68 調印式
トン、トン、トン。
ルジャンはドレッシングルームのドアをノックをすると、セイビアの返事を待ってから扉を開けた。
「ルジャン成長したな。またずかずか入っていって、殴られる流れだと思ったよ」
ジールとフェリは、扉から少し離れたところで身構えていた。
「俺はバカだけど、散々失敗すれば学ぶよ!」
「そうだな、お前は学べるバカだったな。じゃなきゃあんなに強くはならないな」
「ジール様。褒めているのかけなしているのかわかりませんよ」
ジールは腕を組み、子供の成長を思う父親のような顔で感慨深く頷いていた。
「ごちゃごちゃうるさいね。さっさと入りなよ!」
部屋の中では、侍女たちがセイビアの着付けを終えようとしているところだった。
陽光が大きく入る窓から、セイビアが照らされ、髪やドレスがまばゆく光って見えた。
「もう少しお待ちください、セイビア女王陛下」
「もういいだろ侍女さんたち」
「セイビア陛下、もう少しお腹を引っ込めて、胸の位置を高く保って下さいませ」
侍女たちは数人がかりで、様々な角度から体全体のラインを確認し、白とベージュを基調にしたロングドレスを隅々までチェックしていく。
金色の刺繍とネックレスの宝石の色の組み合わせ、アップにまとめた編み込んだ髪も、ほつれや崩れがないか、再度入念にチェックしていった。
生き生きと仕事に励む侍女たちとは対照的に、セイビアはうんざりした表情で痺れを切らしていた。
ようやく最後にティアラが頭へ乗せられ、セイビアの大きなため息で締めくくられた。
「セイちー、キレイだよー!」
ソファーに座り、目を輝かせながらセイビアの支度を眺めていたマイネは、目じりにしわを寄せて微笑んでいた。
セイビアはフフンと得意げな顔をすると、装飾品を収めた大きなチェストに肘をかけた。
「マイネも似合ってんよ! その赤いドレス! ルジャンはアーシと似た感じなんだな」
「なんか、女王と同じ生地の方がいいんだってよ」
ルジャンはセイビアのドレスと同様の、白とベージュを基調にした礼服に身を包む。着慣れない窮屈さに、ルジャンは首のネクタイを終始いじっていた。
「2人並ぶとー、うーん、立派に育ったねー」
「マイネはウチらの母ちゃんか!」
「いちおー1つ年上だしー、フェリチーと同じ年ですからー!」
マイネは飛びつくようにして、フェリの腕に抱き着いた。
「マイネさん、服にこすれてお化粧が落ちますよ」
「フェリちーもドレス着ればいいのにー」
「私たちは公務ですから、いつもの服でいいんです。ね、ジール様」
「え? あーそうね。いやー、マイネはターラと同じ年くらいかと思ってた」
フェリとマイネの胸元を見比べている目を、すっと横にやり、ジールは誤魔化すように首元をかいた。
「ジール様、どこを見ているんですか!」
「あーどこ見てるのー」
「君ら仲良くなったよねーと。うん、話そらしてごめんなさい……」
ジールが苦笑いを浮かべていると、ルジャンは目を見開き、大発見をしたように拳を自分の手のひらに打った。
「大、中、小か! なるほど!」
大声を上げ、フェリ、セイビア、マイネの順に、ルジャンは視線を動かしていった。
「勝手に納得するな!」
セイビアがルジャンの頭を叩くと、スパァンと切れ味の良い音が部屋に響いた。
「男性方、女性の体を見比べるものではありませんよ」
年配の侍女が眉をしかめて苦言を呈していると、セイビアはズカズカとルジャンの前へ足を進めた。
「そうだぞ、誰が中だっ! わりと大寄りだろ!」
セイビアはドレスで寄せて上げた胸元を、ルジャンの目の前にドンと自慢気に突き出した。
「セイビア陛下、あまり動くとまた服にしわができてしまいます」
侍女たちはセイビアを取り押さえると、また入念なチェックを始めた。
「そんな細かいとこいいだろ」
「そうはいけません。今日はこの国にとってとても重要な日! 女王陛下に一片の隙もなく、大衆の前に立っていただかなければ」
やれやれ、と言った感じでセイビアがため息を吐いていると、コホン、とピオの大きな咳払いが響き、ピオと一緒にプラーガも部屋へ入ってきた
「ドアを開けっぱなしで不用心じゃのう。そろそろよいか、皆を待たせておるのじゃ」
「調印式の準備は整い、調印使節の方々や、各国代表の来賓、参列者の方々も準備ができていますよ」
