16 ピオ司祭
「口紅落ちてる?」
ジールがハンカチで口元をぬぐうと、フェリは目を凝らして口元を凝視した。
「……はい、多分」
教会内の灯りは最低限に絞られ、お互いの顔の細部の確認が難しくなっていた。
「ホントに教会の外で待ち伏せしてたな、トゥーリンに感謝だ」
「馬車が教会内まで入れて良かったですね」
「遊女が教会に来るのが珍しいのか、馬車から降りた後も外からジーっと見張られて、中に入るまでこのまんまってのがな……」
ジールとフェリは着替えるタイミングを逃し、いまだにドレス姿で教会の廊下を歩いていた。
どこかで着替えを、と考えていたがそんなスペースは教会になく、2人は祭壇の間の扉についてから、慌てて雑にドレスを脱いだ。
脱いだドレスはフェリがまとめて預かり、2人はお互いの身なりを確認した。
そしてジールは、祭壇の間へ入る大きな扉を開けた。
重厚な扉の先、祭壇の間の奥はさらに薄暗く、静けさと相まって、フェリは足音1つにも緊張感を掻き立てられていたが、ジールは淡々と足を進めた。
目が慣れてくると、バッカーナ教の司祭服を着た小柄な女性が現れたのが確認できた。
フードのついた薄い水色の司祭服のガウンは、袖に金色の布地が装飾されていて、高位の司祭である事が見てわかった。
「お付きの信徒の方は、いないようですね」
「珍しいな、いつもは何人か連れているのに」
司祭は被っていたフードを首の後ろへ下ろした。
額の左右から生えた、少し湾曲した円錐状の2本のツノと、後ろで結わいた銀色の髪が露になった。
「講和交渉ごくろうだったのじゃ。ん? なにやら他にも苦労してそうじゃのう? 副業でも始めたか?」
小柄な見た目同様に、甲高い子供のような声色が祭壇の間に響いた。
「仮装して芸人の真似事をするほど、お金に苦労はしていませんよ。ってまだ化粧ついてる?」
「アイラインは残ってますけど」
「フェリがやってくれたところだもんね、消したくないよね、でもごめん」
フェリの残念そうな顔に申し訳なさを感じながらも、ジールはハンカチで瞼をぬぐった
「ピオ司祭様、父の葬儀では大変お世話になりました。久方ぶりにお目にかかれて、大変光栄に存じます」
「人払いはしておる、畏まらず昔と同じでよい」
「お恥ずかしいですね、子供の無知ゆえ、随分無礼な言葉遣いだった気が……。流石にあの頃の感じで話すのは難しいですよ」
「ジール様と司祭様の親交は長いのですか?」
「フェリがこの国に来る前、俺が小さい頃からだよ。ピオ司祭は仕事でよくうちに来ていたんだ」
「司祭と宰相という立場上、公の場では話せない他国の情報も多くての、あの頃の坊主が大きくなったものなのじゃ」
(子供の頃はよく家に来るおねーさんくらいに思ってて、ってか、おねーさんじゃなかったんだよな。もうおばーさん? 見た目変わんないなー、鬼人種は)
「失礼な事を考えておるな、気を抜くと顔に出るところは昔と変わらんのじゃ。我の種族では、お主らの寿命を超えていても、まだ成人したて程度なのじゃ!」
ピオはジールをからかうように笑みをこぼした。
これ以上ボロがでないよう、ジールは改めて畏まり、心の声はなかったように振る舞おうとした。
「改めて、停戦調停ありがとうございます。講和交渉もなんとかなりそうで、総本山の大司祭様にも、どうぞお礼をお伝えください」
「バッカーナ教は、世界中に支部がある国際組織。こういう時の調停役も仕事のうちなのじゃ。うまく交渉をまとめてくれたおかげで、教会の、我の顔も立つのじゃ」
「ピオ司祭にそう言っていただけると、安心できます」
「講和の調印式が終われば、勲章の1つも貰える手柄なのじゃ。この国の窮地を救った者として、歴史に名を刻む行いなのじゃ」
「そんな大げさな、勲章なんて」
「我が知る歴史で、敗戦した国が侵略行為を受けなかった例は少ない。特に、此度は独立を維持することも難しい状況だった。お主の働きがこの国の民を救った。そう言っても大げさではないのじゃ」
「過大評価すぎて、借り物の服を着ているような、居心地の悪さを感じますね」
ジールはフェリに持たせたドレスを見て、ドレスを着ていた時の締め付け感を思い出し、窮屈そうに体をすぼませた。
フェリはドレスを抱いた手の先に、ギュっと力が入った。
「……その、司祭様、聞いてもよろしいでしょうか」
「うむ、申すのじゃ、フェリーハ」
