17
交渉は完全な失敗なのは誰の目にも明らかだった。
途中から飛び込んできたソグディアナの「剣」が土下座まがいのことまでしたのも驚いたが(何しろ武騎人はプライドの高さでも知られている)、一度はその要望を一言の下に蹴り飛ばしたはずの少年が、明らかに動揺し、彼女の方に傾いている。
どうやら、この異世界の少年は図抜けたお人好しに分類されるようだ。
「ガキめ……ここまでか」
バルートは吐き捨てるように言って、スーツケースを後ろに投げた。
元々、子供相手、ということを除いても己よりも格下のものに真面目にに交渉しようという気は、この男にはない。
沈着冷静なアドネがそれを受け取り、当然のようにまた取り出したとき同様にくるりと反転し、どこかに消し去った。
「バルート様、どうなさいます?」
努めて事務的に、そしてバルートには気づかれない程度の侮蔑の響きを混ぜてエスト。
「仕方がないな……」
溜息をついてバルートは、内心の侮蔑を隠そうともしない、歪んだ苛立ちの表情で薫とシャルロットを見やった。
「アドネ」
短く言って手を差し出すと、執事そのものの姿をした男装の麗人は音もなくバルートの右手に革の手袋を塡めさせ、そして間髪入れずに銃身の長い、古風な銃を握らせた。
フィンランドの、ラハティL-35ピストルに良く似た、自動拳銃だ。
すでに装填も安全装置の解除もされているのか、バルートはすいっと、迷い続ける少年に銃口を向けた。
「へ……?」
思わず間の抜けた声が薫の口から出る。
大金が出てきたら引っ込んで、今度は拳銃……平和な日本の、平凡な人生を歩んできた少年には、どちらも対応不能な代物であつた。
「やむを得まい。
危険はなるべく排除せんとな……」
まともな戦いで、あの王子たちの名が上がることだけは避けねばならなかった。
勝たねばならないが、それは努めて「汚れた勝利」でなければ困るのだ。
銃声が轟いた。
「あ!」
ようやく脚の痺れも取れ、ついでにそれまでの間に祖父の大介から、薫がこういう場合時間を潰していそうな公園の場所を聞いて急いでいたニファーリアと斎京楓は、自分達の目指す方角から鋭い、何かが弾ける甲高い音を聞いた。
「あれは……銃声ですわね」
「やっぱり……あれもやっぱ、薫君がらみなのかな?」
「恐らく」
ニファーリアの顔が引き締まり、王女の貌になる。
「まさかとは思いますが、カオル様を彼らが……急ぎましょう!」
額を、見えない手で横にひっぱたかれるような感じがした。
映画やテレビと違い、銃弾には衝撃波がまとわりついている、とはじめて薫は知った。
同時に、あんなものを頭に受けたら、あまりの速さと破壊力に、後ろに吹っ飛ぶヒマもないだろう、とも思う。
一瞬早くシャルロットが少年を抱きかかえて倒れなければ、それどころか、少年は脳漿をぶちまけてその場にくたりと倒れていたに違いない。
「くっ!
動くんじゃないよ愚民がぁ!」
バルートが銃を構え直す。
薫を押し倒す格好のまま、シャルロットの手から光るものが飛び、バルートの手に突き刺さって、陰険な顔をした二枚目は「ひひゃあ」とか情けない声をあげて、銃を取り落とした。
「痛い摘い痛い痛い痛いいいいっ!」
手に刺さっているのはせいぜい細身のペーパーナイフほどのスローイングナイフで、それも銃を取り落としたのと同時に転げ落ちるほど浅く突き刺さっただけだが、青年はまるで腕をなくしたように騒ぎ立てた。
「死ぬ、死ぬ、死ぬぅうっ!
ああ、こんな血が出て、あーあーあーあーしんじゃうんだぁああ!
ああお母様ぁあ、母様痛いよぉおっ!」
今どき小学生だって見せないような醜態である。
「だ、大丈夫か?」
しばらくショツク状態で惚けていた薫を、少女が気遣った。
「男嫌い」らしいが、「男は死んでも構わない」というタイプではないらしい。
「あ、うん……」
こく、と少年は頷く。
みゃあ、と子猫がジャケットの中から顔を出した。
「お前も無事か」
思わず薫はくすっと笑う。
我ながらおかしな精神状態だな、とぼんやり思う。
頭の中を「あの日」の電車が入ってくるときの音が駆け抜けていった。
何かを選び、何かを捨てる。
ようやく、薫はあの日、自分を振った彼女のしたことの、彼女自身にとっての意味が判った。
何のことはなかった。
彼女にとって「それが一番いい」選択だったのだ。
薫を選ぶことは「それ以外の」選択だったのだ。
呆れるぐらい当たり前の話でも、選ばれなかった薫はそれを認めたくなかった。
特別な意味があると思い込みたかった。
でも、そんなものはない。
(じゃあ、僕は何を選ぶ?)
