28
食器をかたづけて部屋へ引き揚げようとしたら、お茶の間でテレビを観ていた湯上がりのニファーリアに声をかけられた。
例の金貨も含め、何でも入る(らしい)革袋から取り出したガウンを羽織り、髪の水気を巻いたタオルに吸わせているので、細い首筋が艶めかしい。
(綺麗だなあ)
と思わず目がそっちにいきそうになるが、少年は慌てて頭を振った。
ついでなので、色々聞いてみようと思い立ち、薫は王女にシャルロットのことを尋ねてみる。
「まあ、あの子が男の方をそういう風に褒めるのは珍しいですわ」
台所を去るときに言われた言葉を告げると、ニファーリアはちょっと驚いた顔をした。
「そういえば、どうして彼女、男嫌いなんですか?」
「ああ、シャルロットは色々男の方に関しては偏見がありますから」
風呂上がりのニファーリアはそう言って微笑んだ。
「でも、仕方がないことなのです。
彼女たちは早くに母を失い、姉のアドネとふたりきり……その姉のアドネも外交上のあれやこれやで結局タイハンへと送り出され、ひとりで色々苦労しましたから」
「アドネ、ってあの敵の武騎人?」
その話はシャルロットから聞いてはいた。
武騎人というのは互いに戦って高め合うことを喜びとするところがある一族だということも例の知識で「知って」いる。
「残念ながら、珍しいことではないのです……武騎人は人の姿をした神の武器。
それ故に外交上の手札に勘定されてしまうのは」
ニファーリアは溜息をついた。
「あの、お父さんとかは?」
「シャルロットが生まれる前に我が国では大地震があって、それで……」
つまり父親の顔を知らずに育った、ということだろう。
「私もそれでお役を一時凍結されたものですから、彼女を保護するのが手一杯で。
しかも私の元へ来るまでの間にちょっと困った女性の元に預けられていたものですから」
ニファーリアは困った顔になった。
「シャルロットは戦士としての訓練をそこで受けたのです……女王族の国の戦士の末裔でして」
どうやらそこで「男嫌い」にさせられたらしい。
「悪い方ではないのですけれども、強烈な同性愛者でして……まあ、その道に完全に引きずり込んだわけではないのですが、男性がいかに穢れた存在か、とか色々と……」
げに恐ろしきは教育ということか。
「ところでカオル樣」
ちょっと口ごもったあと、ニファーリアは言った。
「あの、お母様のカオリ様のことをお聞かせいただけますか?」
妙な気分になった。
男……それも自分と同年代の男に対して、好ましいと思うことはこれまでなかったからだ。
こと男に対して、感情と理性が相反する状態というのはシャルロットの人生にとって珍しい。
(所詮、私も姿形に誤魔化されているということか)
第一、オスという生き物は子猫さえ触れない自分が、誤解していたとはいえキスして、裸を見るまではずっと女性だと思い込んでいたのだ。
シャルロットは苦笑いしながら、胸の中のモヤモヤを抱えたまま、家の中を歩き回る。
(まあ、ただひとり、というのなら悪くはないかもしれん、第一カオル様は私の騎士殿なわけだし)
そういう考えがなぜだか妙に「言い訳」のように思えてしまう。
シャルロットのような武騎人の立場というのは、彼女の世界では微妙だ。
基本、国の「持ち物」として考えられるが感情もあれば心もある。
そして、死ぬこともあるし子供も産める(女しか生まれないが)。
姉のアドネのように己を「武器」として考える生き方もあるし、ごく希にだが、人の拘束を嫌って野に下っていく武騎人もいる。
(私は……)
アドネ同様、武騎人としての生をまっとうし、最強の存在を目指す、これは今も変わらない決意だ。
まさか男の騎士と対になるとは思わなかったが。
(おかしなものだ。
私は武騎人であること以外では中途半端な存在なのだから)
苦笑いが浮かぶ。
男は嫌いだし、犬猫のオスですら今でも触れることが出来ないほどだ。
だが、女性を恋愛対象して見ることも出来ない。
ニファーリアは尊敬しているし、心底から臣従しているが、恋愛ではなかった。
(何を考えているのだ。
明後日には再戦だというのに)
自分の弱点に関する解決というか、突破口が見つかった嬉しさに、気が緩んでいるのだろうかと少女は自分を叱咤した。
縁側を通って、昼間入った道場への渡り廊下を通る。
この世界の家は木と紙で出来ている、と訊いていたがちゃんとガラスや石、モルタルのようなものまで使われている。
未だに靴を脱いで家に「上がる」というのは妙な気がするが、家の中の汚れは減るという知恵なのだろうなと納得していた。