「司祭様……、私にはわからないです。停戦調停の前に、帝国の侵攻を止める事はできなかったのですか? 教会ほどの力があるなら……」
フェリは伏し目がちになり、恐縮した態度が声色にも表れた。
「帝国は旧魔王領の残党と、今でも小競り合いが続いているのは知っておるな」
「はい、帝国のブルーチバス領は、旧魔王領と隣接しているため、たびたび交戦になると」
「そんな帝国が戦力を欲し、人類一丸となる事を望む、それは1つの正義なのじゃ」
「それは……」
フェリは言いかけた言葉を飲み、目を伏せた。
「もちろん、戦争をしたくないという思いも正義なのじゃ。公平を説く教会は、どちらの正義も尊重しなければいけない。ゆえに、どちらも否定できないのじゃ」
「理屈は、わかるのですが……」
「心が納得できるかは、別の問題だよな。ピオ司祭、フェリは教会の権威に異を唱えているわけではありません。それだけはどうかご理解を」
ジールがうやうやしく頭を下げると、フェリも慌てて同じように頭を下げた。
「申し訳ありませんジール様……。こういう時は、教会がそういうなら、そうなんだろうって、気持ちに整理をつけるべきですよね……、それが権威というもの」
「過酷な制裁、一方的な賠償行為が後の火種になり、新たな災いを生まないよう、講和の仲裁を買って出る。これが今の教会にできる精一杯なのじゃ」
「先ほども申しましたが、教会の仲裁がなければ、帝国の侵攻は止まりませんでした。オレもフェリも、国民皆が感謝しております」
「いつもより敬意を感じるのう、昔は教会の言う事なんて、と反発もしていたのじゃが」
ピオはからかうように口角を上げてみせたが、ジールはいたって真摯な面持ちで言葉を続けた。
「停戦調停も、講和交渉も、教会の権威あってのもの。権威の傘に守られている私たちが、礼儀を尽くすのが当然の義務というもの」
「殊勝な心掛けなのじゃが、本音はどうなのじゃ?」
「……教会の権威が崩れれば、停戦も講和も崩壊します。教会批判なんて、自分で自分の首を絞めるようなものですから」
「申し訳ありませんっ、私が教会の権威に異を唱えるような事を言ってしまったせいで、ジール様に気を使わせてしまって……」
「フェリーハの言う事もわかるがの、そう望まれて、争いのない世界を作ろうと、教義で国を管理し、司祭が国のトップに立った事もあったのじゃ」
ピオは遠い記憶を辿るように、視線を上げた。
「しかし、人は権力を持つと豹変するのじゃ。支配欲に蝕まれ、既得権益を守る事に執着し、他者を蔑み、強欲になる――」
まるで自らの行いを恥じるように、ピオは強く目をつむり、唇を噛み締めた。
「――不遜で尊大な権力者から民の心は離れ、国は滅ぶのじゃ、歴史が証明しておる」
ピオから放たれる重い空気が、祭壇の間を静かに支配した。
(ピオ司祭にしては、緊張感のある話し方だな。フェリなんか聞かなきゃよかったって、萎縮した顔しちゃってるよ)
「歴史から学んだ結果が、歴史という権威は持っても、武力や権力は放棄する。そんな立ち位置に落ち着いた。ってところですか」
「そうじゃのう。王の選定と任命という役割も、今では形骸化した儀式の1つ、そろそろ時代とともに変える時期かもしれんのじゃ」
「形骸化というなら、勇者の末裔が王になるって慣習の方が廃れそうな気も、エスタよりふさわしい王候補もいたでしょう」
「勇者の血。これは、魔王を倒したその功績より、その血の力、そのものに特別な力が備わっておる。ゆえに王権の正統性を示す象徴でもあるのじゃ」
「本当に、特別な力があるんですか? 王は凄いんだぞって、言い聞かせる方便くらいに思ってましたけど」
「その力がなければ、魔王を倒すことはできなかったのじゃ。勇者の血は、強大な破壊兵器と同義。王という椅子に座らせ、自覚させ、管理する目的もあるのじゃ」
「そりゃ、そんな巨大な力が、その辺の野に放たれたら、困りますけど」
「過去に何度かあったのじゃ。駆け落ちやら、身内の争いやらで、身をくらませた勇者の末裔が。大体が悪い結末を迎えておる」
「悪い、結果……?」
「悪意に利用され、突然の暴発をしたりと、その破壊力の巻き添えになった村や町が一瞬で焼野原に……。思い出したくないのじゃ……」
ピオは顔を下げて首を振った。まるで自分が犯した罪を認めたくないとでも言うように。
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