
「じゃあ、今回も一回だけで」
それは最初から決めていた。
〈よろしい〉
今度は褒め言葉はなかった。
「えーと、じゃあシャルロット」
「……うむ」
きっ、と引き締まった表情でシャルロットが前に出る。
手のひらのぬくもりと、柔らかさが混じる。
羞恥心は緊張感が押さえ込んでくれていた。
「行くよ」
「判った」
手を握りしめたまま、ふたりの唇が重なり、学校の観客から悲鳴とも歓声とも思えるどよめきが広がった。
シャルロットが銀色の精緻な彫刻になり、形を失う。
そのまま少年の右腕全体にまとわりつき、姿形を別の、滑らかな曲線を多用した鎧の腕と細身の剣へと変えていく。
同時に「契約」とそれに伴う「戦神の調律」現象によって少年の頭の中に刻まれ、普段は現れない「戦神騎士」として戦闘に関わる知識、能力が浮かび上がってくる。
だが、肉体や精神そのものの能力は頭に蓋を被せられたような感じで、全開されない。
そして、重い剣となったシャルロット。
少年は逆らわず、剣の切っ先を校庭に突き刺した。
(戦神さん、魔法を選びます)
神様に「さん」づけはどうかな、と思ったが、正式な信者でもない人間が他にどう呼べばいいのか判らず、少年は頭の中で語りかけた。
それだけで、今この場では用が足りるはずだ。
思考の中で、それまで選んでいなかった、自分が戦神騎士として使える魔法を選択する。
焔、雷、水、風、土、五つの系列からひとつ。
〈それで良いのか?
焔や雷と違い、風は扱いが難しい、簡単に直接攻撃に結びつけられる魔法ではないぞ?
まだ水や土のほうが防御に秀でておるはずだ……理解して選ぶのか?〉
どこにいるのか判らないが、確実にこの場を見守っているであろう戦神が頭の中へ直接尋ねるへ、少年は大きく頷いた。
「ほぅ……」
剣を構えず、そのまま突き刺して柄の先端こじり、と呼ばれる部分に手を置いた少年の奇妙な様子に、エストは首を傾げつつ、アドネと唇を重ねた。
水銀の彫像と化したアドネが、瞬時に形を変え、エストの肢体にまとわりつき、そして武器となる。
スパイク状の部品や刃物のようなエッジが目立つ鎧腕で、巨大な剣を肩に担ぐようにして持つと、ボンデージな美女は前回同様の名乗りをあげた。
「さて、じゃあ始めようか」
にやりと笑ったエストの狂目が、射るように少年を見つめる。
一瞬、背筋が震えそうになったが、辛うじて少年はそれを押さえ込んだ。
こっくりと少年は頷いた。
さり気なく、左人差し指に塡めた指輪の台座を重い鎧に覆われた右手の指先で回す。
指を台座から離した瞬間から、魔法は発動するはずだ。
「三……二……一、今だ!」
台座を指から離した瞬間、全てが激変した。
薫は剣と化したシリオラを握りしめたまま、遙か後方へと跳ぶ。
身体が熱く、胸が重くなる。
脚の付け根が頼りなくなる感覚。
被っていたフードの下、質量保存の法則に従って髪の毛が伸びる。
そして、全知覚、肉体の全てが「拡大」されるあの開放感とぞくぞくするような楽しさ。
城崎薫という高校生から「それ以上の何か」になる……いや、すでになった、という確実な実感と満足。
着地すると同時に、少年は片手を地面について蜘蛛のように腰をかかがめながら、軽々と剣をかざした。
フード付きのローブの裾が翻り、倒れたフード部分から、黒髪が露わになる。
いつものどこか気弱な顔立ちの薫が、今は凛々しく引き締まった戦士の顔になっていた……それも美少女、と上に付く。
「おお!」
校舎の窓に鈴なりになった生徒達の間から、女装であることを差し引いても、その美貌とあまりにも「絵」になる姿に感嘆の声が漏れる。
「へえ、前回とは違うんだねえ。
動きがまるで別人だぁ」