不意に、頭の中がクリアになった。
何日も解けなかった複雑なパズルがカチカチと組み合わさって開いていく爽快感。
それから、二秒ほど考えて、
「決めた、前言撤回の……戦うよ」
少年は立ち上がりながら、きっぱりと言い切った。
きっと、後で後悔するかもしれないな、と頭の片隅で誰かが溜息つくのを知りながらも、それでも少年は言わなければならなかった。
「本当か!」
顔を上げた少女の貌が明るく輝いているのを見て、薫はささやかな満足を得た。
これでいい、と今思えた。
きっと、自分の母親も二十五年前、こんな気分だったんじゃないかとも。
そのことが重要だと、確信する……後悔は、後でやれることだから。
最初の戦いの時、神様の力で覗いたあの世界だってそのことに比べれば諦められる領域の話でしかない。
(それに、王女様を助けて戦う、なんて格好いいじゃないか)
あえてバカみたいなことを頭の中で考えてみる。
「その代わり、これからはキミの好みがどうあれ、僕の言うことも聞いて貰うよ、いいね?」
「判った……それぐらいは我慢してやる!」
その背後で、
「この愚民の『武騎人』め!」
涙目になってバルートが吐き捨てた。
素早く、アドネがその手から手袋を外し、傷の手当を終えている。
「よくも貴族の血を流させたネエ!
その騎士の小僧もろとも……」
その言葉を皆まで言わせず、少年は怒鳴った。
「申し訳ないですが、あなた達と戦います!」
合計一億プロ野球選手にだってこれだけの契約金は滅多に出てこない。
新しい家やらパソコンやらを買い込んでもまだおつりが来る。
それも高校生なら文字通り「しばらく遊んで暮らせる」ぐらいの。
手に入らないと判った途端、物凄い势いで「一億の価値」が心臓をきゅっと締め上げたが無視する。
そこいら辺は矜持というものだ。
「あなたのような人からお金を貰ったら、一生後悔しそうですから!」
「カオル様!」
「薫君!」
ニファーリアと斎京楓が駆けつけてきた。
公園の内周を大回りをして薫の後ろにやってくると、銀髪の少女と金髪のエルフ耳な少女は、主従ならではのアイコンタクトで状況を察したらしく、お互いに頷き合った。
ニファーリアはバルートに向き直った。
「たしかタイハンの補佐官でしたわね、あなたは」
きりりとした口調でニファーリアが詰問する。
「戦いの前に騎士に対しての小細工……挙げ句に銃で暗殺しようとは、この神聖な戦いを愚弄なされるおつもりですか!」
先ほどまでのほわほわした雰囲気は欠片もなく、そこには人が思わずかしずくような威厳の主が立っていた。
「神々がご照覧なさったら、どう思われますでしょうか?
それともタイハンに恥という言葉はありませんか!」
「た、戦いを回避するための外交を行ったまでですよ、姫君」
そこそこの美青年が眼だけは笑わぬ卑屈な笑みを浮かべたが、
「申し訳ないニファーリア殿下」
と、ハスキーな少年の声がその笑みを凍らせた。
「し、シムト様……」
十八世紀のフランス貴族のような豪奢な衣装に身を包んだ栗色の髪の美丈夫が、いつの間にかバルートの背後に立っている。
「し、シムト殿下!」
愕然と、薄っぺらな二枚目顔が青ざめるのを完膚なきまでに無視して、タイハンの第四王子にして国交決闘における代理人、シムトは、
「バルートは悪い部下ではないのだが、未だにこういう『国交決闘』に関しては認識が不足していてね。
念のためについてきて良かったよ」
とすました顔で告げた。
どうやってこっそりホテルを抜け出したはずのバルート達に「ついてきた」のかは判らない……この美少年もただの王族ではなかった。
「甚だ図々しいのは承知の上だが、よろしければ、この場でまず一戦と行きたいと思うのだが、如何かな」
「……」
ニファーリアはじっと薫を見る。
少年はこっくりと頷いた。
「結構ですわ、シムト殿下」
「よろしい……エスト!」
それまで公園のジャングルジムに寄りかかって、面白そうに成り行きを見守っていたボンデージな赤い髪の美女を呼んだ。
「アタシはいつでもよろしいですよ殿下」
ひょいとエストが前に出る。
「さ、昼間の借りを返すわよ……アドネ!」
「は」
これまたいつの間にか、アドネがエストの横に現れていた。
そして、少年は見た。
背後に控えていたサングラスの美女が、優雅にエストの身体を抱きしめた。
ボンデージな衣装の赤い髪の美女は、真っ白な喉を見せつつ、のけぞるようにしてアドネの唇に、己のそれを重ねた。
ぴちゃり、という子猫が皿のミルクを舐めるような小さな、そして驚くほどいやらしい音がやけにハッキリ聞こえた。
唇が離れる。
「剣よ!」
美女の鋭い声は、薫のジャケットの中、子猫がビクッと硬直するほど激しかった。
途端にアドネの身体が光り輝き、水銀の彫刻のようになるとすいっと形を失って美女の右腕にまとわりつき、そして新たな形に変わるのを少年は見た。
まばゆい輝きが一瞬、弾けるように、強さを増すと、それは天空へ向けて柱のごとく打ち上げられる形で消え、エストの右腕には厳つい板金鎧の腕部分と、巨大な剣が現れた。
恐ろしく、長い。
西洋剣の分類で言えば、それは両手大剣に分類されるべきものだが、大きさは中世の鍛冶屋が戯れに打って店の看板にしたという「竜殺し」とか呼ばれる類いのものになる。
「『雷撃騎士』エスト、その剣『閃光大剣』アドネ、推参!」
と美女は宣言した。
目の色というか、そのものがこれまでと違っていた。
驚くほど澄み切っている。
「さ、こっちの準備は出来たよ」
しかも、どう見ても鋼鉄よりも軽い材質とは思えないそれを、ボンデージの美女はひゅんひゅん、と小枝のように振り回し、ちょいと肩に担ぐようにして、こちらを嘲笑する笑みを鼻先に浮かべた。
剣の起こす風が、子猫を入れたままのジャケットの裾を翻す。