窓の外から入る灯りはまばゆく、少し冷たい。
そんな気がするのはやはりここが異世界で、魔法の介在しない灯りだからか。
ふと、聞き慣れない音を聞いて、少女の足が止まった。
いや、違った。
聞き慣れた音だが、少し違うのだ。
彼女が聞き慣れている音よりも、ずっと鋭く、滑らかだ。
刃を振る音だ。
道場の中から聞こえた。
恐らく、夜で、周囲がこれだけ静かでなければ気づかないほどの音。
少女は無意識に足音を消して道場に入った。
道場の真ん中では、見たことのないデザインの白い上着に黒い、幅広なズボンを着用した老人が緩やかなカーブを描いた細身の剣を振っている。
ひと振りごとに前に一歩、そして構え直すごとに後ろへ一歩下がる。
その動きには無駄がなく、隙もない。
先ほどまで食卓を囲んでいた、和やかな雰囲気は消え、神事を行う神官のようにその横顔は荘厳ですらある。
(達人だ)
相手はこちらに気づいていないが、恐らく今、自分が斬りかかれば最初から知っていたかのようにその身体をあの刃が切り裂くだろうとシャルロットは直感した。
(英雄の父親か)
なるほどと思った。
確かに、この人の娘ならかつてのソグディアナを救った英雄になるだろう。
「銀髪のお嬢さんかね」
そのまま数回真剣を振った後、こちらも見ずに老人は言った。
「あ、はい」
いつこちらに気づいたのか判らず、しかしこれほどの剣を振るう人物ならそれもあるだろうとシャルロットは納得していた。
老人はさらに一度刀を振り、そしてゆっくりと納刀すると神棚に向かって一礼し、ほっと息を吐いた。
途端にいつもの老人の顔になる。
「やはり異世界から来たというのは本当なのだねえ。
驚いてもおられぬようだ」
「いえ、見とれておりました。
英雄の父君というのはさすがです」
心底の言葉だったが老人は苦笑して、
「香織はむしろこっちの方は嫌っておったがね。
ちと厳しく仕込みすぎたのでなあ」
と頭を掻いた。
「逆に薫には何も教えてなくてな。
ちと後悔しておる……まさかあれが決闘などということをするハメになろうとは思わなかった」
「……」
自分のせいです、とか安易に謝罪の言葉を口にするほど、少女は恥知らずではなかった。
「あんたのせいではないよ。
あれの持って生まれた人生の流れだ」
老人は僅かな表情の動きから、少女の心を読み取ったらしい。
「流れ?」
「人の世は川の流れに似ているのだ、と私は思っておるのさ」
と老人は言った。
「大体の流れは決まっている。
それに逆らって泳ぐのも人生だし、流されていくのも人生だ……そして、適当なところで棹をさして流れを乗り換えていくのも」
「……」
「あんたの世界ではどうか知らんが、この世界ではあの年頃というのはまだその流れに飛び込まなくても良いはずなんだが、どうも母親に似たな、その辺は」
ははは、と老人は笑った。
「皆同じ川の中にいるが、必ずしも同じ流れに乗っているとは限らないし、おなじ水とも限らない。
だから自分以外の人生に助言は出来ても命令は出来ない」
「哲学者なのですね」
「いや、単なる単純化だよ。
複雑に考えると頭がおかしくなるのでね。
そのくせ私は小心者でね、孫が心配でならないんだ」
溜息。
「明後日には戦いだから、今さらなにをやっても間に合わないと判っていても、何か出来るんじゃないかという気がしてならない。
そしてそれが間違っているとも判ってる」
だから、間違わないようにここで刃を振るい、気を静めているのだと老人は説明した。
「哲学者といえばまだウチの祖母さんの方がよっぽどだよ。
自分の直感を信じて微動だにしとらん……男はそういう意味では永久に女には勝てないね」
呆然とシャルロットは老人を見た。
これほどあっさり自分の弱さを認める「達人」を、彼女は見たことがなかったのである。
男女の別なく、彼女がこれまで戦い方を学んだ相手は己の弱さを語ろうとはしなかった。
それは語っても仕方がないからかもしれないし、恥だと思っているからかもしれなかったが、この老人の言葉は、驚くほど素直で、胸の中に入ってきた。
その自然さは、どこかあの少年に似ている。
「ま、男だ女だ、ではなく、最後は人としてどうか、だからこれも言い訳にすぎないがね」
老人はそう言って道場から出た。
「シャルロットさん」
老人は銀髪の少女の横を通り過ぎ、ふと足を止めて言った。
振り向いてはいなかった。
「あの子を、頼みます」
少女はどう答えるべきか、迷った。
唇が動き、停まり、そして、また動く。
「はい」
他に何が言えるだろうか?




