19
剣と剣をまず「ガツン」とぶつけ合うことを一合、と呼ぶ。
薫は何とか五合までは受けた。
風のように速く、岩のごとく重々しい攻撃を、大岩を振りかざして受け続けるような無茶な状況である。
脇を締め、小さく固まって身体ごと上下左右、しかも後退しながら受けるしかない。
避ける余裕はなかった。
「くっ!」
六回目は下から上への逆袈裟切りを受け損なって自分の剣を外側に弾かれる。
しかもその時に左手が剣の柄から外れ、両手を広げる格好になってしまった。
「わ!」
叫んだところへ、振り抜かれつつある大剣を素早く左手に持ち替えたエストの右肘が少年の胸に食い込んだ。
辛うじて身をよじると、エストはさらに一歩踏み込み、鎧に覆われ、鋭い棘状のパーツがついた右肘が少年のジャケットの胸元をかすり、布地が引き裂かれた。
熱い、と感じるよりも早く、左手に握られた大剣の柄の端っこ……日本刀で一言う「こじり」の部分が少年の頬にぶつかる。
一瞬、目の前が暗くなり、脚がもつれる。
「戦神の調律」の時の万能の感覚どころか、常人の何倍もあるはずの反射神経や筋力、判断力などもない、ただの「城崎薫」という少年のままで戦うもどかしさを感じる暇も余裕もなかった。
完全に無防備になった薫の首を狙って、エストはさらに一歩進み、踏み込んだ左足を軸に振り向きざまに両手で握り直した大剣を振り下ろした。
風を巻いて剣が殺到するのを、ギリギリで自分の剣で受ける。
一瞬の火花と猛烈な力で、少年は逆方向にはじき飛ばされ、ごろごろと頭から転がった。
「く……」
(どうしちゃったんだよ、話が違うよ!)
泣き言が口から出なかったのは矜持の問題ではなく、その気力すら失われていたからだ。
剣を杖代わりにして立ち上がろうとする間を与えず、エストが突っ込んでくるのを、さらに転がって避ける。
削岩機のような連続した音がして、少年の後を大剣の切っ先が追う。
薫はさらに転がる。
このまま避けて、避けて、避け続けて、相手が調子に乗って生まれる隙を突くしかない。
だが、それは目隠しをしたまま、全力疾走で地上百メートルに張られたロープの上を走って行くような困難さがあった。
相手はこちらの数十倍の能力の持ち主で、こちらは全身に重りを載っけられたのと同じなのだから。
地面と夜空が混じり合って、もう訳が分からないが、それでも神様が仕込んでくれた肉体の反応は続いてくれていた。
が、それも公園の端、ベンチに背中がぶつかって停まった。
僅かな一瞬、エストは逃さずに剣を振りかざした。
突きによる「点」ではなく、斬撃による「線」の攻撃。
辛うじて、少年は自分の剣で大剣の攻撃を受けた。
手首に嫌な音がして、脳天まで突っ走るような痛みが駆け上る。
筋を違えたか、関節を痛めたか……ひょっとしたらヒビぐらいは入ったかもしれない。
それぐらいに重い一撃。
「っ!」
エストは、凶暴な笑みを浮かべ、そのまま全体重を剣にかけてきた。
重い右腕と剣という枷を填められたまま戦って疲弊し、さらにダメージの入った少年に、はね除けるだけの余力はない。
だが、相手が断続的に体重をかけてくるそのタイミングに合わせて剣を捻って相手に隙を作れば……
「こんがりにしてあげるよ」
必死にそのタイミングを計る少年の耳へ、剥き出しにした白い歯の隙間から絞り出すように、エストが優しく囁いた。
「?」
その意味は、すぐに判った。
エストの剣に青白い小さな光のラインが血管のごとく張り巡らされたかと思うと、少年の意識が真っ白になるような衝撃が全身を貫いた。
手首の痛みどころではなかった。
身体の筋肉があらぬ方向へと収縮し、少年は自らの力で、地面に固定されていたベンチを吹き飛ばし、さらに奥の砂場まで飛んだ。
ごろごろと転がり、砂場を乗り越えてジャングルジムのあたりでようやくとまった少年の身体から、ぶすぶすと白い煙が立ち上り、少年はぴくりとも動かない。
「あっはっはっはっはぁ!」
わざとらしい笑い声をあげながら、エストは大剣を肩に担ぐようにして、己の雷撃を受けた少年の様子を見やった。
「無惨だねえ、力のない奴ってのはさぁ!
