35 大浴場
「俺の知ってる、大浴場じゃない……」
ルジャンは入口を抜けた瞬間、息をのむようにして高い天井を見上げた。
イモ洗いみたいなごった返した街の大衆浴場。もしくは山の中に沸く温泉。それがルジャンの知っている風呂だった。
床は踏んでいいのかと躊躇ってしまう芸術品のようなタイル。壁に据えられた、遠方の魔物を模した龍の像の口からは、豊かな湯が滝のように勢いよくあふれ出していた。
「この湯が出る所の、龍って奴だろ。ジールさん見たことあるか? めちゃ強いんだろ」
「海にいる水龍なら。でもあれは龍ってより蛇に近いな。そういう翼の付いたやつは、アデアの山岳地域に多いらしいぞ」
客はジールたちだけだった。ひたひたと足を進める音すら反響して返ってきた。
「アデアか、めちゃくちゃ遠くだな。こっちに来ることはないのか?」
「こんな大陸の端っこに用はないだろ。トラム鉱石がなければ、帝国もこんな僻地まで軍を進めることはなかったろうな」
洗い場で汗を流し、湯舟に浸かると、馬車に揺られ続けこわばりきった体が、熱い湯の中でゆっくりと緩んでいった。
ジールがその解放感に身をゆだね、「うぁー」と声を漏らしていると、その声をかき消すような黄色い声が風呂中に響いた。
「声、隣に筒抜けなんだが、分かってんのかね」
狭い馬車から解放された反動だろう、大浴場に反響している事もお構いなしに、セイビアとマイネの賑々しい声が、湯口の音を割って隣の男湯まで聞こえてきた。
「セイちー、胸が大きくなったよねー」
「鍛えてっからな、筋肉の分盛り上がってんだ」
「でもアタシは全然ー、杖の練習ばっかで、イメトレ多いからかなー」
「でもおなか回りはシュッとしたぞ。プニ腹卒業だな」
「でも筋肉増えたからー、体重増えたのー」
セイビアとマイネは体を洗いながら、観察するようにお互いの胸や腹を触り合っていた。
「おいセイビア、マイネ。全部聞こえてんぞー、俺たちにー」
ルジャンがぶっきらぼうに声を上げると、隣の女湯からはバシャバシャと湯が跳ねる音が聞こえた。
「はぁっ、ふざけんな、全部忘れろ!」
「ジルちー、今の忘れてー。細くはなったのー、筋肉で重くなっただけなのー」
「うん、どうでもいいから忘れたよ」
「それはそれでムカつくっ!」
「もう少し興味もってー」
ジールはその声に蓋をするように、湯口から流れる滝のようなお湯を頭からかけ続けた。
(あいつらの裸なんて想像したら、フェリに怒られそうだ……)
「お風呂気持ちいいー! 騎士になってよかったー!」
「騎士になってっていうか、アーシらはジールさんに世話になってよかったーって話だ」
(結局話しかけてくるんか!)
ルジャンも隣の女湯と会話を始め、風呂中に3人の声が反響する。
「お礼を言うなら領主のプラーガさん、それと俺の父上に、かな」
「父上って、反りが合わないって言ってた――すまねー、言いたくないよな」
「……いいよセイビア、重い話じゃない。仕事人間で家族と過ごす時間が少ない人だった。仕事の成果だけなら尊敬はしてるよ」
「アーシも、勉強したこと無駄にしたくないって、最近思うようになったよ。アンタのおかげだ」
「礼儀の勉強もしてくれよ。プラーガさんだからいいけど、他の貴族なら、許されない言動してるからな。ってバシャバシャ音してるけど、泳いでないよな!?」
「えー、ダメなのー?」
「なんでいいと思った? いや、でも知らなきゃそういうもんか」
ジールは頭を抱え、先に出ることにした。
ルジャンもすぐ後を追い、2人はロビーのソファーで湯冷ましをしながら女性陣を待った。
フロントの給仕から冷たい水の入ったグラスを受け取り、2人はゴクリと飲み干すと、体の中に残った熱気を吐き出すように、大きく息を吐いた。
しばらくするとセイビアとマイネが到着した。頬は湯船の熱でほんのりピンク色に火照り、2人とも騎士服の袖をまくり、胸元のボタンもいくつか外していた。
「待たせたな、飯いこーぜ!」
「お腹すいたねー」
「おせーぞ! 長風呂すぎだろっ!」
「いいだろルジャン、途中寄った村じゃ水浴びくらいしかできなかったんだから」
「ねー、温かいお湯久しぶりー! ジルちー、ごはんも楽しみだねー」
セイビアとマイネはまだ首元に汗をにじませ、手のひらでパタパタと風を仰いでいた。
「外の方が涼しい、湯冷まししながら歩くか」
4人がホテルの外に出ると、日が沈みかけ、街は街灯に明かりを灯した。
山の吹きおろしの風が、セイビアとマイネの湿り気のある髪をふわりと撫でた。風の冷たさと心地よさを全身で味わうように、静かにまぶたを閉じていた。
「人が多い、ぶつかるなよ」
給仕から渡されたリストの食堂は、中央通りから一本入った場所にあった。
大通りから外れても人の行き来は多く、ジールとルジャンは女性陣の前に立って、人避けになりながら足を進めた。
「ここだ。地元の鉱夫の常連が多い店らしい」
「地元民が集まる店に外れはねーな!」
こぢんまりとした2階建ての木造建築の食堂は、中から活気のある賑やかな声と、肉が焼ける香ばしい匂いが漏れ出ていた。
ジールたちが中に入ると、「いらっしゃい!」と威勢のいい声が響き、唯一残ったテーブル席に案内された。
テーブル同士は適度な距離はあったが、地元の鉱夫と思われる大柄で屈強な男たちが多く、皆体を寄せ合うようにして、食事や酒を楽しんでいた。
「こーゆー店! なんだか落ち着くな!」
「豪華なホテルもいいが、アーシらにあってんな!」
ルジャンとセイビアが意気投合している横で、マイネは壁に書かれたメニューと、店内を漂う香に夢中だった。
「この匂いはー、あの肉料理かなー。初めて見る料理名もいっぱいあるなー」
「せっかくだし俺は地元の料理を頂こうかな。ルジャン、お前らはどうする」
ルジャンが腹の虫を鳴らしながら、壁のメニューとにらめっこをしていると、その視界を数名の冒険者が塞いだ。
ルジャンたちを見下ろす冒険者の目には、苛立ちを隠そうともしない、負の感情がむき出しになっていた。
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