「ピオ司祭に、プラーガさん、分かった! うっし、じゃ行くか!」
セイビアは口を一文字に結び、ドレスの腰元で拳をグッと強く握りしめた。
調印式の会場は、王宮の2階のバルコニーに設営された。
バルコニーの下の庭園には、ファッド国の貴族や他国の来賓者の席が用意され、その後ろには立ち見にもかかわらず、庭園中を埋め尽くすほどの国民が集まっていた。
バルコニーと広間の境界にある、掃き出し窓のカーテンに姿を隠すようにして、ピオとプラーガは眼下を見つめ、その人の多さに改めて目を見張った。
「よく王宮にこれだけ国民を入れたのじゃ」
「渋っている貴族たちを一括したセイビア陛下の姿は、圧巻でしたね」
「国の大事なことをやるんだ。国のみんなに見せなきゃ始まんねーだろ」
セイビアが先陣を切ってバルコニーに姿を現すと、国民たちから一斉に盛大な歓声が上がった。
「隣に聖剣の騎士様も現れたぞ! この国の英雄パーティーだ! もはや勇者の再来!」
「赤いドレスの女性が、この国一番の魔導使いだとかっ、お2人の幼馴染らしいぞ!」
「女王様と騎士様おそろいよ、キャー! そういう事なの!?」
セイビアとルジャンのカップルに、黄色い歓声を上げる者もいれば、
「内戦を無血で納めた手腕! 愚王から私たちを解放してくれた賢王の誕生だ!」
「汚職貴族や役人も一掃したらしいぞ! 頼りになる!」
政治的な期待を込めた賞賛の声もあった。
「孤児院の手伝いに通っている姿も見たぞ!」
「まぁ慈愛の聖女様のようですわ」
冒険者時代の活動を持ち出し、崇めるような視線を向ける者もいた。
「なんか話盛られてないか? ま、噂なんてそんなもんか」
「俺ら噂で人のこと言えないな」
「ねー、うわさに踊らされてー、ジルちー襲ってー。まさか王様になるなんてねー。 アタシあの時殺されるんだと思ったー」
「アーシもだよ。やらかしちまったって感じで、もうお先真っ暗だったのに」
「俺なんか気絶してて、何も覚えてないからな。目が覚めたら騎士になるなんて、夢みたいな事が起きて」
「今じゃ王様になるなんて、夢どころか奇跡だよ」
「何を惚けておるのじゃ。夢でも奇跡でもない、さぁ民の前にその存在を強く見せつけるのじゃ」
ピオに背中を押され、バルコニーの手すりから身を乗り出すようにして、ルジャン、セイビア、マイネは手を振った。
歓声はさらに大きくなり、衛兵が落ち着かせようと働きかけるが、全く収拾がつかず、熱気は充満し、溢れんばかりだった。
見かねた音楽隊はファンファーレを奏で、金管楽器の甲高い音がその喧噪を打ち消した。
そして、演奏が終わると同時に、ピオがバルコニーの最前に立つと、司祭という教会の権威の象徴を前にして、皆厳かな空気を感じ、あたりは静寂に包まれた。
衛兵がバルコニーの中央に演台を置き、そこへピオが立ち、聴衆を一望した。
「これより、ファッド国とクラベス帝国の講和の調印式を始めるのじゃ」
ピオの背後に大理石のテーブルが設置された。ピオはその上にペンとインク、そして講和条約の内容が書かれた条約書を置いた。
ペンとインクは教会の加護を受けた特別な物で、後で書き換えたり消したりなどの細工が出来ない仕様になっている。
条約書は、講和の内容が数十ページにわたって記され、最後のページに代表者各位がサインをするための白いページが綴じられていた。
「では、条約書にサインをするのじゃ。まずファッド国から、セイビア女王」
セイビアは一度お辞儀をして、条約書の最後のページの一番上に、セイビア・ブレンダ・ノデリ、と祖母の家の古い苗字も記した。
「ノデリ家の復興。祖母のマーサも、祖先も、お主を誇らしく思っているのじゃ」
「関係ねーよ。アーシはアーシだ」
そっけなく言い返すも、セイビアは生まれ故郷の方へ視線を向けた。懐かしさに目を緩ませるも、すぐに目元に力を入れ、誇らしげな笑みを浮かべた。
「帝国代表、プラネ・ヴァン・クラベス殿下。そしてチアーナ・ネゴ侯爵。前に出るのじゃ」
帝国の皇子の登場に、聴衆から恐怖に似たどよめきが上がった。
しかし、そのすぐ後ろを歩くチアーナの美しさを見るなり一転して、聴衆は熱烈な羨望の眼差しを向けた。
「次は友好条約でお会いしたいですね、セイビア女王陛下」
プラネのさらりとなびく金の髪の隙間から見える涼しげな眼は、少し垂れた甘い印象を与えるも、その奥の灰色の瞳には、何かを孕んでいる不敵な鋭さも帯びていた。
