32 突然の地獄
深夜。ジールが目を覚ますと、ビュンッ、ビュンッ、という音が耳に入ってきた。
ムクリと起き上がると、ジールは馬車の乗員の見張りと目が合い、軽く頷いた。
無言で挨拶し、音のする方へ歩き出した。
「月の位置、結構動いたな。セイビアの分まで起きてたのか、ルジャン」
「あの山見てると、なんだか眠くなくて」
「アンドラ渓谷か。月明かりでも結構見えるもんだな」
ジールは夜空を遮るその黒々とした雄大な壁に揺るぎない風格を感じ、思わず身震いしそうになった。
「でっかいよな。うちの村からもいつも見てたよ」
ルジャンはその巨大さに圧倒され、見下ろされているような圧迫感を抱いた。
「国境沿いの村出身だったな。あの渓谷から流れる川沿いだったか」
(山の向こうは旧サボンバ国、セイビアとマイネの故郷か。能天気に見えるが、ルジャンも思う所はあるのか)
「オレの村が地獄になったんだと思ったよ。真夜中に川の向こうは燃えてて、川沿いには向こう岸の村の人たちが沢山流れ着いてて……」
ルジャンは沈痛な面持ちで、ためらいながら言葉を続けた。
「ほとんど死んでた……。矢が刺さった人、燃え焦げた人、窒息して力尽きた人。そんな死体の山がもごもご動いて、生きてる人がいるかもって思って、怖かったけど動いてる手を引っ張って、それが2人で……」
剣の素振りに力が入り、空を割く音が鋭くなった。
「2人。セイビアとマイネか」
「あぁ……。他に息のある人も何人かいたけど、ほとんど死んじまった……」
(サンクラ川は船で渡るような川幅と深さ。生き残りがいるだけでも奇跡だな……)
「2人はそんな地獄の中から生き残ったんだ。俺が感じたよりもっと深い絶望だったと思う。昼間はしゃいでたけど、小さい子が襲われてるの見て辛い過去を思い出してるはず。小さい頃の話もしてたし」
「で、今日は寝かせておきたいと」
「マイネの分も俺がやるよ。あの山を1人で見てると、色々嫌な事を思い出す……」
「バカなりに考えてんだな」
「体張るぐらいしか、取り柄ないから」
「じゃぁ寝ろよ。いざって時動けなかったら元も子もない。体力は回復させておけ」
ジールが毛布を押し付けると、ルジャンは少し考えた後頭を下げた。
「……ジールさん、しばらく頼む。あんたにも迷惑かけないように頑張るから……。今日も自分の事ばっかじゃなくて、みんなの事を考えられるようにって」
「辛気臭いな。お前の取り柄は元気で明るい所だろ」
「そうなのか? 言われたことないけど」
「みたいな事言ってたぞ。地獄を思い出してるのか俺にはわからないが、そんな片鱗を見せないのは、お前の明るさや元気があるからなんだろな」
「役に立ってるのか、そんなのが」
「お前ら、役に立つか立たないかでつるんでるのか?」
「そんな事ないっ。あんな光景見たくない、だから冒険者になろうって、村のみんなも応援してくれて、期待に応えようって」
「3人で頑張ってきたなら、これからも3人で頑張れよ。1人で見張りを頑張るなんて、2人はどう思うんだろうな」
「ッ……! 俺バカだけど、今のはなんかわかるよ。俺自分の事だけ考えてた。今日の戦闘とか、あの山見てなんか変なスイッチ入ってたみたいだ」
「ほらほら、明日も長いんだからもう寝ろ」
「あぁ、ありがとう、ジールさん! 多分いつもの感じになった。そんで迷惑かけないように頑張るからっ!」
ルジャンは火の近くに行き、毛布にくるまった。途端に瞼が重くなり、すぐにゴロンと横になった。
「ふわぁー、良く寝たー! やっぱ高級馬車の椅子は寝心地いいな」
馬車の窓から日差しが入り、セイビアは何度か瞬きをして椅子から起き上がった。
外に出ると、鍋の周りを囲んで寝ている者を数人残して、川で食器を洗う女性たちや、荷物の整理をする馬車の乗員たちの姿がセイビアの目に入った。
セイビアは風で消えた術式の端を書き直し、魔石の火を灯した。
川から女性陣が戻ってきて、朝食の仕込み用に鍋に水を張り、近くで採れた野草をくべた。
セイビアはその横で寝るルジャンの顔をペシペシと軽く叩いた。
「ほらルジャン、起きろ!」
「セイビア、もう朝か……」
寝ぼけ顔のルジャンの横にセイビアは腰を下ろした。そこへカネマがやってきた。
「皆さんおはようございます。簡単なものですが、これから朝食を作りますので」
「カネマさんありがとう。しっかし、また襲われたりしないだろうね」
「そうだな、用心に越したことはないだろ」
川で顔を洗ったジールはタオルで顔を拭くと、馬車に積んでいるセイビアとマイネの服の入った袋をカネマの馬車に放り込んだ。
「ちょっ、それ、アーシらの服!」
「あの猿は頭がいい、お前らの匂いがすれば近づいてこないだろう。それにうちの馬は足が速い、遅れて来れば他の魔物にも襲われないだろう」
「そりゃアーシらが先行して魔物退治すりゃ、後から来るのも楽だろうけど」
「目的地は同じ鉱山都市だ。領主の所に連絡くれれば引き取りにいく、お守り変わりに預かっててくれ。ふう、これでやっと馬車が広々と使えるよ――」
セイビアはジールの胸ぐらを掴み、小声で耳打ちした。
「警戒すんじゃないのかよ」
「あの服売ったって大した金にならねーだろ。もし盗まれたら弁償してやる」
「ジールさん、あんた甘いのか厳しいのかわかんねーよ」
「どっちでもいいよ」
そう言って大きなあくびをすると、ジールは馬車の空いたスペースで横になり、すぐに寝息を立てた。
「セイちールっちーオハヨー! あーよく寝たー」
「マイネ、見張りは?」
「んー、起こされなかったー」
「そういやアーシも一度も起きなかった――ってことは! ルジャンが最初で、その次がジールさん。2人で見張りしてたのかよっ」
「ルっちーと似てるのかもねー。言葉足らずでー、不器用でー」
セイビアは馬車の中で横になるジールに視線を移した。
「こっちは考えすぎで言葉が多いから本音が見えにくい。頭いいんだか悪いんだか、でも――」
セイビアとマイネは顔を合わせて、同じ結論にいたった。
「信用はできる人だな」
「ルっちーぐらいはねー」
「ん? 呼んだか? セイビア、マイネ!」
そこにはいつもの明るい表情で、2人に向き合うルジャンの姿があった。
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