いきなり薫の懐に飛び込み、上下に立て続けの斬檄を三回放ったエストは、剣を振り下ろした格好のままで笑った。
「一撃で終わるかと思ったら」
エストには、判っていた。
自分の最初の一撃の振り下ろしを少年が避け、さらに下からの振り上げをあえて受けることで後ろへと跳ぶ加速の材料にしつつ、さらに踏み込んだ三撃目を避けたのだと。
「まあ、前回と違って弱いもの苛めにはならないようだねえ」
にやり、と凶暴な笑みが浮かぶ。
彼女の脳の中にも、薫と同じく複数の「情報」が提示され「最適」なラインの選択が始まっている。
どう跳び、あるいは走り、斬りつけ、受け、 あるいは受け流し、どう防ぎ、攻めるか。
選択肢は無限にあり、そして選び取れるものは必ずひとつ。
どのラインが正しいか「未来」だけは見えない。
選び取り、そして結果を受け入れる。
それだけだ。
選択することの恐怖はなかった……選択することで恐怖するのは「失えるもの」があるからだ。
(貧民街にまで追い込まれたアタシに、もう後ろなんかないんだからね)
今、母親や妹たちはそこから抜け出しているが、それはマイナスがゼロに近づいただけだとエストは考えている。
ゼロにすらなっていないものが、これ以上になることはない。
自分が負けて、全てが奪われても、母親は魔法治療によって健康になり、妹たちは飢えない暮らし、という「上」の生活を味わった。
あの貧民街での生活を受け入れて、埋もれることを良しとは出来ないだろう。
原動力が「欲」であれ「飢え」であれ「夢」であれ、より良いものを選び取る意味を知ってくれれば大丈夫。
ならばたとえ自分が死んだとしても、その意志は家を再興するという目的は妹たちに受け継がれる。
それでいい。
最悪の選択をしたとしても、それを受け入れる覚悟はあった。
もっとも、ただ受け入れられるほどのお人好しではない。
「楽しい戦いになりそうだねえ」
エストの声が心底楽しげに響いた。
ここから先は「騎士」同士にしか分かり合えない、ふたりだけの世界、命がけのダンス。
ステップを間違えた者が、タイミングを間違えた者が刃に倒れる。
下らない体力や肉体を意志が全てねじ伏せる異形の時間が始まるのだ。
親も、過去も、妹たちも、誇りも何もかもが遠くにあって手出しできない、純粋な時間。
ひとりっきりで縫いぐるみ達に囲まれている時にでさえも得られない時間。
薫のローブが脱ぎ捨てられて風に舞う。
「そうぅらあっ!」
エストが稲妻の素早さで殺到する。
その姿がかき消えた。
あまりにも高速で、しかもあらぬ方向へ跳んだため、周囲の人間にはそう見えたのだ。
今度は薫の背中で火花が散った。
後ろに回した剣が横殴りの一撃を防いだのだ。
が、大剣の勢いは止まらず少年はそのまま前へ跳び、肩から着地して無様に転がった。
逆にそのおかげで時間が稼げる。
反撃のための時間が。
さらにエストがその後を追う、そんな考えはすでに読まれていた。
剣を持たぬ左の手のひらが輝いて、幾本もの稲妻が少年目がけて走り、幾つかはその周辺の地面へ。
セーラー服を着けた薫の身体が、自分目がけて飛ぶ雷擊を避け、エストが計算した場所へと移動。
落雷と同じだけのエネルギーを秘めた雷撃は、瞬間的に土の中の水分を蒸発させ、 それが爆発という結果を呼ぶ。
薫の周辺の校庭の土が一斉に土煙と轟音を奏でた。
少年が逃げた場所は、その爆発の衝撃波が効果的に集中する場所だ。
タイミングは全て計られている。
さらにそこへ次の雷撃がかわせないタイミングで打ち込まれ、さらにとどめを刺すためにエストが刺突の構えで突進する。
「もらったぁあっ!」
稲妻が大剣の先端から円錐状に広がり、回転する。
「抉られろ愚か者ぉっ!
