25 訓練初日
王宮の王宮の堅牢な石壁に囲まれたその場所は、普段は騎士の訓練場として、時には有事の際の防衛拠点としての役割も兼ねている。
数百人の兵が隊列を組めるほどの広さの中に、壁際に訓練用の木剣や槍が設置され、弓や魔導武器の的になる甲冑の案山子、石畳の闘技場があり、この日も数十人の騎士が訓練に励んでいた。
「ケーチ副隊長、これが街道警備の詳細の書類になります」
「これはジールさん、アンドラ鉱山街道が本格始動ですか。人や物の往来が増えると野盗や魔物、厄介なのが増えますね」
訓練場の踏み固められた大地には、過酷な訓練に耐えきれず、ぐったりと横たわる騎士が数人転がっていたが、ジールは特に気にすることもなく素通りした。
ケーチもいつもの光景といった感じで、うめき声に耳も貸さずに、ジールから受け取った書類に目を通した。
「厄介なのがそれだけなら……。交易が盛んになった分、商人ギルドや貴族を飛び交う書類も増えて……」
「聞きましたよ! 不正書類を見つけたのってジールさんですよね! 小麦の横流しで、市場の価格を操作していた貴族と商人の癒着、うちの隊も不正摘発に駆り出されましたよ」
「講和の成り行きであちこちかけずり回ってたら、つい目に入っちゃって……」
ジールは呆れたため息を漏らした。
「今年は不作だし、敗戦で国が不安定な時に小麦の高騰なんて余計な不安を国民に与えたら、暴動が起きて国が潰れますよ。講和どころじゃなくなります」
「お手柄じゃないですか! 時期宰相なんて噂も聞きましたよ! 王宮で頭角を現してきたって」
ケーチは景気の良い声を張ったが、ジールの表情はどんどん曇っていった。
「だからこそ、俺の失敗を願っている人も多いようで……。足を引っ張りたいのか、ミスを誘いたいのか、国中の取引の書類を1人で精査してみろと押し付ける輩まで現れて……」
「政争ってやつですか、国の大事に自分の利権しか考えない腐った連中ですね。手助けしたいですが、武官の我々では逆に迷惑をかけてしまいそうだ。悪者に剣を突き付けるだけの楽な仕事ですいません」
足元でぐったりとうなだれている騎士たちは、「どこが楽なんだ」と文句を言いたげにケーチを睨みつけた。
文句は届かず、ケーチは意に介さないといった感じの笑顔で見下ろした。
「騎士隊が警備をしてくれるから潤滑に回るんですよ。改めて、街道警備を引き受けていただいてありがとうございます」
「活きのいいのが3人も入りましたし、そこはお任せを」
「その3人どうです? 使い物になりそうですか、面倒事を頼んでしまって申し訳ないです」
「いえいえ、感謝していますよ。騎士団は万年人手不足ですから」
ジールとケーチは足元をチラリと見てから、闘技場へ目を向けた。
そこにはちょうどルジャンが木剣を構える姿があった。
国から支給された騎士用の衣服に身を包み、背筋を伸ばして立つその佇まいは、ロッカス亭で絡んできた時と比べ、ジールの目に少し大人びた印象を与えた。
「最近は集中攻撃や暴徒鎮圧用に、複数人から狙われる状況戦闘をやらせているんですが、なかなかですよ」
ルジャンは具合を試すように、右手に装備した木剣で俊敏な素振りをしていた。
すでに何度か模擬戦が行われていて、闘技場の外には、ルジャンと打ち合い息を切らしている者が数人横たわっていた。
「新米のくせにやるな、次は3人同時、簡単にはいかないぞ!」
3人の騎士に囲まれた状態で戦闘開始を告げられた直後、ルジャンは迷わず突撃し、3連撃、そして間髪入れぬ5連撃と、小回りを利かせた動きで素早い突きを繰り出し、同時に2人を闘技場の場外へ押しやった。
「はぁ、はぁ、大剣振り回す方が性にあってるけど、片手剣も悪くないな」
ルジャンは息を上げながらも口角をわずかに吊り上げ、会心の出来に酔いしれていた。
そして目の前の手応えに夢中になり、真後ろの3人目の存在が頭から完全に抜け落ちていた。
隙だらけの背後から、脳天に木剣の直撃を食らう事になった。
「ぐぉっ……!」
「次は数を数えられるようになろうな」
「うぐぐ、はいっ!」
脳天を抑えながら苦い顔をしつつも、ルジャンは真っすぐで勢いのある声を訓練場に響かせた。
「すんなり装備変更を受け入れる素直さは評価したいですね。人手が欲しいとはいえ、指示を聞かない人間を隊に入れる事はできませんから」
「素直ゆえに簡単に騙される。また変な噂に踊らされなければいいんですが」
「人も武器も使う人次第です。指導する側が間違えなければいい騎士になりますよ。魔導装備の反動を気合で耐える精神力はなかなかです」
