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「そーゆーわけで、アサーっ!」
斎京楓が宣言しなくても朝である。
午前八時。
「まあまあ、斎京さんでしたっけ、おはようございます」
家の前を箒で掃いていた薫の祖母がにっこりと微笑む。
「あ、どもおはようございます」
ぺこ、と楓は頭を下げた。
今日は学校に出て学園祭の後片付けだから別に制服は着けなくてもいいはずなのに、この少女は律儀に制服姿である。
「今日は道場を使うんでしょう?」
「はい、拭き掃除とかはうちらでしますんで、よろしくお願いします!」
「いえいえ、こちらこそ薫のことであなたにまで出てもらって、本当にありがたいわ」
「あはは、いえいえー」
と照れたように手を振って、楓はさらなるハイテンションで家の奥の方へ声を張り上げた。
「かーおーるーくーん!」
「……もう起きてるよ」
ガラガラと引き戸が開いて、まだ眠そうな顔の薫が顔を出した。
ダイエットのおかげで、すっかりダブダブになったパジャマの上着もパンツもずり落ちそうな、どうにも締まらない格好だが、これはこれで寝ぼけた子猫のような愛嬌がある。
「いやあ、おはようおはよう!
元気?」
ぽぽぽん、と肩を叩くハイテンションなクラスの委員長に、まだもう少し寝ていたい少年は無愛想に、
「元気だね」
と皮肉めいたひとことを投げてきたが、楓はきらりと光るボストンフレームの眼鏡でそれを一蹴し、
「まあね。
だーって昨日までの退屈な日常が君のおかげで一変しちゃったんだもの!
そりゃテンションもあがるってもんだーな!」
と年齢相応よりやや小さめの胸を張った。
「……羨ましい」
しみじみいう美少年に、
「さささ、お着替えも持ってきたから、急ごうよ、ね!」
本当に楽しそうに楓は言い、
「で、お姫様と剣の人はどっち?」
「えーと、客間だから……」
「ああ、昨日の場所ね!
オーケイ、ささささ、いきましょー!
おじゃましまーす!」
と少年を引きずって廊下をずんずん歩き始めた。
「あらあら、仲の良いこと」
ニコニコと老婆はふたりを見送る。
「まあ、薫は奥手な子だから、あれぐらいの方がよいかもしれんなあ」
ひょっこりと、庭先に新聞を取りに来た祖父、大介が言うのへ、
「あら、お祖父さんもそう思いますか?
でも私は薫にはあのお姫様か、銀髪のお付きの人のほうが合うのじゃないかと思いますよ」
と祖母の妙子は小さく首を傾げて微笑んだ。
「そうかねえ?」
大介は長年連れ添った相手の言葉に、顎に手を当てて考え込んだ。
「まぁ、とりあえず薫の周りに女っ気が増えるのはいいこった。
『そっちの道』にでもいってしまったら目も当てられんからな」
「また、お祖父さんったら」
そういって老夫婦は笑い合う。
よもや、先ほど薫を引きずっていった少女が、こともあろうに少年を「そっちの道」へ引き込む野望というか野心というかを持っているとは夢にも思っていないらしかった。
廊下を歩いていると、ちょうどニファーリアがあくびしながら洗面所から出てくるところであった。
「はよーっす!」
元気に楓が挨拶すると、
「ああ、カエデ様、おはようございます」
起きたての子犬のようにフラフラしながら、それでもニファーリアは微笑む。
「や、どーもども」
「ああ、姫様、何をなさっておられるのです、お顔のためのお水は私がくんで参りますのに!」
大慌てで洗面器を両手、腕にはタオルを持ったシャルロットがあたふたとやって来る。
こちらはとっくに着替えていて、一分の隙もない。
「シャルロットちゃんはもうOKみたいだから、あとは薫君のほうね!」
「んじゃ、ちょっと着替えて」
「何に着替えると思ってるの!」
と楓は自室に帰ろうとする少年の襟首を再び引っ掴んだ。
さらに手首に巻いたゴツいポルシェのチタニウム・ウォッチを見て、
「オーケイ、そろそろ来る頃よね」
と呟いた声に間髪入れず。
「おはよーございまーす!」
という大声が朝の家に響いた。
「まあまあ、こんなにいっぱい、お嬢ちゃん達、薫のクラスの方達?」
祖母の声が聞こえる。
「はい、そうです!
