59 潜入
「真っ暗で何も見えないな」
日が落ちた山の中、獣道らしき足場はあるが、周囲の枝葉が目の前を塞ぎ、それすら確認するのは困難だった。
「ジール様、ここに川の跡です」
山の湧き水を街に通すための水路の石畳。今は枯れ、落ち葉や土で埋まっているが、フェリは足の裏の感覚で探し当て、軽く土を掘って確認した。
「何もわからんのじゃ。夜目が効くフェリがおらんかったら遭難してるのじゃ」
ピオは地図を広げ、おそらく現在地と思われる場所を凝視した。
ボアのインボス領は、城壁が築かれた中央の平地と、両脇の山、背後の海に囲まれた盆地に作られた港街だった。
「投降してきた衛兵の話ですと、ほとんどの兵は城壁側に集まり、山への警備は手薄だと。枯れた川の道、進入路に使えそうですね」
「山の警備も、整備された山道に兵が割かれている。地元の人しか知らないこの真っ暗な山道への意識は薄いだろうな、残る警戒は魔物や獣ってとこか」
ジールが山の暗闇へ警戒を向けている横で、フェリはピオに不安気な瞳を向けた。
「司祭様、こんな危険な場所まで来られて、いいのですか」
「鬼人種が長生きなのは、様々な時代の転換点、変革期、分岐点を目で見て体感し、この世の生き字引として、後世へ語り継ぐ務めもあると思っておるのじゃ」
「そんな仰々しい節目になりますかね」
「それは後の歴史家が決める事なのじゃ。勇者だって魔王を倒すまでは、どこにでもいる冒険者の1人に過ぎなかったが、立ち寄った村での何気ないお使いクエストも、今では仰々しい伝説の1つになったのじゃ」
「進入路の偵察なんて、お使いクエストにもなりませんよ」
ジールが呆れた声を漏らすと、フェリが口もとを抑え、空気に溶けて消えるような小声を発した。
「今、何か動きましたっ。気を付けてください、獣や魔物にしては足音を消すのに長けています」
「ボアの兵か? この山の中で足音を消せるなんてかなりの手練れ、暗闇での戦闘はやっかいだな。音で衛兵に気づかれる可能性もある。一度撤退するか」
そう言いながらも、ジールは腰の剣に手を伸ばした。
フェリも懐から2本の短剣を取り出し、何者かの気配の方へ鋭い視線を送った。
ジールとフェリはお互い目で合図をすると、その気配の方へ、ジールは右から、フェリは左から、体を伏せて夜の闇に紛れるように、足音を殺してそっと近づいて行った。
ジールの抜いた剣が、月明かりを捉えた瞬間だった。
キラリと光った剣筋は、その気配の主の首元へ放たれた。
「何者だっ」
ジールの剣が首から数ミリ手前で止まると、相手は素直に両手を上げた。
「ま、まままってくれ、俺だ、ルジャンだ! って怖ぇーよ! なんでこんな真っ暗闇で、正確に急所狙えるんだよ!」
「ルジャンさん? ではお2人は、セイビアさんとマイネさん?」
フェリの両手の短剣は、セイビアとマイネの首元を捉えていた。
「は、ハハ、相変わらずフェリさんはおっかないね……」
「なんでわかったのー」
セイビアとマイネも額に冷や汗を浮かべて、両手を上げていた。
「なんで来ちゃうかなー。いや、来そうな気配はあったけどさー」
「えへへー」
「笑うとこじゃないよマイネさん? しかしこんな真っ暗な山道、よく付いてこれたな」
「マイネは夜狩りもしてたから、夜目が効くんだよ」
「お父さんに連れられてー、結構やってたんだよー」
「だからって足音消して、お前ら意外と器用だよね」
自慢げなマイネに対して、ジールはあきれ顔で返し言葉を続けた。
「偵察は一度切り上げるか。ムッサー隊長も今頃心配してるだろうし」
「まだ偵察は終わってないだろ。大丈夫だ、書き置きしてきたし! これがアーシが王様になっての初仕事なんだ。ジッと待ってるだけじゃ気持ちが収まらないよ」
「王様は、本陣で偉そうにしてるのが仕事だよ」
