53 ルジャンの決意
帝国打倒を掲げた決起集会の日。
湿り気を帯びた息苦しい空気が、不安や恐れといった負の感情と混じり合い、街中を重く漂っていた。
「国中の兵が集められたって」
「うちの子も徴兵されたよ……」
街の人々が漏らす声が、不穏な空気をさらに濃くしていった。
「なぁ母さん、こんな日に焼き菓子なんて焼いてる場合じゃないだろ。ルジャンたちも、立派な冒険者になったと思ったら戦争に駆り出されて、もう会えなくなるかもしれないんだ」
「何があろうと自分にできる事をやる。何もしない理由にはならないよ」
小麦をこねている女将の手と、店の窓から見える城壁と、アンバーは繰り返し交互に見た。
「……やっぱり心配だから、ちょっと見てくるっ。後でちゃんと仕事もするからっ」
女将の「やれやれ」と言わんばかりの表情を残して、アンバーは城壁へ向かって駆けだした。
王都の城壁の外、まばらに雑草の生える広大な平地には、各領地から集められた騎士が騎乗して隊列を組み、その背後には衛兵や徴兵された兵、志願兵などが隊列を組んでいた。
隊列の先頭にはムッサーやケーチといった、各騎士隊の指揮官たちが勢揃いで並び、隊列へ険しい目を向けている。
その隊列を見下ろす形で、小高い丘の上には貴族や領主たちが馬車に乗り、その隊列へ冷ややかな視線を送っていた。
「勅命ならばと兵を出したが。此度の戦、国防のためと言うが、本当に大義はあるのか?」
「ハイジールが失脚しなければ、講和がなされていたはず。やはり殺されたか」
「前王の政策を引き継ぐ気概は買っていたが、だから同様に消されたのだ。逆らえば我らの命も危うい」
「明日は我が身、従う他ない。反抗すれば反逆罪だ、私の代で家を潰すわけにもいかない」
「魔導兵器を投入することで勝算はあるというが、いったいどれほどの威力の物なのか。裏町で実験をしていたのは本当なのか? 街を半壊させたと聞くが」
貴族たちの放つ疑心暗鬼な視線は、言葉よりも饒舌だった。
その眼差しは、兵たちを動揺させる空気を生み、重苦しい沈黙を充満させていく。
アンバーのように多くの民衆は城壁の外へ出て、その集団を見つめていた。
言葉にできない感情を飲み込み、やり場のない重たい視線が、兵たちの肩にじりじりとのしかかる。
ムッサーたちの指揮も空しく、あちこちで隠しきれない不快感がざわめきとなって、兵たちの中で伝火し始めていた。
「ちぃっ……」
一段高い丘の上に巨大な天幕が張られ、その影に据えられた豪華な玉座に、エスタは深く腰を下ろし、眼下の軍勢を不機嫌な表情で睨みつけた。
舌打ちをして、貴族たちの馬車へジロリと目を向けた後、衛兵にボアを呼んでくるように言いつける。
「ボアよ。余の御前であるぞ、何故貴族どもは馬車の中にいるのだ。陰に隠れ、余の威光を拝まずに済むと思っているのか!」
「エスタ王のこの神々しい御姿を拝む栄誉を自ら捨てるとは、貴族の風上にも置けませぬな」
へりくだった姿勢で、エスタを称える言葉を吐きながらも、ボアの心の内は、常にエスタを上から見下ろしていた。
(王という権威、勇者の末裔という歴史の重さがあってもこの人望のなさ。前王とは天と地の差。この神輿、早々に下りて頂くしかないな)
ボアは連れ立った配下の貴族に目をやった。その貴族たちはエスタの前に跪き、天啓を受けたかのような、仰々しい調子で声を上げた。
「陛下、私めは違います! 陛下の御そばを離れることなど万死に値すると考えております!」
「私もこの通り、靴が泥にまみれようと、喉が砂に焼けようと、高貴な御身のお姿、近くで拝顔いたすことができて光栄です!」
揉み手をする指先を絶えずピクピクと動かし、必死に褒め称えるも、エスタは「まだ不十分だ」という不満な表情を浮かべ、天幕を後にした。
軍勢の中央には、人の背丈ほどの高さに組まれた、即席の木壇が設置されていた。
エスタは一段ずつ階段を上り、その頂から軍勢を一望した。
王宮勤めの衛兵や隊長格は、エスタの顔を認知している。
しかし、地方の領から出来てきたばかりの兵や、徴兵された冒険者といったその場にいる多くの兵にとって、即位して半年足らずのエスタの顔を知る者は少なかった。
そのため、壇上の人物が誰なのかわかっていない者が多く、皆ポカンとした顔で眺めていた。
「……どこの貴族だ?」
「先頭の隊長たちはなんか雰囲気変わったか?」
「偉っそうな感じが癇に障るのはわかるけど」
元からある不快感に、さらに燃料をくべた形になり、軍勢のざわつきは一層激しくなっていった。
「ボアっ! この愚民どもは、余が目の前にいる事を理解していないのかっ。余へ羨望のまなざしを向け、地が割れるような歓声と称賛を上げないのはおかしいであろうっ! もっと余を崇め奉れ! 褒め称えよ!」
