02 フェリ
――目が覚めると、大きく丸みを帯びた双丘が、ジールの視界を遮った。
見慣れた景色、というほどではないが、ジールにとってその豊かな2つのふくらみは、自分がどこにいるかを理解するには十分だった。
「フェリか、……いっつつつ」
後頭部に当たる柔らかい太ももの感触と、殴られた痕の痛みが、同時にジールを襲った。
ジールの声に、金色の丸みのあるショートボブから覗く、小さく尖った耳が反応しピクリと動いた。
青く大きな丸い瞳を下げ、フェリは自分の太ももに乗せたジールの顔を伺う。
「何があったんですか! 突然、執務室の扉が開いたと思ったら、衛兵がジール様をほうり投げるみたいに――」
「どうりで全身が痛いわけだ、首の包帯ありがとな」
首を抑えながらジールが顔を横にすると、フェリのやわらかい太ももが頬に触れた。
同じ公務服だが、フェリはショートパンツだった。
生足のひんやりとした太ももの感触に一瞬顔を赤らめると、ジールは起き上がってフェリの横に座り、ソファーに背中を預けた。
「誰にやられたんですかっ、話をそらさないで下さい!」
フェリは自分の顔を、ジールの横顔にくっつきそうなくらいに近づけ、その瞳をジッと見つめた。
「言ったら飛び出すだろ、フェリは」
「当たり前です! ジール様をお守りするのが私の使命ですから!」
「そんな使命ないし、王様に手ぇだしたら死刑だぞ」
「……っ! それは困ります」
「だろ、っつー、まだ頭がくらくらしてる。気ぃ失ってる間、なんか走馬灯超えて、前世まで見た気分だ」
「記憶が蘇る、勇者帰りのお話みたいですね」
「教典の話? 勇者が記憶を持って復活するなんて、説法としてどうなんだ? どうせ復活するなら魔王の方がマシだろ」
「皮肉ですよね。魔王がいた200年前は、人類全ての国家が手を取り合って、1つにまとまっていたのに。共通の脅威がいなくなった途端に、人類同士の戦争が始まるなんて……」
「こんな小さな国でさえ1つにまとまれないのに、魔王って偉大だわー」
ジールは目の前のローテーブルの上に置かれた、封蝋印が押された封筒を手に取った。
「それも衛兵が置いていきました。中身はなんと書いてあるんですか」
「結局何も決まらなかったのか……。とりあえず使者をやってこいってさ。丸投げすぎだろ……。 いや、ビビッて帝国の使者と会いたくないだけか」
「私がこの国に来た前王の政権時代は、いい国だと思いました。賢王と呼ばれたサビエスト王が内政を、ジール様のお父上のダンパ宰相が外交を、小さな国でも、大国と対等に渡り合える政治をなさっていました」
「前の王は、子育て以外は完璧だったんだよ」
「まだ半年も経っていないのに、ご健在だった頃を懐かしく思います。大臣や貴族も、今みたいに好き勝手やれない規律や空気がありました」
「その規律が消えた途端、子供のケンカのような派閥争いで国が割れ、その混乱に乗じて帝国の侵攻。典型的な敗戦国家だな、負けるべくして負けた」
「こんな時ぐらい、一致団結できないのでしょうか、ダンパ様を惜しむ暇もなく、戦争まで起きて……」
「今は誰を頭にして一致団結するかで揉めてるからな。まとめ役の王がアレだし」
ジールは首の包帯に手を当て、さらに苦い声を漏らす。
「空席の宰相、貴族の派閥争いに戦後処理、国内情勢は不安定と、いつ内戦が起きてもおかしくない、終わってる国だよ。はぁ、色んな意味で頭が痛い……」
ジールは後頭部をかいて、大きなため息をついた。
「悪いなフェリ、愚痴ってしまった。ちょっと頭切り替え――ってえぇっ!?」
フェリはジールの右手を握ると、自身の左胸の大きなふくらみへ押し当てた。
公務服の生地の上からでもわかる、張りのある柔らかさと大きさに、ジールは頭を支配され、無意識で手を動かし揉んでいた。
「フェリ? フェリーハさん!? 自分が何してるかわかってますか?」
(俺も何してんだろうな、右手よ止まれっ!)