「分かってるよ、アーシがお飾りの王様だって自覚もある。でも、後ろで踏ん反り返ってるだけじゃ、お飾りにしたってカッコがつかないだろ! そんなのが王様ってみんな信用してくれるかい?」
暗がりでも、セイビアの瞳に力が籠っているのが伝わった。そして、その瞳の奥の焦燥感や不安も、同時にジールの目に映った。
(根は真面目なんだよなー。だから王様にとも思ったんだけど、それゆえに心が急いてしまってるのか)
「俺バカだけど、少しは役に立てると思うんだ。すっげぇ迷惑かけたのに、助けてもらってばかりで、今を逃すと、恩返しできる時がいつあるか」
ルジャンの熱のこもった言葉に圧されて、ジールは出しかけた言葉を飲んだ。
「……マイネがブレーキ役になると思ってたんだがな」
「止めようと思ったけどー、アタシもジルちーの役に立ちたいなーって。フェリちーとも仲良くなったしー、ターラちーにお兄様をよろしくって言われたしー」
「ターラの名前出すのはズルいよ?」
「ターラちーに弱いねー」
「アーシらジールさんの力になりたいんだ!」
「今の俺たちならジールさんの力になれると思うぜ! できるよな??」
「ルっちー半信半疑ー、でもー、アタシも少しは成長したよー」
3人の真っすぐにジールを見つめる瞳と、熱のこもった言葉を向けられ、ジールは頬をポリポリと掻いた。
「そんなに真面目に語られてもな。気持ちは尊重したいけど、ピオ司祭どう思います?」
「そっけない! もっと何かあるだろ!」
(力になりたいって気持ちは嬉しいけど、新しい王様に何かあったらと考えると……。年長者の言葉なら聞いてくれるか?)
「これも勇者の血なのじゃ。どんな危険な事態も率先して先頭を走り、皆を鼓舞してきたからこそ、魔王を討伐した後に、民が王として崇めるようになったのじゃ」
「そりゃ、昔の価値観も大事ですけど……」
「エスタには引き継がれなかったその使命感。セイビアに受け継がれていて我は嬉しいのじゃ」
期待した返答ではなくジールが眉を下げていると、フェリは伏し目がちに口を開いた。
「偵察なら殺し合いに行くわけではありませんし、危険は少ないです。皆さんの気持ちを無下にするのは、少し寂しいです」
「……2人は賛成なのね。ここで1人悪者になる勇気はないな」
「じゃぁいいのか! 同行して!」
「あぁ、後で一緒にムッサー隊長に怒られよう」
「ジルちーはフェリちーにも弱いよねー」
「否定はしないよ。ってルジャン、お前は黙っててもうるさいな、今隠密行動中ってわかる?」
ルジャンは何度も両手を上げて、ガッツポーズを繰り返していた。
全く音をさせていないにも関わらず、目の端で何度も繰り返される執拗な動きに、ジールは否応なく意識を持っていかれた。
「だから、声に出さないで体だけ動かしたんだ!」
「一応考えて行動してくれてるのね。うん、その気持ちは大事だよ……」
ジールが呆れて言葉を返している横で、セイビアはピオと肩を組んでいた。
「さすがピオ司祭! 教会の寄付額増やすよ!」
「それは良いのじゃ! セイビア新王万歳なのじゃ」
「王様と司祭様で癒着関係を結ぶの止めてくれますぅ!? はぁ、不安しかないよ」
ジールは頭を抱えるも、フェリはその様子を見て頬を緩ませていた。
「フェリ、君はなんだか楽しそうだね」
「ジール様が慕われている空気を、心地よく感じています」
「そうか? んー、まぁそういう事にしておこうか」
「あー、ジルちーめんどくさくなって流したー」
「はいはい、お仕事するよ。ほら、みんなフェリの後ついて、マイネも夜目が効くなら周囲の警戒を頼むぞ」
「わかったー!」
若干の賑やかさが残る事に不安を感じつつも、ジールたちは夜の闇の中へ、溶けていくように足を進めていく。
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