こんがりローストにされても抵抗できないんだから!」
赤い髪のボンデージ美女、エストが少年をぐいぐいと剣で押さえ込んでそのまま押し斬ろうとしている……そう思った次の瞬間、青白い閃光が公園を染めあげた。
次の瞬間、少年が自らの筋肉反射で宙を舞うのを見て、斎京楓は思わず眼を覆った。
少年はそのまま落下して、砂場を転がり、ジャングルジムにぶつかる形で停まったが、ぴくりとも動かない。
「か、薫君!」
さすがに青ざめて、思わず駆け寄ろうとする楓の肩を、ぐいっと意外な力でニファーリアが掴む。
「駄目です」
「で、でも薫君、あれじゃあ!」
「戦神騎士はあれぐらいでは死ねません。
それに、第三者が戦いに介入することはその人の死を意味します」
「死?」
「この戦いは神々に捧げられているものです。
予定されていない者の介入は、それを穢すことになります」
「あの、じゃあ私が中に入らなくってもこれで外から撃てば……」
と学校で拾ったリボルバーを取り出して構えようとするのをひょい、と押し下げ、ニファーリアは申し訳なさそうに。
「中からでも外からでも戦いへの介入は駄目なんです……ところでこれ、シャルロットのですよね、どうやって?」
「拾ったの!
でもさ、さっきあのニヤケたのが銃で!」
バルートのことを楓が口にすると、ニファーリアは首を横に振って、
「あの時はまだ戦いは正式に始まっていません。
謀略もまた戦いの作法。
神々の与り知らぬところでの決着は国家に対する汚名として残りますが、それは戦いを取り仕切る王子、王女の責任になるだけです」
楓は唇を噛みしめた。
「大丈夫、戦いが終われば肉体の怪我は全て元に戻ります……たとえ手足を切り落とされても」
「あ……そ、そうなんだ」
少しだけ、楓は安堵したようだった
「でも……どうしてあんなにやられっぱなしなの?」
「それは……」
言いかけてニファーリアは口をつぐんだ。
その前で、エストが高笑いして、ゆっくりと少年に近づいていく。
「無惨だねえ、力のない奴ってのはさぁ!
こんがりローストにされても抵抗できないんだから!」
ボンデージ女の嘲笑を聞いて、ニファーリアが唇を噛みしめた。
どうやら、先ほどの攻撃は電撃だったらしい。
中の筋肉が爆発したようにメチャクチャに動いたところまでは認識できたが、今はもう、指一本動かない。
「……」
声帯まで焼けただれたかのように、声が出ない。
無様に横倒しになったまま、少年は自分のほうに歩いてくるエナメルブーツを見ていた。
眼球すらその位置から動かせなかった。
(映画とかじゃ、スタンガンでやられるとみんなピクリとも動かなくなってたっけ)
ぼんやりそんなことを考えるが、その思考さえ、沸騰したときの泡のように、煮立った脳の奥底へゆっくりと沈んで消えていく。
「ま、一回は死んでもらわないとね」
そう言って剣を振り上げる。
(あ、首が飛ぶのか)
不意に少年は思った。
もう身体中の感覚がない上に、雷撃のおかげで頭の中まで焦点が定まらない。
もっと必死になったり、怒ったり、色々あるような気もするが、とりあえず今はそれどころではなかった。
(むしろ、このままのほうが楽かも)
などとまで思う。
公園の街灯を背後に両手に握られ、上から下へと大剣が振り下ろされる。
動いた。
「そこまでだ、止めよ!」
凜とした声が、エストの動きを止めた。
「この戦い、我らは引き分けと宣言する……ニファーリア殿、異存は?」
「ございませぬ」
