18 ロッカス亭のパイ
ファッド国とクラベス帝国の講和会談から数日後。
国民に向けて、講和の内容が正式に発表された。
街の広場や大通りでは、講和の内容を記した掲示板が建てられ、衛兵が布告人となって内容を読み上げることもあった。
勤勉に情報収集する者もいれば、文字が読めないからと近づかない者、また聞きですませる者、その受け取り方や解釈には、大きな差が生まれていた。
「帝国への賠償が軽くないか? 本当なのかこれは」
「安心させて、裏で何か企んでいるのかもしれない、税金だってすぐに高くなるぞ」
「国民を欺こうとしているんだ! 噂じゃ地方で奴隷化が進んでいるらしい!」
街のいたるところで噂が飛び交い、馬車の中にいても、どこからともなく噂の声が入り込んできた。
フェリはとがった耳をピクリとさせて、眉をしかめていた。
「正確な情報より、悪い噂が増えてしまっています!」
「掲示板も誰が書いたんだかな、渡した原稿とズレた内容になってるな」
「衛兵も内容をきちんと理解していません、質問されても適当に答えている所を見ました」
「詳しい長い説明より、過激でわかりやすい噂の方が話のネタになる。話盛った方が面白いもんな……」
ジールは馬車の外へ視線を向けた。
街中で2人以上が話している場面は、全て悪い噂話しをしているような錯覚に陥っていた。
「帝国のように活版印刷が普及していれば、たくさんの紙で正確な情報を届けられるのに……」
「記事を書いた側に都合の良い情報が流れるだけさ。帝国はそうやって国民をコントロールしてるからな」
「帝国の2大紙がそうですね」
「そう。ブルーチバス領では第2皇子の批判、プロヴァン領では第1皇子の批判の記事が出回ってる」
「何を信じたらいいのか、わからなくなりますね」
「両皇子の仲が悪いって事は事実だろうけど、情報に振り回される方は不安だよな」
「ジール様が頑張ったのに、伝わらないのは悲しいですね……」
「噂通りの酷い講和内容なら、なんでこんなに街は活気づいてるんだろうな。まぁ、そのうち皆気づくだろ」
馬車がロッカス亭に着くと、客が店内からあふれ、いつも以上の繁盛ぶりを見せていた。
「ジール様じゃない、娼館よりこっちの方が会うわね」
店の外からショーウィンドウ越しに商品を物色しているトゥーリンがいた。
「トゥーリンか、こないだは世話になった。あれからどうだ」
ジールたちも横に並び、パンや焼き菓子が並んでいる棚へ一緒に目を向けた。
「治安は良くなったけど、そこら中で衛兵がうろちょろしてて、ちょっと落ち着かないわ」
「衛兵に守ってもらってるのに、贅沢な悩みだな。普段の行いの悪さを見直せば?」
「今は悪さはしてないわよ! 昔やんちゃしてたから、お役人を見るとちょっとね!」
「かばいきれない事はしないでくれよ、俺にできることは少ないぞ」
「街の一角を半壊させた人がよく言うわ! 治安のためとはいえやりすぎよ!」
後で得た報告書によると、ジールが裏町から離脱した後も戦闘は長引いていたらしく、建物10棟があわせて半壊、あるいは倒壊する惨状を呈していた。
「俺は見合いのセッティングをしただけ、その後暴れたのは奴らの勝手だ」
「手加減してよー! 強力な武器の実験をしてたとか、それ使って戦争がまた始まるとか、娼館でもお客がきな臭い噂話ばっかり。もううんざりよ」
悪態をつくトゥーリンとジールの間に、フェリが割って入った。
フェリは眉間にしわを寄せ、声を少し震わせた。
「トゥーリンさん、それこそジール様のせいではありません。国のために寝る間も惜しんで働いている人に、その言い方は……」
「まぁまぁ。フェリはわかってくれてるし、それだけで救われてるよ」