「アーシはお飾り。そういう政治はあっちの連中の仕事だよ」
一瞬、その瞳の不敵さに飲まれそうになるも、セイビアは取り乱すことなく、庭園の席に控えているジールへ目を向けた。
「インボス領での戦い、遠くからですが拝見しておりました。この場での佇まいといい、お飾りにしておくのはもったいないかと」
「帝国の皇子様におべっか使ってもらえるなんて、光栄だね!」
甘い声でささやくプラネに対し、セイビアは強い調子で返答した。
「ゴホン、まだ調印式は終わってないのじゃ。帝国の皇子といえ、ここは教会が仕切る場面、雑談は控えてもらうのじゃ」
「プラネ殿下、ここはピオ司祭の言うとおりに」
「あぁチアーナ、この場の主役は私ではなかったな」
チアーナとプラネは、セイビアの下に名前を記すと、ピオへ深々と頭を下げて、中の広間へ戻っていった。
「次は魔導王国代表、ボーンマス・ダッカル伯爵なのじゃ」
「チアーナとの婚礼の儀も、司祭様にお願いしたいですね」
「ボーンマス殿、今はそんな話をしている場合では……」
顔を真っ赤にしたチーアナは、広間の奥から小声で叫んだ。
「フォルシャの件では世話になったのう。我にできる事は任せるのじゃ」
チアーナの下に署名をすると、2人の名前が並んだ事に快く思いつつも、口角を上げるだけにとどめ、ボーンマスは背筋を伸ばし広間へ戻った。
「では冒険者ギルドの代表と、我が教会を代表して署名をして終いなのじゃ」
「オレだけ扱いが雑じゃないか? うちのギルドで面倒見た3人がここにいるんだぞ。大体、ジールの逃亡生活だって、ギルドで偽装した身分証を発行したりと、陰で散々仕事させられたのは――」
「うるさいのう、働いたのは職員でお主ではないのじゃ。さぁ、長いと聴衆も飽きてしまう。さっさと書くのじゃ」
ギルドの代表が眉をしかめながらサインを終えると、ピオは条約書を国民に見えるように高らかに掲げた。
「この講和の条約書をバッカーナ教が預かることで、講和の成立とするのじゃ!」
ピオの宣言に、国民は心からの安堵の表情を浮かべた。
感慨深く噛みしめるように、国民からは自然と拍手が沸き上がり、感嘆の声が広がっていく。
「一時はどうなる事かと思ったが、これで戦争や帝国に怯える日々が終わったんだ」
「占領されることも、奴隷になるかもなんて恐怖とも、今日でお別れだ」
庭園の来賓席に座るリヨンは、その歓声を聞きながら、今日までの葛藤と重圧から解放され、目頭を熱くさせていた。
「リヨンさん、これ使ってください」
隣に座るジールがハンカチを渡すと、リヨンは目じりにシワを寄せた。
「これで、ジールの国とうちが戦争することはないね。良かった、本当に良かった。友人のいる国と戦争なんて、もう二度と起こってほしくない」
「鉱山も当面は共同開発という形になりましたし、他国から見れば友好条約みたいな状態です。仲良くやっていきましょう」
「そうだジール、正式に外交官になったんだよね、おめでとう。これから会う機会も増えるね!」
「これからは外交官としても後輩ですね。お手柔らかにお願いします」
「お仕事の話は後にしましょう。今は、セイビアさんたちが主役の場面ですよ」
「その通りだ。ありがとうフェリ」
「そうね。式典に水を差しちゃいけないわ」
2人は頷くと、参列者の拍手に加わり、バルコニーに目を向けた。
「最後に国民と国賓へ向けて、セイビア女王より、受諾演説をお願いするのじゃ」
「アーシで締めか……!」
セイビアは手にした原稿へ視線を落とすと、その紙は手汗で少し滲んでいた。
使い慣れない文言の羅列、各国の代表者の参列席、大勢の聴衆、一度気にしだすと、その意識は余計に大きくなり、その緊張はずっとそこにあったかのように、セイビアを飲み込んでいき、手を震わせた。
「俺はバカだけど、今のセイビアはめちゃくちゃ立派に見える! ちょっとくらい失敗したって、それは変わんねーよ!」
「今日一番の美人さんだよー! みんな見惚れて話なんて聞いてないってー」
「それはそれでどうなんだい。ちゃんと聞かせて見せるよ!」
セイビアの右手をルジャンが、左手をマイネが優しく握ると、セイビアの手の震えはスッと止まった。
そして、セイビアは聴衆へ向かって、真っすぐに足を踏み出した。
