10
「で、契約前に武騎人と王族を襲い、しかも失敗して返り討ち寸前、這這の体で帰ってきたというわけか」
凛とした声が、都内最高級ホテルの一室に響く。
一泊するだけで数百万かかるロイヤルスウィートだが、ここの主は五年分の宿泊費用を先払いしていた。
「は……申し訳なく」
「……」
じろり、と切れ長の眼が、足首が埋まりそうな本物の最高級ペルシャ絨毯に膝をついてうなだれるボンデージな騎士エストを見つめた。
眼に相応しい美貌である。
「シムト殿下、お許しを、とは申しません」
頭を下げたまま、エストは殊勝な声で言った……作ったものではない。
この人物は、彼女が心底の忠誠を感じている数少ない人物なのだ。
「謀略は戦神のならいではありますが、失すれば死は必然、覚悟は出来ております」
きりりと引き締まった口元、通った鼻筋。
短く切りそろえた栗色の髪。
窓際にすらりと立った細身の身体には、袖の大きな、十八世初頭のヨーロッパ貴族のような出で立ちがよく似合う。
男らしいというよりは中性的だが、それが凛とした表情と相まって、艶めかしい曲線を描いた刃のような魅力を与えている。
うっかり見とれていると、指の一本も落としてしまうような剣呑さ。
「恥に恥を重ね、さらに敗北という果実を盛りつけて私のところに差し出してくるとは、我が帝国の『騎士』殿も大したものだ」
皮肉の響きすらない冷徹な声に、あの凶相狂眼のエストが声も出せず肩を震わせる。
「これならば、まだ代々の家禄を与えないですむ分『戦神騎士』のほうがマシというものであろうな」
栗色の柔らかい前髪の下、刃の輝きが、凶相狂眼ながらプロポーション抜群のボンデージ騎士を睨みつけた。
その険しさも数秒、「仕方がない奴だ」と苦笑いの表情を栗色の髪の貴族が浮かべたのを遮るように、
「落ちぶれ果てた家系の貴様を、誰が拾い上げてやったと思っているかねえ?」
ねちっこい嫌みな声が、栗色の髪の貴族の横に控えていた痩せぎすの男から放たれた。
一見青年実業家、という感じの整った風貌に銀色のタキシード姿という目立つ姿ながら、悲しいぐらいにそれが場末の売れないコメディアンか、粋がったチンピラのようで、人物の貧相さをアピールこそすれ、隠してはいない。
「シムト殿なくば、お前など今頃はその尻丸出しの浅ましい衣装すら着けられぬ、卑しいイヤシイ商売に身を落としておるところだ。
その貴様を拾い上げてねえ……」
なまじ悪くない、どころか黙っていればそれなりの美形だけにネチネチと文句を言う口先が尖るありさまは、目を背けるか、水でもかけたくなるほどに卑しい顔に見せていた。
これで舌なめずりでもしていたら子供向けアニメに出てくる「悪いハイエナ」そのものである。
「バルート!」
シムト殿、呼ばれた美丈夫は、エストを怒鳴りつけたときよりも厳しい声で、扇情的な格好の「戦神騎士」を責め立てようとした男の口上を止めさせた。
「それ以上お前が言うのならば、私はお前の監督不行き届きもとがめねばならなくなるが?」
途端、痩せぎすの男は黙り込む。
「この者は余の臣下だ。
そちと同様にな」
と「二重の意味」を持たせた釘を刺し、顔をうなだれた美女に向けた。
「せめてもの幸運は、この戦いは正式なものとして数えられぬということだ……二度目の敗北は許さぬ、その時は、私の寛容さにも限りがあるぞ」
冷徹さの中にもどこか優しさを含めた絶妙の声で言い渡すと、シムトは「去れ」とエストを促した。
「はっ」
感謝をこめて頭を下げ、エストは退出する。
「……」
紫檀の机に片手を置いて、栗色の髪の貴族は溜息をついた。
「殿下は甘すぎますぞ」
ドアが閉まるか閉まらないかのうちに痩せぎすの男がねちっこい声をこちらに向けてきた。
「第一、あのような没落した騎士なぞを徴用したのが間違いなのです、私の推薦する者であったなら……」
「悪いな。
すでに戦いは始まっておる……それに、オクトアナ教国との戦いであやつは立派に勝っておるぞ、お主のお望み通りの勝利をな」
「そ、それは、確かにそうですが」
バルートの顔が強ばる。
エストは一年前、戦神騎士として召し抱えた最初の戦いを見事にそして相手に対して勝ち誇った挙げ句、足蹴にするという「醜い勝利」をあげていた。
バルートの「本当の主」が望む「汚い勝利」という奴だ。
「まあ、それはそれとして、今度の戦い、負けは許さぬと私は今エストに言ったはずだが?」
エストを先ほど叱ったときの目つきで、シムトはバルートを見つめた。
「それとも、私が自ら剣を抜くことが出来ぬ愚か者だとでも言いたいのか」
まっすぐな目が、バルートを射抜いた。
「お前が叔父上直属の貴族官僚であろうとも、王族への侮辱は許さぬ」
それは大上段に構えられた剣であり、突進してくる騎士の抱えた馬上槍のような「正しさ」と「決意」が込められていた。
「私は調停王子だ。
何をなすべきかは知っているぞ」
立ちふさがったり、うっかりしたことを口にすればただではすまない。
この第四王子は単なる「手札」として言葉を使うことは決してないのだ。
「は、僭越でございました」
即座に男は頭を下げた。
「お許し下さいませ」
彼がこの王子の下に配属される前、この第四王子は宮中において、彼の血筋と素性を小馬鹿にした大臣のひとりの首をその場で抜き打ちにしている。
その大臣が小物であったことと、王の「その剛胆さやよし」のひと言で何の罰も与えられなかったが、おかげでこの王子は「その程度」では地位が揺るがないことを保証されている。
バルートも自分がふたり目になりたいとは思っていないのであった。
「……」
しばらく王子はバルートを見つめていたが、やがてその視線を外し、背を向けた。
バルートが押し殺した長い、安堵の溜息をつくが、それを聞かぬ振りして、シムトは言った。
「すまぬが、下がってくれ……私は気が高ぶっているようだ、しばらくひとりでいたい」
「は」
バルートはそういうと杓子定規に頭を下げ、部屋を出て行った。
その顔にあからさまな安堵の表情が浮かんでいる。
「……」
シムトは白い手袋の上、右の人さし指にはめた指輪に親指で触れ、軽くドアに向けて振る。
「施錠」の魔法はこの世界においても作動するのは確認済みだ。
薄い輝きがドアノブを覆い、部屋の入り口を固めた。
机の前にある椅子に腰を下ろし、襟元をゆるめる。
特注のコルセットの留め金を外すと、無理矢理押さえ込んでいた胸の谷間が解放されてかすかに揺れた。
長い溜息が、シムトの唇から漏れた。
横顔は、先ほどの凛とした鋭さを幾分か脱ぎ捨てて、年相応にあどけなく、無防備な少女のそれだ。
シムトは彼女の世界でも男名前である。
それが本名だ。
男として生まれ、育てられなければ、彼女はとっくに殺されていたに違いない。
そういう時期と立場でシムトはこの世に生を受けた。
「兄上」
小さく、少女は呟いた。
王子としてではなく、少女の声で。
「私に……力を」
ぎゅっ、と少女は手を握り締める。
その中心には、先ほど魔法を使うために触れた指輪。
彼女を救い、第四王子としての立場を授けてくれた異母兄からの、それは贈り物である。




