24 クルックルの手のひら
ボアはその表情に険しさを浮かべるも、一瞬で取り繕い、老獪さを見せる笑みをもらした。
「……ハイジール殿も、チベス離宮でのシャウゼン殿下のパーティーは参加したことがあるだろう。 同じ場所にベインジャーもいたのは覚えているかな? 」
「チアーナ侯爵の付き添いで留学中に一度だけ。ベインジャーさんがシャウゼン殿下とダンスを踊っていた記憶はあります」
「帝国はこの大陸の覇権国家。波風を立てることなく、利にさとく立ち振る舞うことは、貴族として当然の義務であろう」
ボアは椅子に腰を掛け、除くようにしてジールの瞳を捉えた。
「帝国のお歴々と懇意に付き合うのも、この国の益となる。ハイジール殿も留学中はそう立ち振る舞っていたと思うが」
「おっしゃる通りです。帝国と親交を深めることは、国益にもつながります」
「であろう。娘もハイジール殿と同じ、国益を考えて行動しているだけ。何か誤解を与えてしまっていたなら、それは勘違いであろうな」
(そういう建前で、本音は別のお付き合いをってのもよくある話だけど。ベインジャーさんは、恋愛のお付き合いが本命だからな……)
「流石、宰相殿の血を受け継いでいるだけある。先日の講和会談、良い交渉であった」
「運が良かっただけです。前王の残した政策が功を奏しただけかと」
「この国を思うからこそ意見の相違も出るだろうが、 これからもお互い手を携えて、この国の繁栄のためにつくそうではないか」
(人に死んでこいって言ったのを、意見の相違で済ますのか。初手で一気に手のひら返したな)
ジールは心の声が顔に出ないように、平静を保ちながら言葉を返した。
「えぇ、微力ながら、お役に立てれば幸いです。ただ講和の件ですが、街ではあまり良い噂を聞かないもので、私が足を引っ張らなければいいのですが」
(噂の出元はあんたじゃないのか?)
そう疑う心をしまい、ジールは若輩者らしく伏し目がちに頭を下げた。
「若くして功績をあげると、嫉妬する者も現われよう」
「嫉妬、だけならいいんですが。今回の講和がなされると、都合の悪い方もおられるようで」
(あんたもそのうちの一人だよな?)
ボアの顔色を窺うように、ジールは目の端を一瞬鋭くさせた。
「ふむ、関税の緩和で困るのは競合産業だが、帝国の品と競合する産業は我が国には少ない」
「その通りです。加えて関税が少なくなった分、庶民には低価格で供給でき、需要が上がり税収も上がると予想されます」
「うむ、すでに街の活気も戻りつつある。今年の税収は上がるだろうな」
「そう理解していただけると助かります」
「とはいえ。鉱山周辺の内陸の開発に資金を回し、海洋交易への資金を減らす政策が、港の利権に恩恵を受けている貴族にとっては面白くないだろうな」
「多少我慢を強いる事柄も、あるかと思いますが」
「しかし、ハイジール殿の実家も海路の恩恵を受けている領、 陸路の開発で損をする側である。もちろん私の港の景気も悪くなるだろうが――」
(自分に不利益な講和内容だって事は、すんなり認めたな)
「――それでも、自身の身を切って前王の改革を進めるその姿勢、その忠義に賞賛の声も集まっておる。私もその意見に賛同しようと思っているのだよ」
(賛同? 狙いはなんだ? 長々と語るから本音がぼやけるな)
「国が滅ぶか、一部の貴族が少し困るか、天秤にかけた結果です」
「長い目で見ればどの貴族にも利のある事よ。それがわからんバカが多いのも世の理」
(あんたもそのバカの1人じゃないのか?)