「ここに提示された平和条約は、懲罰的な条項や、報復的な条項を含まず、わが国民に恒久的な制限を課すこともなく、ファッド国に完全な主権と平等と自由を回復し――」
落ち着きのある、凛とした声が王宮の庭園に響き渡る。
聴衆はその佇まいを目に、その声を耳に焼き付けようと、一心にセイビアと向き合っていた。
「――欣然受諾します。 ふぅ、長くて難しくて、わかんない人もいるだろうから、もう一度簡潔に言うよ! この国はもう敗戦国じゃない! 平和な新しい国が始まるんだよ! わかったかい!」
威勢のいいセイビアの声が、庭園中に広がった。
その瞬間、今日一番の歓声が王宮中に響き渡った。
「セイビア女王陛下万歳!」
「王様! 一生ついていきます!」
聴衆からは喝采や羨望、憧れの眼差しが溢れんばかりにセイビアへ向けられた。
「この国民の盛り上がり、私が鉱山都市で演説してもこうはなりません」
プラーガは目の前の盛況に目を丸くし、ピオも収拾のつかなさに苦笑いを浮かべた。
「閉式の辞はいらんかの、そんな空気じゃないのじゃ」
ピオは辺りを見渡し、一応という感じで大きな声を発した。
「では、以上をもって、調印式を閉式とさせていただくのじゃ!」
ピオの言葉を合図に音楽隊は演奏を始め、王都の外では花火が上がった。
「ふぅー。気疲れってのは、慣れないねぇ。洞窟で魔物と戦ってる方が数倍楽だよ!」
「セイビアお疲れ、カッコよかったぜ!」
「うんうんー、セイちー頑張ったねー!」
セイビアがバルコニーから広間へ入ると、真っ先にルジャンとマイネが出迎えた。
「セイビアよ、ご苦労だったのじゃ。そして署名してくれたみなも、ご苦労様なのじゃ。これで仲裁に入った教会の権威も保たれる。心よりお礼を申すのじゃ」
「アーシからも、心から感謝をさせてくれ。えっとあと。遠路、ご足労いただいたこと、感謝する。しばし席を外すが、皆さまへの歓迎の宴まで、ごゆるりと過ごしてほしい」
慣れない言葉遣いに顔を濁しながらも、セイビアは言葉を発した後、相手を1人ずつ見渡し、一度だけ深く頷くと、ルジャンとマイネを連れて部屋を後にした。
「もうこれで仕事はお終い。って思ったら、まだ仕事は終わりじゃないっていつものパターン! アーシも慣れたよ! さ、行くぞっ」
「オレは楽しみだぞ!」
「ねー! セイビア女王陛下のお披露目ー! 戴冠式のパレードー!」
セイビアたちが階段を下りて、一階のエントランスホールに差し掛かると、ムッサーを先頭に出迎えの騎士がずらりと並んでいた。
セイビアの姿が現れるなり一同は跪き、先頭のムッサーが顔を上げた。
「馬車の準備はできているぞ。パレードのルートの警備と道中の警護は任せろ!」
「ちょっと前に騎士隊に入隊したと思ったら、その騎士隊に護衛してもらう身分になるなんてね。見知った顔ばかりで安心だけど、なんだかむず痒いね」
「その内慣れますよ。あなたたち3人の真摯な気持ちは皆知っています。立場が変わろうとも、その信頼は変わりません」
「うれしい事言ってくれるね、ケーチ隊長! ムッサー軍務大臣も、これからもよろしく頼むよ!」
セイビアは大地を踏みしめるように、一歩一歩に意思を込めるようにして足を進めた。
その威風堂々たる姿に、ムッサーやケーチ、騎士やその場にいる衛兵や侍女たちも、仕えるに値する王だと、期待を胸に敬意を込めた視線を向けた。
衛兵が扉を開けようとすると、セイビアはそれを止めた。ニィっ、と口角を上げて、装飾のされた重厚な両開き扉を自分で開けた。
目の前の馬車寄せには、式典用の金細工の紋章が刻まれた、豪奢なランドー型のオープン馬車が用意されていた。
その後ろには、護衛騎士たちの馬が列を作り並んでいた。
セイビアが後部座席に、ルジャンとマイネがその向かいの席に乗り込むと、衛兵がステップを片付け、馬に乗ったケーチがセイビアへ視線を向けた。
「さぁ、よろしく頼むよっ!」
「前へ! 出発せよ!」
ケーチの合図を皮切りに馬車が動き出すと、護衛の騎士たちもそれに合わせて馬を歩ませた。
音楽隊の金管楽器が高らかに出発の合図を奏で、一行は弾けるように動き出した。
蹄の音がカツンカツンとリズムを刻み、音楽隊の奏でる音に呼応して、聞く者たちの胸の鼓動を刺激し、城門の外では、セイビアの登場を待つ人々の心を弾ませた。
毎日18時更新を予定しています。
よろしければ、お付き合いいただけると幸いです。