ジールの意思に反し、右手は意思を持ったかのように、フェリの胸の柔らかさを堪能していた。
「だ、男性が苦しんでいるときは、こうすると気持ちが和らぐと、ターラ様から聞いて……。肌の触れ合いで、心が落ち着くと……、んっ……」
フェリは顔を真っ赤にしながらも、真剣な目でジールを見つめた。
(ターラって、うちの妹が? まだ14歳ですけど! いや、トゥーリンあたりが入れ知恵を!? ってか、たしかに気分は軽くなったけど、今度は違う部分が苦しくなってきたかーも……)
「んぅっ……」
フェリの嬌声が漏れ、ジールはハッと息を飲んだ。
自分の手を握るフェリの手が、強張っている事に気づいたからだ。
フェリの真剣なまなざしの奥にある瞳の震えは、不慣れな事をしている証だった。
その献身的な思いに応えようと、ジールは平静を取り戻そうと努めた。
そしてジールは空いている方の手で、フェリの頬を軽くつまんだ。
「ふぁっ、なひをふるんでふか!」
困りながらも照れた表情を見せ、フェリから強張った声が消えた。
「触れ合いならこういうのでいいんだよ。無理するな」
「はひ……、その、まだこういう経験はなくて、背伸びをしてしまいました……」
「その気持ちだけで頑張れるよ、ありがとう!」
「は、励ましたいのは私です! 私が励まされたらダメです、ジール様のイジワルっ」
フェリは頬をプクっと膨らませた。
「さ、せっかく講和の使者になったんだ。前向きに受け取って、やれる事は全部やろう」
ジールがスッと立ち上がり、必要な書類を探そうと、執務室の棚へ目を向けた時だった。
ダァッン!!
鼓膜を強く震わせる衝撃音は、執務室の扉が蹴破られた音だった。
扉の木材は大きく割れ、辺りに木片が飛び散った。
そして、今まで扉だった木材を踏みつけるのは、エスタと配下の衛兵10数名。
「ハー……。王様でも、城を壊したら弁償ですよ」
面倒くさそうにジールが横目で見ると、エスタはその態度に目を吊り上げた。
「こっちを見ろっ! まだ謝罪が終わっていない!!」
「謝罪? なんの??」
ジールはエスタの発言の意図が理解できず、本気で目を丸くした。
「余の心をかき乱しただろう! お前は余が聞きたい言葉だけを言え! 余の望みどおりの動きだけをしろ! そのためにわざわざやってきたのだっ、感謝しろっ!」
(はぁ!? そんな事のためにわざわざ来たの?)
沸き上がる感情を抑えようと、ジールの顔が険しくなる。
フェリはジールの隣に立ち、手を握った。
「この国が終わるかもしれないって時に、王の立場だって危うい事態なんだぞ!」
ジールが意図的に声の調子を強めると、エスタは無意識に一歩引いた。
「そ、そんなもの、ボアやフォルシャ、余には優秀な家臣がいるのだ。あ奴らだって自分の地位や命がかかっている、お前が犠牲になっている間に、良い政策を打ち出すであろうっ」
「あぁ、ある意味優秀だよ。ボア大臣のインボス領は帝国との交易が盛んだ。帝国にとっても上客、もう帝国での地位も金で買ってるかもな」
「ボ、ボアが裏切っていると!?」
「フォルシャ大臣も、奥方は魔導王国の貴族だ。帝国も手を出せない、強力な魔導兵器を製造する国が後ろ盾だ。この国が滅んでも、フォルシャ大臣だけは無事だろう」
「そ、そんな話……、一度も聞いたことがないぞっ……!」
動揺したエスタは、後ろに控える衛兵たちを睨みつけたが、皆目をそらした。
側近の衛兵たちは、この話を知っていた。
今日だけではない。何日も前から、何度も何度も、ジールがエスタに同じ話をしていたからだ。
(初めて聞いたみたいな顔されるとショックだな。まだどっか、こいつを信じたいって気持ちがあったのか……)
「2人とも、自己保身にかけてはホンットに優秀だよ。頼りになるとは思えないが」
「よぉ、余をバカにするなよっ、そんな根も葉もないデタラメを信じるとっ」
「信じなくてもいいさ、エスタが身を亡ぼすだけだからな」
「ふ、ふざけるなっ、そんな風に突き放すなっ、怖くなるだろっ、余は勇者の血を引く尊い存在だぞっ」
「帝国の皇帝も勇者の末裔、同じ血族をどう思うかな」
「そうだっ! 余は帝国の皇帝にだってなれる資格がある! 皇帝を討ち果たせば、余はこのアソッド大陸の覇者にだってなれるんだぞ!」
「皇帝が、自分の地位を狙う血族を頬っておくと思うのか?」
「フっ、勇者の血を引くものにしかわからない、高潔な考えがあるのだっ! 低俗な長耳のアデア人を連れているお前に、皇帝の気持ちが代弁できると思うな!」
アデア人。
この言葉が室内に響いた瞬間、フェリは反射的に、自分の長い耳を横髪で覆った。
ファッド国に馴染んだとはいえ、フェリは自分だけが持つアデア人の特徴である耳の形を、心のどこかでいつも気にしていた。
それを悟らせないように振る舞っていたし、できていると思っていたが、不意に出た自分の出自を表す名詞に目を泳がせた。
そして、ジールを貶める事に使われた事が、さらにフェリに罪悪感を抱かせた。
フェリの目に、陰りが見えた瞬間だった。
ジールは壁に掛けてあった剣を取り、素早く鞘から抜くと、その勢いで横一線に剣を振り抜いた。
剣の切っ先は、エスタの首筋に、紙一重で触れる位置で止まった。
(フェリを傷つけたなっ)
ジールの鋭い視線がエスタを貫いた。