「私も以前は前王の政策に異を唱えた側だが、時がたてば考えも変わる。最大の反対派と思われている私がお主につくのだ、日和見貴族もこちらにつくであろう」
「……講和の交渉内容に、変更したい箇所がございましたら、ボア大臣の意向を汲む配慮、融通も検討できる可能性が――」
「手を取り合うと、最初にそう言ったつもりだが、まだ勘違いをしているのか。少し意見がぶつかったこともあるが、この国を思う気持ちは同じである」
「ありがたいお言葉です……」
(自分の利権には手を入れるな、って来るかと思ったけど。勅命があるし、協力したほうが得って計算か? 変り身の速さが露骨すぎて、一言も信じられないな)
「若人がこれからのファッド国を支えていく、その力の一助になればと思っている。 エスタ王とも深く話し合いたいものだが、講和交渉の日から顔を合わすことができない、何か知っているか?」
(あの日以来私室に引き籠ってるらしいな……。おもらしするほどビビらせた、とは言えないな)
「私も忙しく、あれ以来お会いしておりません」
(会う気もないしな……)
ボアはゆっくりと立ち上がり、ジールの前に足を踏み出した。
「ジール殿を旗頭にと息巻いている貴族もおるが、その気があるのなら、帝国との講和に私も全面的に協力しよう。 こんなことで国が割れては、また帝国に付け入れられる」
1つのウソもないと言わんばかりの満面の笑みを向け、ボアは両手でジールの手を力強く握った。
しわだらけだが、傷一つない奇麗な手だった。
宝石のゴツゴツとした感触が手に残り、心を許すな、というノイズをジールは感じた。
「パパァ、まだ話終わらないの?」
「もう済んだところだよ。ではハイジール殿、困ったことがあればいつでも相談にきなさい」
「……はい、ご助力感謝いたします」
深々と頭を下げて、ジールは大臣室を後にした。
扉の閉じる音と同時に、フェリは首を傾げた。
「聞き触りはとてもいいのですが、一つも腑に落ちないのは、何故なのでしょうか。私には政治の話はまだ難しい――ジール様?」
ジールは黙ったまま、なるべく足音が立たないように足を速めた。
「この方向、執務室ですか? この後は別室で会議が……」
これ以上は話すな。と言うようにフェリの言葉を遮り、ジールは首を横に振った。
そして自分の執務室へ着き扉を開けると、辺りに人がいないことを確認してから部屋の扉を閉めた。
「プハー! 手のひらクルックルだろっ! なんだよあれ! つい先日は俺に死ねって言ってきた口で、何が協力しようだっ、信じられるかっての!」
ずっと押し殺していた声を爆発させ、ジールは息を上げながら言葉を続けた。
「あまりに奇麗事を並べるから、一瞬この人いい人かも? って信じそうになった自分のチョロさが余計に怖いわっ!」
「同じ笑顔でも、ベインジャーさんに向ける笑顔と、ジール様に向ける笑顔では、別人のように感じました」
「フェリの直観は正しいよ。聞き触りのいい言葉と笑顔を並べて裏では何を考えてるんだか。簡単に手のひらを反す奴は、 またすぐに手のひらを返すからな」
「兵法の基本で見れば、敵は近くに置いて監視する。ということなのでしょうか」
「うまく利用されそうで怖いが、逆に考えればプラスと考えられるか」
「こちらもおかしな行動をしないか相手を監視できる。ということですね」
「あぁ、面倒だが、表向きは仲の良いフリをするか。はぁー、 ポーカーフェイスで腹の探り合い、苦手だし、疲れるんだよなー……」
ジールが渋い顔を伏せている頃、大臣室ではベインジャーが怪訝な瞳でボアに詰め寄っていた。
「パパぁ、なんでジールなんかに媚びを売るの? あんな子、パパにとっては手駒の1つでしょ」
「これも駒を動かす手法の1つ。 盤の駒と違い、人という駒を動かす方法は、命令だけではないのだよ」
ボアは机の上のチェス盤に駒を並べ始めた。
「服従の振りをして誘い出す、追い詰めてあぶりだす、 人の心に訴えかける話術1つで、駒の能力以上の動きをすることもあるのだよ」
「学院で、仲よくしてあげた子をみんなで無視したら、動揺して普段と違う行動をとったわ。取り繕ってる仮面が剥がれたり、何も言っていないのに私に従順になったり。そういう事ね、パパ」
「ベインジャーちゃんは理解が早いね。その頭の良さ、パパは誇りに思うよ」
ボアはベインジャーに甘い笑みをもらすも、すぐに険しい目つきへと変えた。
「サビエスト王の時は、駒の使い方を誤り閑職に追いやられてしまった。政争に絶対はない、負けるリスクを避け、安いプライドより実利を狙うのだ」
ボアは黒い駒を掴み、白い駒を盤外に弾くと、新たな黒い駒を配置した。
「ハイジールはまだ若い、私が上の立場で取り込むこともできる。勝者側で利益を得ることが最も大事なのだ」
「ハイジールなんて役職は下でしょ。いいの? 旗頭なんかにして、派閥が大きくなる前に倒しちゃった方が」
「勝者の側に立ってさえいればいいのだよ。帝国が勝つのなら帝国側に立つ術を持ち、ハイジールが上手くやるなら、その隣で優位な立場を築けばいい」
「パパあったまいー! パパにかかればみんな盤上の駒ね」
「フフ、ハイジールも、エスタ王も、フォルシャも、国民も、全て私のための駒よ、いずれは帝国ですら駒として扱ってみせよう」
「ねぇそのときは、シャウゼン殿下との婚約もお願い!そうしたらパパは、勇者の血を引く孫が手に入るのよ!」
「あぁ、未来の帝国の王という駒が手に入る! 素晴らしい娘をもって私は誇らしいよ!」
大臣室に、ボアの高笑いが響いた。
ボアの見下ろす盤面には、うめ尽くすほど黒い駒が敷き詰められていた。
そこに、白い駒は一つもなかった。
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