30
一日おいて、朝が来た。
「あの……お祖父ちゃん」
少年は珍しく早起きして、祖父の部屋の前、縁側に正座した。
「起きてるぞ」
祖父は常に午前五時には目を覚ます。
「行ってきます」
戦いにおいて、あえて薫は祖父に教えを謂わなかった。
この家に来て五年、それ以前を含め、祖父は少年に素振りのやり方以外の剣を教えたことはなかったし、少年もダイエットに役立てるため以上のことを祖父に聞かなかった。
母親である香織が存命中にそれをさせなかった、というのが一番大きいが、祖父の人生や剣術にかける姿勢は、子供心におぼろげながら知っていたし、付け焼き刃で出来るものでもない、ということは物心つく頃には理解していた。
だから、たかだか三日で祖父にどうにかして貰おう、などという都合のいいことは考えていなかった。
とはいえ、何も言わずにああいう場所に赴くのは、さすがに違う気がしたのだ。
「そうか」
短く祖父は応えただけだ。
「帰ってきたら、剣術、教えてください」
そう言って、少年は襖越しに頭を下げた。
「お前もこっちに来るか」
静かな祖父の声は、苦笑と嬉しさが入り交じっている。
「ひとつだけ、教えておいてやろう……頭の片隅にでも覚えておけ」
「?」
するりと障子の隙間から、墨も未だ乾ききっていない和紙が滑り出てきた。
広げてみる。
「柔は突、硬は斬、面は打、打は活殺……ウチの流派の極意のひとつだ」
「柔は突、硬は斬、面は打、打は活殺……?」
「どういう意味かは自分で考えろ。
あとな」
と老人の声は一拍の間を置いて、
「女の子のために戦うのは男子の本懐だ、勝てよ」
笑っているような、泣いているような、冷やかしているような祖父の声に、
「……うん」
少年は和紙を折りたたんで制服の内ポケットに入れて頷いた。
夕方になった。
薫たちの通う学園。
学園祭が不完全燃焼で終わった学校の中に、残り火が再び燃え上がるような熱気がじんわりと染み渡り始める。
特に薫のクラスは、男女問わずそわそわとしながら誰ひとり家に帰ろうとはしないし、部活にも顔を出そうとはしない。
斎京楓の根回しはあらゆる意味で完璧であった。
「映画の撮影?」
学校の制服姿の薫がそう言って首を傾げた。
「そ、学校側にはそういう風に説明しといたわ……えーと仮にどっか壊れても、ニファーリアの魔法で元に戻せるのよね?」
「あ、はい」
楓の手引きでこの前の脱出時のルートを逆に辿って学園内に潜り込んだニファーリアが頷く。
一瞬、ふたりの視線が重なりそうになり、双方ともに慌てて外した。
あの夜から、どうにもこうなってしまう。
「それがこの世界でのルールですので」
「オーケイ、じゃあ後フォローは大丈夫……で、そっちの準備は?」
「この世界でだと魔法の発動や効率が悪くなってましたので、ようやく今朝出来ました」
とニファーリアがマントの中から少々厳ついデザインの指輪を取り出した。
黒い瑪瑙のような石が大きめの台座に塡まった、もう少し派手な作りであれば間違いなく「や」の付く自営業のおじさま御用達必至な代物である。
「カオル様の指に塡めてください」
頬を赤らめながら差し出す。
「うん……」
左の人さし指に塡めてみると、最初は二回りほど大きい。
婚約指輪、という言葉が脳裏をよぎったが、あれは薬指に塡めるものだと思い直す。
と思ったらいつの間にか指輪は少年の指の太さにぴったり合っていた。
「あれ?