「そう言ってもらえると紹介した甲斐があります。当たりは3分の1か」
「は、外れにするな……」
「……外れでいいから、帰りたいー」
ジールの足元で、先ほどから虫の息で横たわっているセイビアとマイネがか細い声を振り絞った。
「初日の最初だけははしゃいでいたんですが、すぐにこんな状態です」
「通過儀礼ですね。俺もムッサー隊長には相当しごかれました……」
「ジールさんと一緒に訓練した日が懐かしいですね。彼らも初日の訓練を懐かしむ日がいつか来るんでしょうね」
ケーチはぐったりした2人を見下ろしながら、ルジャンたち3人の訓練初日の光景を楽しげに話し始めた。
「おぉー、これが魔導装備ぃ! って、普通の装備と何が違うんだ?」
「アーシがたまに使う魔導の術式あるだろ、それが装備に組み込まれてんだよ」
「じゃー、便利で強い装備ってことぉー」
騎士隊に連行された初日。ケーチはルジャンと軽く木剣を打ち合った後、ある程度の実力者と判断し、訓練用の魔導装備の使用を許可した。
3人とも初めて見るその装備を、物珍しさと、好奇心に満ちた表情で迎え入れ、意気揚々とした顔で左腕に魔導装備のガントレットを装着した。
「ガントレットの内側に、この銀色の円柱型のカートリッジをはめる穴があります。わかりますか?」
「これか? 人差し指が入るくらいの。あれ、抜けないっ、どうしよっ」
「なにやってんだ、もう壊したのかいっ」
ルジャンは何も考えずに、不用意にガントレットの穴へ右手の人差し指を突っ込み抜けなくなっていた。
焦って体を強張らせているルジャンを見かねて、セイビアは力まかせに指を引っこ抜いた。
「おぉっ! 抜けた!」
「バカやってんじゃないよ!」
ペシン、とセイビアはルジャンの頭を叩いた。
「これー、入れちゃっていいのー? なんか怖い事おきないー?」
「このガントレットはカートリッジを装填することで、術式が発動する仕組みです。差し込んでみて、体に違和感が出るようならすぐに抜いてください」
「えー入れるのー、なんか怖いー」
マイネがカートリッジを指先でつまんで、恐る恐るはめようとしている横で、ルジャンはまた何も考えずにカートリッジを装填させた。
「おぉっ! なんか体中からパワーが漲ってくる感じ、なんだこれ!?」
カシンッ。という金属音をさせて、ガントレットにカートリッジが装填されると、一瞬ルジャンの体を透明の膜のようなものが覆った。
「訓練用なので、身体強化の効果は2倍までです。正式な騎士の支給品なら、物理と魔導を反射するリフレクトの効果がありますが、訓練用ではその機能がカットされ普通にダメージを食らいますよ」
「2倍って、普段の倍の重さを持てるようになるって事か? 腕力が上がったくらいで、あの女に通用するか?」
セイビアは素振りで蹴りや拳を繰り出すも、半信半疑に首をかしげていた。
「見てみろ、こんなに高く飛べるぞっ」
ルジャンは2階の回廊を見下ろすぐらいに高くジャンプして、上空ではしゃいだ声を上げていた。
しかしその直ぐ後、地面に着地した瞬間に顔を酷く歪ませた。
「ぐぁっ! あ、足がぁっ、着地した衝撃をもろにくらってっ……」
痛みに耐えきれず、ルジャンは地面に倒れこみ足を抱えて悶絶した。
「いぃったぁっい!」
セイビアが案山子の甲冑を殴ると、金属製の甲冑は大きく損壊するも、その物理的な衝撃は、全てセイビアの拳に跳ね返ってきていた。
「うぅ……、ほ、骨が折れたかも……。パワーが上がっても、拳に受ける衝撃も上がってたら、使いもんにならねーぞ」
セイビアは右手を抱えてうずくまっていた。
「訓練用はリフレクトがついてませんからね、支給品はリフレクトの物理反射が効くので、衝撃を緩和してくれますよ。とはいえ、どれくらいの反動があるか生身で知っておくのは大事です」
ケーチが説明している横で、訓練場の石壁からは豪快な衝突音が響いた。
「いったぁーい、んねぇー、早く動けてもぉ、他人の体を操ってるみたいー」
マイネは軽く走ったつもりだが、そのスピードが想像以上なうえ、コントロールすることもままならず、勢い余って石壁に激突して地面に倒れていた。
「出力が上がるのは主に、筋繊維、骨の密度、腱、心肺機能、神経の伝達速度です。体を使う脳みその強化はされないので、経験を知識として頭の中に蓄積させましょう」
「殴った反動でアーシの拳が壊れなかったのは、骨や腱も強化されたからなのか」
「骨折れなくてもー、石の壁に激突したら痛いよー」