(この期に及んで、士気の低さより自分への羨望を求めるとは。この愚鈍さが操りやすさでもあるが)
呆れた顔を仕舞い、ボアは恭しく言葉を吐いた。
「こんな事もあろうかと、最近国で頭角を現している冒険者を徴兵いたしました。国民にも人気があるようで。1つ士気向上のために、訓示でもやらせましょう」
「訓示などして何になるっ」
「人気を利用し、士気を上げれば、兵の口も良く動くようになりましょう。王への歓声と称賛の声を上げる為の、準備運動のようなものです」
「フン、人気取りなど、高貴な余がする仕事ではない。いいだろう。その冒険者とやらに訓示をやらせろ」
不機嫌に足音を大きく鳴らしながら、エスタは木壇を降りた。
木壇の脇に待機しているルジャンたちの横を歩くも目もくれず、天幕に戻り王座に座ると、苛立ちを周囲に知らしめるために、大きな音をたてて足をゆすり始めた。
「やーな感じー」
「あれがジールさんと揉めた王様か。それより緊張してきた。こんな大勢の前で話すなんて、めちゃ大役じゃねーか。国の今後を左右するとか脅されたんだけど」
「大丈夫だルジャン。アーシらもついてる!」
「何をしておる、このために高い金で雇ったのだぞ。この訓示の原稿を大声で読めばいいだけ、子供でもできる仕事だ」
ボアが壇上から降りると、ボアの部下はルジャンに訓示の原稿を渡した。
「あーはいはい、ボア大臣様。今行きますよ」
「アタシもー、一緒に上がるのー?」
「みんなで行くぞっ!」
「たかが原稿を読む程度で、何を息巻いておるのか。お前らの成否程度では、世界は何も変わらないというのに」
ボアは冷ややかな目をルジャンたちに向けるも、3人は強い意志を目に宿し、木壇の階段を一歩一歩、力強く踏みしめて登っていった。
ルジャンたちが壇上に上がると、エスタが姿を現した時よりも注目を集めた。
冒険者に戻ってからの期間、お使いのようなクエストから、魔物の討伐まで、ルジャンたちは王都だけでなく、地方の村までの遠征もたびたび繰り返していた。
その甲斐もあり、ルジャンたちの顔はそれなりに国中で知られていた。
「あいつ聖剣の。勇者の再来とか言われてるヤツだろ」
「へー、あれが噂の。隣の2人は可愛い顔してるな!」
「ハーレムか! 羨ましいぞ!」
「えーアタシたちー、カワイイってー!」
「へぇ。意外とアーシらも顔売れてるのか?」
一部野次が混ざるも、興味や好意の声も多かった。
だがその声の多さに、ルジャンの緊張はより一層増した。
「人気という噂は本当らしいな。原稿どおり読み上げれば兵の士気も上がるだろう。捨て駒の割に役に立つではないか」
自身の采配に気を良くし、ボアが天幕へ戻ろうとした時だった。
ルジャンの能天気な声が辺りに響いた。
「えーみんな――いや、皆さん! 最初に言っておく。俺はバカだ!」
ボアの動きが止まった。
「……原稿と違う、緊張でもしておるのか? はっ、もしや文字が読めないのか、本当に言葉どおりのバカなのか!」
兵たちも、いきなり何を言っているのだと首を傾げ、妙な沈黙が一帯に生まれた。
「オレはバカだから誤解もするし、勘違いもする。ホントの正義とか、国の利益とか、難しい事はわからない。だけどそんなバカでも、一つだけ間違いないと思っていることがある!」
ルジャンは大きく一呼吸してから、セイビア、マイネ、と順に見て、最後に自分の故郷の方角へ目を向けた。
「この国に大切な物がある! 故郷の家族、仲間、赤い実のついた畑の苗。みんなにも、この国に大切だって思う人や物、あるだろう! オレはそんな大切な人たちのために剣を振るいたい、みんなはどうだ?」
ルジャンの問いかけに、兵たちや城壁の前にいる民衆も、それぞれが自分の心に問いかけ、情景を思い浮かべた。
家族や友人、恋人、遠方に住む親戚、故郷の村の料理を思い浮かべると、本を読んだり、野草を摘んだり、何気ない日々の営みでさえ、愛おしく感じる者もいた。
そして、それらが魔物や野盗に襲われたら、命を懸けて戦う事ができると、剣を振る理由に足ると、心に火が灯るのを感じた。
各々の心の中の、戦う理由が明確になると、次に疑問がわいた。
今回の戦争は、なんのための闘いなんだ? と。
「前回は帝国が攻めてきたから、だよな」
「今度はこっちからって、なんでだ? 講和を結ぶ予定だったんだよな」
「ハイジールって貴族がなんかやらかしたらしいけど、それだけで戦争っておかしくね?」
「王様やお偉いさんが言うから、やらなきゃいけないんだと思ってたけど」
思っていても口にしてはいけない、そんな空気が段々と薄れていく。
戦争の大義というものが飲み込めていない、そう自覚する者が増えていった。
エスタは慌てて天幕から出て、ボアに詰め寄った。
「ボアっ、こんな訓示で士気があがるのかっ! 我が国の兵の知能はこんなに低いのかっ! 動揺しているように見えるぞ!」