さっきまで大きかったのに?」
「カオル様専用の魔法装具ですから、そのように作られ形も変わります」
つとめて冷静に、頬を赤らめまいと、薫の顔から少し視線をズラしつつニファーリア。
「はあ……」
なんでもあり、ということが今ひとつ実感できないまま、少年はその指輪を見つめた。
「この宝石の付いた台座の部分を回せば、魔法が発動します」
王女は手ずから作ったマジックアイテムの解説を早口で始めた。
そうすることで、少年との「会話」を早く終えるように。
少しでも黙ることを、どこか怖がってるように思える。
「ただ、決闘の場は戦神の力が優先なので大地母神の魔法は制限されます。
決闘の制限時間はこちらの世界で言う三十分ですが、魔法の発動はその十分の一、三分間です。
ですがもう一度台座を回せば再び魔法は発動します。
回数の制限はありません」
と、ここでニファーリアは言葉を切った。
じっと薫を見つめる。
今度は完全に感情を排した、事実を告げるの目になっていた。
「ただし」
王女は言いにくい事実を告げた。
「制限がないのは回数だけです」
「ふん、見せ物扱い、ってわけね」
学校の中にリムジンで乗り入れながらエストは鼻を鳴らした。
助手席から見える風景は、高校生達の好奇の眼差しだ。
「ニファーリア王女も大したもんだわ」
「そう言うがなエスト。
大勢の客を望んだのは私だ」
苦笑混じりでシムトが言った。
「まあ、この世界の人間にとってはよい余興であろう。
存外、国交決闘というものの本質かしれんぞ」
「殿下、よろしいのですか?」
少々慌ててエストは後部座席の男装の王女を振り向いた。
国交決闘は神々の決めた制度であり、それに対して皮肉めいたことを言うのは一種のタブーでもあったからだ。
「構わぬ、ここは異世界だ。
言いたいことのひとつも言わせて貰おうではないか。
所詮第四王子の身の上だしな」
シムトは不敵な笑みを浮かべる
(無理もないか)
エストは内心溜息をついた。
あのバルートの本国更迭が、結局却下された上、謹慎処分は不当であるという結論が今朝、本国からやってきたのだ。
その知らせは今のところシムトのところで「停滞」させてはいるが、明日にはバルートの謹慎を解除させねばならないだろう。
バルートのコネが、シムトの地位を上回っているという証明だった。
王族が官僚に、しかも無能な官僚に立場で負けているというは、面白いはずはない。
(まったく……あたしも少しはマシになれると思ったんだがねえ)
バルートの首が飛べば、エストの主は直接シムトになる。
そのことを彼女は密かな楽しみにしていたのであった。
少々本日は荒れ気味であった。
「……結局、これ、着けるの?」
薫はションボリした顔をした。
「あったり前じゃない!」
斎京楓が満面の笑みを浮かべる。
クラスの男子を追い出した教室の机の上には、ずらりと様々な色、デザインのセーラー服が並んでいた。
セーラー服。
かつて明治だか昭和だかの頃、水夫の制服を改造して女生徒用の制服としたことを祖とする由緒正しい、しかし前世紀は昭和五十年をピークに、デザイナーズ・ブランドの制服の隆盛などによって着々と絶滅の危機を迎えつつある十代少女の象徴である。
「えーと、肉体的な問題なんだから、このまんまでもいいと思うんだけど」
「だからこそ、このコスが必要なのよ!」
ぐっと拳を握りしめ、楓は力説する。
「だって女の子化するんでしょ?」
と、横を向いて、
「ねえ王女?
胸、大きくなりますよね?」
とニファーリアに尋ねた。
「え、ええ」
こっくんとニファーリア。
「太腿とかむっちりしますよね?」
「ええ」
またこっくん。
「つまり、ボディライン変わっちゃうつてことですよね?」
「ええ、もちろんですわ」
今さら何を、と首を傾げるニファーリア。
どうにもまるで事前に打ち合わせでもしていたかのような息の合いようである。
「女装して、なら誤魔化せるけれど、いつもの服だったら誤魔化せないわよ……特に胸!」
「ま、まあ、確かにそうですわね。
男性の方が女性化すると、どういうわけか胸が大きくなって髪の毛が伸びることが多いですわ」
つとめて薫を見ようとしない状態でニファーリア。
(嫌われてるのかナァ)
自己嫌悪に胸を灼かれながら、薫が落ち込み始めるのを遮るように、
「肉体が変化しても質量は保存される、ってこと。
男の子って女の子より体重重いから」
どっから引っ張ってきたのか怪しい知識を楓は口にした。
「かもしれませんわね」
と、感心したようにニファーリアは楓に頷いた。
(いいなあ)
普通に会話してもらえるだけで、薫は楓が羨ましい。
同時に、あの夜の自分の軽率さを呪った。
そんな少年の思考の隙を逃さず、びしっと楓は指を突きつけた。
「というわけで、ここはひとつ、由緒正しい『学園の戦闘服』で!」
「……な、なるほど」
頷いてしまってから「しまった」と思ってももう遅い。
「でぇわ、薫君の同意も得られたコトだし!
こーれでいきましょ!」
どうにも「ハメられた」という単語が薫の脳裏に明滅する。
だが「これもあの夜やらかしたことの罰かもしれない」という自己嫌悪というか後悔の念もあるから、強くは言えないのであった。
「シャルロットはどう思う?」
いきなり話を振られた武騎人の少女は少し首を傾げながら、
「うーむ……とりあえず、騎士殿としては女性化することは知られたくないのだろう?」
「うん……まあ、そうだけど」
「では、まだ女装している、のほうがいいかもしれぬ。
大きな嘘の中には真実が入る、とも言うし……私は騎士殿の身体が女性であれば大丈夫だから問題はない」
と結論づけてハッキリした意見は言わなかった。
結局助け船はないらしい。
「……孤独ダナァ」
ぽつり、と少年は呟いた。
(やっぱ、バチが当たってるんだろうか)
ニファーリアは戸惑ったような顔で鼻眼鏡をやたらに直し、こちらを見ようともしないのが辛い。
ハッキリ罵ったり、「駄目です」とか何とか意思表示してくれたほうがまだ良かった。
(そうだよな、普通、いきなり抱きしめたら『引く』よなあ。
痛いことしちゃったよなあ)
後悔ばかりが胸に溢れる。
とはいえもうどうしようもない。
ここまで来て、この状況では結局目の前の国交決闘を片付けてからでなければ。
「さあ!」
目を輝かせ、鼻息を荒くした楓が迫る。
「さあ!」
他の女生徒達もぐいっと迫る。
選択の余地はないようだった。




