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食器洗いは薫の役目……といっても去年食器洗い機を購入したので、機械を操作して、あとは取り出して食器棚に並べるだけである。
水を張った桶につけておいた食器を機械の中に入れ、洗剤の分量を量っていると、シャルロットがひょいと顔を出した。
「手伝うことはないか、騎士殿?」
「あ、いいよ。
あとは機械任せだから」
そう言って、少年は粉石鹸を投入口に入れ、スイッチを入れる。
機械の中に水が入っていく音が聞こえてきた。
「この世界は凄いな。
騎士殿の母上からのお話というのは記録や姫様から聞いていたが、それ以上だ」
腕組みしたシャルロットは感極まったように頷く。
「まあ、母さんがそっちの世界にいったのはえーと……三十年くらい昔だものね」
最近、その頃のテレビドラマを見る機会があったのでよく覚えているが、三十年前にはインターネットが普及し始め、メール機能付き携帯電話が「ハイテク」の代名詞だったらしい。
「銀貨どころか銅貨十数枚で白いパンが買え、あの『デンシャ』とやらにも乗れるそうではないか……私には今ふたつほど信じられぬ」
「そういえば、そっちではどんな食事をしてたの?」
「質素なものだ」
少女は肩をすくめた。
「特に我らは王族とは名ばかりの傍系だからな。
スープとパン、あとは山鳥と果物が付くだけでも庶民よりはマシということが常だ。
男ならエールやワインが飲めるが、女の飲酒は喫煙同様にはしたないからな」
「お酒や煙草がはしたない、ねえ」
これも少年には想像のつかない世界だった。
「でも魔法があるんでしょ?」
「誰もが幸せになる魔法などない」
と、どこか寂しげにシャルロットは言った。
「第一、魔法にも使うには体力とか魔硝石、そうでなければ信仰心とかの対価を払わねばならぬし限度もある。
それに誰でも使えるわけではない。
まあ、大規模魔法を国家が運用することは珍しくないから、部屋の灯りはこの世界と変わらないという程度だ。
蒸気機関はまだ大国にしか許されていない贅沢だしな」
なによりも、と少女はちょっと複雑な笑みを浮かべた。
「これだけの娯楽は我々の世界にはない。
『てれび』や新聞、小説、第一、本が無造作に捨ててある光景など、見たこともない」
そう言えば今朝は本、雑誌の回収日だった。
「へえ」
実際、この世界においても二十世紀半ばまで本は貴重品であり、捨てるものではなかったのだが、これも少年には判らない。
ただ、「自分達の住む世界」を少女が酷く羨ましいと思っていることは理解できた。
「だが……やはり、私の世界のほうが気楽でいい」
「何もない、規律と神と男が支配する世界だが、私の生まれた世界だからな」
ぽつり、と少女は言った。
「この世界だって、さほどイイコトばかりじゃないよ」
と薫は笑った。
「おいおい説明していくと思うけど、進みすぎた機械のおかげで振り回されてばかりいるんだ……実際にはね」
そう言って微笑んだ。
「そういえば、ひとつ、聞きたいことがある」
真面目な顔でシャルロットは切り出した。
「ふたりっきりだから、正直に答えてくれ」
「うん」
答えられる質問だといいんだけど、と思いながら少年は頷いた。
「何故、我らの願いを受けたのだ?
ここは親の稼業や血縁の契りがさほど重要ではない世界らしい。
否と言っても恥ではないのだろう?」
まして少年を「騎士」にしたのはニファーリアとシャルロット双方の「勘違い」なのだ。
願ったわけでも、正しい判断によってあえてなされたわけでもない。
ただの偶然である。
「まあ、そうだけどね」
少年は苦笑を浮かべた。
これはちょっと難しい質間だ……なぜなら少年にもハッキリした答えがあるわけではないからである。
「私が土下座したから、か?」
「んー、それもあると思うよ」
ちょっと考える。
あの時、脳裏をよぎったものを思い出す。
下げられる頭、足下が壊れるあの感覚。
ホームに入ってくる電車の轟音。
過ぎ去った後も残った「何もない」あの虚ろな気分。
「一生懸命」と「自身」が裏切られるあの喪失の「穴」。
あの苦痛が、苦労が、結局何の意味もなかったこと。
手に入れた物が何の役にも立たないことを知ったときの絶望。
それを手に入れた時の万能な気分とは天地逆の自己嫌悪。
あの時まで、思い出すだけで身体が動かなくなるほどの嫌な思い出。
くじ引きと一緒で、可能性のひとつを引き当てただけだというのに。
そう、ただのくじ引き。
ただし、ある程度結果が判った上でのくじ引き。
そして、自分は「一緒に戦う」というくじを引くことを選んだのだ。
それでいいと思ったからだ。
女の子にふられたことは自分にとっては結果でも、相手にとっては選択だったのだ。
不思議に今は笑うことが出来た。
そうだ、選択。
一緒に結果を見ようという選択。
多分、それが自分にとって色々苦労や苦痛が伴ったにせよ、納得のいく選択なのだ。
そう確信した。
これだけは恐らく、将来後悔したとしても揺るがない事実だ。
ささやかな満足が自分の手元にあって、それが少年には嬉しかった。
自己満足の類かもしれないが。
「男が嫌いな人が、男に頭を下げるほどのこと、ってよっぽどじゃない?
命がけなことだと思うし」
何か微妙に本音とは違うような気もするが、今はそう言い表すしかなかった。
「そういうのを反故にするのは嫌だ、って思ったんだ……つまりその、自己満足というか、僕はそれでいい、ってその時は思ったんだ。
後で馬鹿みたいだ、って思うかも知れないけど」
「……」
ぽけっと少年を見て、何か驚いたような表情を浮かべたシャルロットだが、慌てて視線を外した。
「どうしたの?」
「いや……お前、いや、あなたは男のくせにいい奴だな」
「?」
「そう思っただけだ……では、やることもないのならこれで失礼する」
台所を出て行く少女の後ろ姿はどこかいつもと違って可愛く思えた。