エスタはボアの胸ぐらを掴み、ルジャンを激しく睨みつけた。
「おいっ、原稿を読むのだっ。そんなアドリブを入れる必要はない!」
緊張しているルジャンにボアの声を聴く余裕はなく、目の前の兵たちに訴えかけることで精いっぱいだった。
「こんなバカな俺を信じて、これを託してくれた。その気持ちに報いたい! みんな、これを見てくれ!」
ルジャンは両手を上げて、この場にいる全員に見えるように、勅命の記された書状を掲げた。
「……あれ、思ったより、反応が薄い……?」
ルジャンは、「やりきった」という自信に満ちた表情をしていたが、兵たちの表情には、海に水滴が落ちた波紋程度の変化しか現れなかった。
マイネが、ちょんちょんとルジャンの脇腹をつついた。
「みんな見えてないよー。紙ちっちゃいもんー、字も汚いしー」
「えぇっ!? そうか、文字読めない人もいるし」
「そうだよー。近くの人だってー、みんな目ぇ細めてこっち見てるー。もうルっちーなんでバカなのー!」
「ったく緊張しすぎだ、アーシに任せな!」
セイビアも手を挙げて、ルジャンの持つ勅命を一緒に掴んだ。
「いいかいみんな! ここにはこう書いてあるんだよっ! 帝国との講和は全てハイジールに任せるってぇ! ほらここぉ! 王のサインと、血の王印。これは勅命ってやつだよ!」
「そうだ! ジールさんは俺やみんなと同じ、この国を強く大事に思ってる! もう戦争が起こらないようにしてくれる!」
「ジルちーがいればー、戦争する必要なんてー、なくなるんだよー!」
兵たちの心に動揺が走った。騒然とする声は津波のように広がっていく。
「ボアっ、勅命は処分したと言ったよなっ!」
「フォルシャが処分したと。いや確かに、確認はしてはおりませんでしたが……」
ボアはエスタに胸ぐらをつかまれたまま、頭を前後にガクガクと揺らされていたが、すぐにその手を振り払い、壇上に上がり込んだ。
「皆の者っ、騙されてはいけない、その紙が勅命だという証拠もないっ! 下賤な冒険者のでっち上げだっ。この国を混乱させようとしている帝国のスパイだっ!」
杖を何度もガンガンと床に叩きつけて、ボアは必死に声を張り上げたが、ムッサーがその声を遮り、前に立ち塞がった。
「処分。という言葉は、存在していたものに対して使う言葉。聞き捨てなりませんな。これが偽物だとしても、勅命を降した事実があったように聞こえますぞ」
ケーチや各部隊の隊長たちも木壇の周囲に集まり、ボアとエスタの退路を塞ぐように、じりじりと近づき囲み始めた。
「あんたたちなら見えるだろ、なんか間違ってたら言えよ!」
ルジャンが隊長たちの眼前へ勅命をかざすと、どの隊長も異論を唱えず、支持をするように大きく頷いた。
それを確認したセイビアは、一段と声を張り上げた。
「もう戦争の落とし前はついてるんだ! 終わってんだよ! わざわざもう一度戦争したい酔狂なバカは、今すぐこの場から去って戦ってきなぁっ!」
「偽物の勅命に踊らされるでないっ、この冒険者どもは帝国のスパイだ! お前たちを騙し、この国を混乱させようとしている売国奴なのだっ!」
ボアのなりふり構わない強い口調と、時折泳ぐ視線に、兵たちは言い訳じみた不信感を抱いた。
しかし、額に浮いた脂汗や、必死なボアの形相が、その確信をじわじわと侵食していくのも感じた。
――もし万が一、ボアの言葉が真実だったら?
真実と虚構の境目が、ボアの必死な熱気にかき消されていく。
視界が白く濁っていくような錯覚に襲われた兵たちは、その場に釘付けにされたまま、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
しかしその硬直した事態を、兵の隊列の中に潜む、1人の声が制した。
「その勅命が本物であると、バッカーナ教の司祭、ピオ・チェントロニスカが神に誓って宣言するのじゃ!」
軍勢の最後列は、徴兵された冒険者や志願兵のいる隊列だった。
衛兵や騎士と違い、装備が異なる者が多い隊列の中心で、ピオは冒険者に紛れるために着ていた、薄茶色の皮のローブのフードを脱いだ。
額から延びる2本のツノと、銀色の髪が露になると、周囲の兵たちは一斉に距離を置き、ピオの周りにぽっかりと丸い空間が現れた。
ピオの横にはフェリが護衛につき、その後ろには、ピオやフェリと同じローブを着たターラの姿もあった。
「ピオ司祭様が壇上へ向かいます。皆さん、道を開けていただけますか」
ピオが足を進めると、フェリの言葉に従うように、その進行方向にいる兵たちは、ザザァと波が引くように真っ二つに分かれ、壇上までの道が一瞬で出来上がった。
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