薫君、いますか?」
はきはきとした滝沢真衣の声が「代表者」として響いた。
「ええ、いますよ。
どうぞどうぞ奥の方へ」
「!」
それまでまだ朝のまどろみの中にいた少年は一発で目が覚めた。
「あ、ま、まさか……」
「昨日と同じ状態を作らないと意味がないんだから、当然じゃない」
眼鏡をきらりと輝かせながら、斎京楓の口元に、二等辺三角形を逆さにしたような鋭角な笑みが浮かんだ。
「クラスの女子に話したら快く皆実験に協力してくれるって!
あ、男子も女子がこっちに来ることは承認済みだから!」
その背後に大勢の女生徒達の足音が重なり、少年は青くなった。
「さー、お着替えターイム」
楓の声は、地獄のそこから響いてくる「なにか」によく似ていた。
今も三日に一度は祖母と薫で掃除をしている道場の床は黒々と輝き、引き戸格子になった高窓から差し込む朝の光に舞う塵は、目を凝らしていても驚くほど少ない。
かつては門下生の名札が下がっていた部分だけが若々しく残る長い壁。
木刀や竹刀がかけられていた刀掛けががらんとしていて、もはやこの場所が道場として機能していないことを示している。
時代劇に出てくる「町道場」と違うのは神棚が高い位置に小さくあることと、天井から蛍光灯が下がっていることぐらいか。
五年前までは何十人もの門下生達がいた道場に久々の活気が戻ってきた。
といってもそれは女生徒達と、道場主の孫の悲鳴といういささか情けないものが主成分であったが。
「わわわわわ!」
あっという間に部屋は女子で一杯になり、女装メイドの格好のまま華やかな香りと体温の中、少年はもみくちゃにされる。
昨日と同様に、ぽんぽんと少年の上着とズボンが脱がされた。
「さーて始めるわよー」
何本ものメイク用の手が伸びて少年の顔に触れ、 同時に身体にまとわりついた手が服を着替えさせていく。
「あ、あのちょっ、ちょっと」
昨日の再演というか、なまじ「安全圏内」であるはずの自宅の片隅の出来事に少年まただただ流されるばかりだ。
「はい右足おしまーい」
「はい左足出来たー」
「えーと胸のパッドはもう少し入れる?」
「昨日と同じ状況だから、そのままにしてー」
遠くで楓はどうやってか薫の状況を把握しているらしく的確な指示を飛ばしている。
「あーい」
「じゃ、スカートもう少しし短くしようか?」
「それだけしかないんでしょ?
じゃあこの際そこいら辺は目をつぶるわ」
「ほうほう」
ぐいぐいと顔が上下左右に勝手に向けられ、無数の女子の手に握られた虫眼鏡やらルーペ何やらが近づけられた。
「おー、ちゃーんとメイク出来てるー!」
「アイラインもうちょっと濃いめでも良くない?」
「んーでも薫ちゃんの場合これぐらい薄いほうが清純っぽくてよいかもよ?」
「かなあ?」
さらさらの髪の毛に何本もの櫛が入る。
「いいなあ、薫ちゃん髪きれいー」
「あ、どうせならロングのウィッグも用意しとくんだったー!」
別の女子達は服装のチェックだ。
「ほらーニーソはもっとびしっと!」
太腿の半ばまでのニーソックスのゴム部分がめくられて、別の手でずり落ち防止のソックタッチが手早く塗られる。
「んーすべすべー。
ホント、奇跡だよねえ。
すね毛皆無だなんてさー」
「すっかり細くなってるから綺麗よねえ」
「そうそう、脚の毛とかヒゲとかないもんねー」
「やっぱ、も少しスカート短いほうが脚が露出して可愛いよー」
「ダメよ、男子は絶対領域の微妙な範囲に萌えるんだから」
「なにそれ?」
「ニーソとスカートの間のこと」
「へー」
女子達は勝手なことを口々に言いながら少年の格好を点検、修正を施していく。
もうこうなると、ベルトコンベアの上を流れる組み立て途中の玩具みたいなものだ。
左右の手首がぐいっと掴まれて、指一本一本に、マニキュアのラインやつけ爪のチェックが入る。
「ネイルのほうも上手くやってるじゃん」
「百円ショップにしては綺麗でしょー?」
「うんうん、うまいうまい」
大量の女子に囲まれるのは嬉しいには違いない。
が、誰ひとり恋愛対象としてではなく、「綺麗なお人形」としての扱いなのが当人としては問題だ。
まして、今の薫の足下はスースーするスカートで、甚だ頼りない。
うっかりすると最後の砦である男性用下着まではぎ取られ兼ねないので、もうその辺だけを集中的に少年は守ることに集中する。
(もう、好きにしてくれよ)
薫は宙を仰いだ。