白銀の螺旋!」
展開する魔法の最後に「名前」と共に脳の中に直結された「方向性」を与えることで完成させ、相手に叩き込む。
稲妻のドリルは土煙の中へと突っ込んだ。
そして上へと向かう。
地面を封じれば上空に跳躍して逃れるより他はなく、そして少年の気配を、拡大化されたエストの五感は確実に補足していた。
無様に引き裂かれた衣装をまき散らし、四散する少年のイメージを脳裏に克明に描く。
心の奥底に僅かに残る嫌悪感は無理矢理に、身体にみなぎる高揚感でねじ伏せる。
土煙の彼方に、跳躍する少年のシルエットが浮かんだ。
どんな超人も、空中で姿勢制御は出来ない。
「いけええええっ!」
叫びながらエストは回転する刃となって突っ込んだ。
ふわり、とその切っ先がずれた。
違う。
相手がずれた。
「!」
瞬間、エストは自分の選択に重大な要素が欠落していることに気がついた。
「戦神騎士」が選べる魔法には「風」の魔法も含まれている。
普通は疾風や竜巻を起こして攻撃をするのが普通だが、自分に対して使えば、空中での姿勢を制御できる。
この少年は「風」の魔法を選択したのだ。
次の瞬間、円錐状に広がった稲妻の向きをエストは後ろにも収束させるべく意識を向けたが、それよりも早く、無防備な後ろに回り込んだ城崎薫の剣の切っ先の気配が背中に向けられた。
(刺される!)
思った瞬間、しかし刃の方向は違うところへ向いた。
エストの背中ギリギリをかすめ、展開された魔法の内側つまり、稲妻の円錐を中から切り裂いたのだ。
想定されていない方向からの、しかも武騎人の変化した武器による攻撃に、魔法は破壊され、その反動が術者であるエストへと「返る」。
全身を巨大な手のひらでひっぱたかれるような衝撃波が駆け抜け、今度はエストが無様に地面へ叩きつけられ、転がった。
辛うじて受け身をとってすぐに立ち上がる。
「な……」
信じられない話だった。
なぜなら、稲妻を風で防ぐことは出来ない。
そういう方法がないわけではないが、少なくとも今の状況でその方法は使えない。
頭の中で自分が行った攻撃に対する相手の動きを「風」の魔法という要素を入れて再構築してみたが、間違いなくそれでもあのメイド女装少年は雷撃を幾つか受けているはずだ。
たとえ戦神騎士であっても無事で済むはずはない。
土煙は収まらず、今度はふたりの周囲で渦を巻き始めた。
その渦が起こす気流にのって、ゆっくりと薫が地面に降りる。
どうやって防いだか、エストは悟った。
少年は、鎧で覆われた右手ではなく、左手で剣を握っていたのだ。
右手の鎧部分を「盾」としたのだ。
武騎人の変化した鎧部分は確かにその力がある。
少年の身体と服は、それでもボロボロだった……完全に防ぎきったわけではないらしい。
「なるほどねえ……」
にやり、とエストは笑った。
武騎人が鎧と武器に変化することは決して無意味ではない。
変化した武騎人の能力と戦神騎士の能力を全て引き出すために、発動システムとしての鎧であり、「発現」システムとしての剣なのである。
ソケットと電球の関係にそれは等しい。
電球をソケットから外してしまえば光らないのと同じで、鎧の腕に握られていない武器は、ただの金属塊でしかないのだ。
そして、さっきの状況で、自分が決定的な一擊を食らわなかったことを加えて、エストはある結論を導き出していた。
(この坊やはアタシを倒す度胸がない)
ぞわりとした笑みを口だけに浮かべて、エストは剣を正眼に構えた。
ボンデージな衣装に包まれた肢体に再び活力が戻る……いや、失われていないのだから当然だ。
(坊や、いい子だねえ……でも悪いけど、アタシは違う)
「死ねえええええっ!」
叫んで走る。