ジールはフェリの頭をポンポンと軽く撫でて落ち着かせようとしたが、フェリは責を切ったように続けた。
「帝国のスパイを捕えた事も、手柄は全部騎士隊が持って行ってしまったんです。発見したのはジール様なのに、あの場所にいた記録すら残っていないなんて」
フェリは認めたくないと言うように首を横に振り、言葉を続けた。
「講和の件だって、頑張ったジール様を追いかけまわすなんて、理不尽すぎますっ! 酷いですっ!」
唇をぎゅっと噛みしめ、とがった耳の先をうっすら赤くさせたフェリの姿に、トゥーリンはハッと息をのんだ。
「ごめんねジール様、私たちのために働いてくれたのに文句を言うなんて、筋が通らないわね」
「まぁいいさ、文句を言われるのも、役人の仕事みたいなもんだからな」
「……そういう割り切り方、ドライな性格だと思ってたけど、もしかして今私のこと、どうでもいいって思ってない?」
「ん? ビジネスライクには、付き合いたいと思ってるよ」
(娼館は出入りしてる貴族や庶民、いろいろ裏情報が入って便利なんだが、フェリも俺が娼館に寄り付くのは嫌がってたし、他でも代役はきくか)
ジールは気さくな笑顔を作って返したが、その乾いた笑みが取ってつけた仮面のように感じ、トゥーリンは青ざめた表情を見せた。
「心の扉が閉じた音がした! 厄介ごと頼んだの私だもんね、ホントにありがとうございました!」
トゥーリンは一度背筋を伸ばした後、深々と頭を下げた。
「だってさ?」
ジールはからかうようにフェリに目をやると、フェリの表情は少し和らぎ、コクンと頷いた。
「私は、ジール様が大丈夫なら……」
「ジール様って、怒ると何も言わず見限るタイプなのね。うわー、一番怖いヤツだ、怒って怒鳴ってくれた方がまだいいわ」
トゥーリンは自分の体を抱き、身震いした。
「メイクしてるときのフェリは楽しそうだったし、下働きの子もターラと仲良くしてくれてる。今後とも御贔屓に」
「ジール様の感情って、自分よりフェリとターラが優先されるのね。思ったよりシスコん――じゃなくてー、今のは聞かなかったことにして……。でも、そんなに大事にされるなんて、女としてうらやましいわ」
発言を消そうと口元の周りを手でばたつかせ、トゥーリンは改まってフェリに向き合った。
「フェリ、あなたにも謝らないとね。あなたのご主人様に、言いがかりをつけてごめんなさい」
「少し感情的になってしまいました。またメイクを教えてくださいね」
フェリが笑顔で返すと、トゥーリンはホッと胸を撫で下ろした。
(優先順位かぁ、あまり深く考えた事ないな。ターラ、フェリ、次は2人と仲の良い人たち、後はその他好物とかかな――)
腕を組んであれこれ頭に浮かべているジールの前に、体格の良い店主が焼き立てのパイを並べ、ジールはパァッと目を見開いた。
「外まで香りが飛んでくる! フェリ! 焼き立てが並んだぞ!」
ジールは子供みたいに無邪気な顔をして、フェリの手を取って店内に入っていった。
「ちょっと置いてかないでよー」
焼き上がりのバターの香ばしさと、甘酸っぱさが店内に充満して鼻腔をくすぐった。
ジールとフェリはその香りに、幸せそうな顔で舌鼓を打ち、木のトレーにパイを山積みに乗せていった。
「ジール様! いつも御贔屓にありがとうございます! 息子から聞いた通り、ホントに忙しくなってきましたよ!」
ロッカス亭の女将が、ジールたちの背後から声をかけてきた。
店主の旦那と似て、背が高く筋肉質の体系で、声も大きく店内に豪快な声が響いた。
「聞きましたよ! 講和をまとめたのはジール様なんですってね!」
「あぁ、いろいろ噂が流れてるな……」
(ここでも悪い噂か……? 今は聞きたくないな……)
ジールの眉がハの時に垂れたのを見て、フェリも顔を強張らせた。