短く、ニファーリアは答えた。
その横顔には何の表情もない。
「では、再戦は一週間の後に。
それまでにこの騎士殿と武騎人を鍛え直されるがよかろう」
哀れみや同情ではなく、淡々とシムトは言った。
本来国交決闘とは戦争の代行であり、そこに哀れみや同情はあるわけはない。
「ご厚情痛み入ります」
優雅にニファーリアは目礼した。
「ですが、七日も必要はありません」
きっぱりと言った。
「三日で充分です」
「……失礼だが」
と言いかけて、シムトは思考を巡らせ、納得した顔になった。
「よろしい。
あくまでもあなたが責任を取られるということですね。
承知いたしましょう。
では、三日の後。
場所は人が多いところがよろしいですな。
我々の勝利を見届ける者の数は多い方がよろしい」
ちらり、とシムトは背後で小さくなっているバルートを冷たく見やった。
「勝利は勝利ですのでね」
含むところの多い言葉であった。
ニファーリアはそれには構わず、きっぱりと頷いた。
「では、私たちとカオル様が出会った場所で。
どこかはそちらの騎士様がご存知のはず。
時刻は夕方。
日が赤く染まる頃で」
「よろしいでしょう」
「な、なりませぬ!」
側にいたバルートが叫んだ。
「せっかく勝っておるのですぞ!
ここは一気に勝敗を決し、一勝をものにするべきです」
「愚かな……今の戦いを見よ。
相手はどういう都合かは知らんがロクに武騎人も使いこなせぬ戦神騎士だ。
それを相手に勝っても自慢にならん……第一、勝ったとしたら事前交渉と襲撃によって相手を弱らせてからの汚れた勝利、と言われるのは必至だ」
口元だけに笑みを浮かべた冷ややかな眼でシムトはバルートをじろりと見つめた。
その目が「お前がそう報告し、噂を広めるのは判っているぞ」と告げていた。
「兄上と私に汚名を着ろというのか、お前は?」
「……い、いえそのようなことは決して」
青くなってバルートは縮こまった。
「だろうな、お前らしくもなく勝負に熱くなったようだ」
言葉の後ろに様々なものを乗っけた口調でシムトは続ける。
「よもや、お前や叔父上が『汚れた勝利』で我ら兄弟を陥れるなどという下らぬことを行われるはずはないからな」
全ての言語の中に、この軽薄な顔をした青年の二の句を封じる深く、長い釘が打ち込まれていた。
「エスト、剣を引け」
「はい」
にやりと笑ってエストは剣を引き、腰の鞘に収めた。
彼女はシムトがここであえて「勝ち」ではなくて「引き分け」を選んだことで国内における「勝利は絶対だが、勝ち方にはこだわりがある」一般市民や古い武人たちの評価をあげつつ、バルートとその背後にいる人間に対しての牽制を行ったことを理解したのである。
かちりという音がして鞘と鍔の部分が触れ、光がエストから離れ、アドネの姿になる。
「次は、絶対に堂々の戦いになる。
こういうお情けはなし、全力の勝負よ……アタシはまだ味わったことはないけど、決闘とはいえ、首が落ちるときは頭の中が壊れるぐらい痛くて怖いらしいから、期待しておいで」
そう言って、少年の身体の下にブーツの尖った爪先を入れ、仰向けにひっくり返す。
「是非壊れて頂戴な。
『戦神騎士を壊した女』ってなあ面白い称号になるし……じゃあね」
高笑いをしながら、ボンデージ美女の長い脚がくるりと踵を返し、悠然と去っていくのを、無様に地面に転がったまま、少年は見ていたが、やがて全ての感覚がなくなった。
(死ぬのかなぁ、こりゃ?)
それが最後に思ったことだった。