「要は鍛えればいいって事だろ……。あれ、急に体に力が入らなくなった、なんでこんなに消耗するんだ……」
ルジャンは勢いよく立ち上がったが、突然膝から崩れるように体がよろけた。
「体を動かすエネルギーをカートリッジの魔素が肩代わりするとはいえ、元の体力、筋肉疲労などの負荷は当然あります。出力を上げても損傷しない体力作りもしましょうね」
ケーチは手本を見せるように自身も訓練用のガントレットを装着して、ルジャンたちが行った動作を真似て見せた。
ジャンプをすればルジャンより高く飛び、そして着地はふわりと柔らかく。
案山子の甲冑を殴れば一突きで金属鎧に穴をあけ、拳への反動をうまく相殺して、痛みを感じさせない涼しい顔を見せた。
走れば闘技場の四つ角をきれいにトレースする、器用な小回りと俊敏性を見せた。
ルジャンたちはその動きの一つ一つに驚愕した表情を見せ、空いた口が塞がらなくなっていた。
「――す、すげぇな。使いこなせば、赤熊なんて赤子レベルじゃないか?」
「慣らすために、初日は飛んだり跳ねたり走ったり、体に装備を馴染ませてください。まずはランニング。訓練場の中を10周から、はい!」
「できるとこ見せられちゃぁ、やるしかねーな、マイネも立て、やるぞ」
「うーん、頑張るー……」
3人は隊列を組んで走り始めたが、気合を入れたルジャンはすぐに石壁に激突し、セイビアも続いて激突して、悶絶した表情で地面を転がり回っていた。
「勢い出すからだよー。ゆっくり走っても、いつもより速いんだからー」
「マイネ、それでは訓練になりません。もっと速く走りましょう」
ケーチはマイネを急かすように、背後からパンパンと手を叩き始めた。
「えぇー、絶対ムリィー、あぶしっ……!」
ケーチに煽られて少し足を速めたマイネも、また石壁に激突し、ルジャンたちと並んで地面に横たわる事になった。
「横になっている間もカートリッジの魔素エネルギーは消費され続けます。魔素がもったいないのでさぁ立って! 走って走って!」
笑みを絶やさないケーチの背後に死神のようなものが見えた3人は、軽い身震いをして、文句を言いたげな口を無理やりに閉じた。
何度も何度も石壁に激突し、倒れ、また立ちあがって走る。
それを繰り返し10分ほどが経った頃。カートリッジの魔素が尽きると、3人の体から一気に力が抜け、その反動が体を襲った。
「か、体が、筋肉が痙攣を始めて、立ち上がる余力も残ってない……」
「あ、アーシは、壁に激突しまくりで、全身打撲と切り傷だらけだ……」
体中から悲鳴が聞こえそうなくらい四肢をプルプルと震わせて、3人は訓練場の地面に倒れこんでいた。
「装備を使いこなすだけでー、何カ月かかるのー……」
ルジャンたちと並走していたケーチは息も切らさず、平然した顔で3人を見下ろしていた。
「初日にしてはもった方だと思いますよ」
「こ、これ、アーシら、次の日動けんのか!? しばらく安静しなきゃいけないレベルだぞ……」
「安心してください、いい回復薬があるんですよ。これを飲めばどんなに疲弊しても、死んでなければ次の日には全快です」
「あ、アーシらに、死にそうになるまで負荷をかけろって事か。悪魔かよ……」
「ちょっとした怪我ならすぐに回復する塗り薬もあります。壁に激突した時の傷はこれで治りますから、コントロールできるまで何度も壁に激突して大丈夫ですよ」
「お肌の傷が治るのは女の子にはうれしいけどー、そもそもケガしたくないー」
「初日はこれくらいにしておきましょうか。水と回復薬を配ります。擦り傷や打ち身にはこっちの薬を使ってください」
訓練場の一角に設置された棚から、ケーチが傷薬を取り出していると、ルジャンはケーチの背中まで、よろよろと足を引きずって歩き出していた。
「これですぐに回復するなら、もうちょっと訓練させてくれ」
額から滝のような汗を流し、悔しさを嚙みしめながらも、ルジャンは口角を上げてみせた。
「心身ともに限界を迎えても、前向きに立ち上がれる。その精神力はなかなかいいですよ」
「あ、アーシらだって……、負けねーから!」
「……んねぇー、それアタシも付き合わなきゃダメなやつー」
セイビアとマイネも、ルジャンの後を追うように、膝をガクガクと震わせながらも立ち上がり、ルジャンのように口角を上げてみせた。
3人の騎士としての初日は、笑顔とは程遠い表情で幕を開けた。
毎日18時更新を予定しています。
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