「なんでも近くの国は、土地の開墾に大勢が奴隷に取られたり、賠償が高くて税金が上がったりしてるってのに、見てちょうだいよこのありさま!」
女将は店内にいる客へ向かって、長い両手を広げた。
「講和が上手くいったから、こうやってお客さんの笑顔が見られるんでしょ! 奴隷に取られたり税金が上がってたら、街中が辛気臭くなって焼き菓子なんて買ってる場合じゃないわ!」
体躯のしっかりとした女将が、大きく手ぶりを加えて話していくうちに、客の注目はジールに集まっていった。
「……奴隷や領土の要求はあったが、別の賠償にしてもらって、うん、まぁそういう解釈でいいかな、分かりやすいし」
「隣国もジール様がいれば悲惨なことにならなかったのかね、こんな凄い人に食べてもらってたなんて、あたしゃ誇らしいよ!」
女将が自分の胸をドンと叩くと、それを合図にして、店の客たちからは拍手と歓声が上がった。
「……いや、まぁ、大したことはしていないよ。さぁ、他のお客さんの邪魔になる。俺たちは外に出よう」
ジールは手早く会計を済ませ、紙袋にパイを詰めてもらい、いったん店の外に出ることにした。
「ふぅ、感謝なんて慣れてないから、そっけない態度をとってしまったかな」
「ジール様、ちゃんとわかる人には伝わっていますね!」
「フェリ、君も誇らしげだね」
「当然です! ムフー」
フェリは大きな胸を張り、鼻息を荒くした。
「でも、ちょっと前までの戦争に負けたって感じの重い空気、気づいたら薄れてる気がするわ。なんでかしら」
「うちの国は、賠償で犠牲になるのは、もっぱら貴族たちだからな。既得権にメスが入ったり、軍事費削っても、庶民の生活にはなんの影響もないだろ」
「フォルシャ大臣が騎士を送り込んできたのは、軍事費の削減に文句があったからなんですね」
「適正に戻しただけなんだがな。前王が亡くなって、あっちもこっちもやりたい放題に予算を使い込んでたから、ブレーキは必要だ」
「それを全てジール様のせいにする貴族が多すぎです! 講和のためなのに」
「つまり、お貴族様の使えるお金は減ったけど、私ら庶民はいつも通りの生活が送れるってことなのね。じゃぁ私たちって、戦争に負けてもノーダメージじゃない」
「亡くなってる兵もいる、心に傷を負った遺族も大勢いる。だが、そう前向きに受け止めてる人が多いのも事実、そこは救いだな」
「本気で国が滅ぶと思ってる人も多かったわ、その反動で今みんな浮かれ気分よ。あぁだから! この盛況っぷりなのね!」
繁盛しているロッカス亭の光景にトゥーリンは目を向けた。
街を行き交う人も日々増え、活気を取り戻そうとする人々の意思が、あちこちから感じられた。
「ジール様、悪い噂を流しているのは、やはり王宮の貴族たちなのでは? 自分たちの利権にメスを入れた、ジール様への嫌がらせに感じます」
「反講和派なんてのもいるようだし、みんなが納得できる解決策、なんてものはないからな。治安をよくしても、文句を言う奴もいるし、な」
ジールがチラリと目を向けると、トゥーリンはシュンと眉をひそめた。
「ジール様、結構いじわるよね……。でも、街のみんなは味方よ、私もいい感じの噂流しておくわ」
「噂じゃなく、正確な情報で頼む。悪い噂が流れたままだと、治安にも影響がでるし、こういう物騒な連中も増えそうだし……」
「こういう? って何!? この子たちっ!!」
トゥーリンが目を向けた先には、ジールへ向かって射貫くような視線を向ける、冒険者たちが立っていた。
「見つけたぞっ!」
ロッカス亭のにぎにぎしい喧噪をかき消すほど、赤髪の男の大声が町中に響いた。
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