11 ターラとフィッシャー園の子供たち
街の喧騒から離れ、石畳の小道が途切れた所に、古いレンガ造りのその建物は静かに佇んでいた。
色あせてはいるが、手入れの行き届いた赤レンガの壁で建てられた、こじんまりとした2階建て。
少し開いた窓辺に近づくと、中から賑々しい声が漏れ聞こえてくる。
花の鉢が並んだ門の前にジールたちの馬車が着くと、その音を聞きつけたターラは、作業着を着たまま門の前に現れた。
「お帰りなさいお兄様! フェリ姉様! オックスの足音、遠くでも分かるわ!」
ターラは小柄な体の小さな顎をぐっと上に突き出して、少し垂れた紺の瞳を輝かせながら、ジールとフェリへ向けた。
「あぁターラ、ただいま。もうフィッシャー園が本当の家みたいな気分になってるな。この後屋敷に帰るから、もう着替えておいで」
「いい匂い! すぐに戻るわっ!」
クンクンと紙袋から漂うパイの匂いを嗅ぐと、ターラは後ろで2つに結んだ黒髪のウェーブヘアーを弾ませて、建物の中へ入っていった。
ジールはその背中を見送ると、ターラの横に控えていた女性にパイの入った紙袋を差し出した。
「ファナート園長先生、これ、いつもの差し入れです」
ファナートは目元の小じわをさらに細かくして、袋を受け取った。
「ジール様、お忙しいでしょうに、いつもありがとうございます。身寄りのない子供たちにとって、気にかけてくれる大人の存在がどれだけ心を救っているか」
「元は亡き母上が建てた孤児院ですから。ファナート先生に引き継いでいただいて、母上も喜んでいます」
「フィッシャー様に仕えていた頃を懐かしく思います。またベイ家で雇っていただけて、老体に鞭を打つ気持ちです」
そう言ってファナートは背筋を伸ばしてみせた。
白髪の混じったグレーの髪をアップで整えた、品の良い立ち姿がさらに際立った。
「まだそんな年ではないでしょう、俺が子供の頃から変わりませんよ。子供たちはどこにいますか、あいつら見た目も言動も、会うたび変わって忙しないですよね」
「今は勉強の中休みで、中庭で遊んでいます。今お茶を入れますのでどうぞ」
建物の脇の通路を抜けると、陽光が眩しく入る開けた空間が現れた。
ボール遊びをしている子や、机に集まってゲームやお絵かきをしている子、男女合わせて10人程の子供がその場で遊んでいた。
「ジール様ぁ~、今日も私に会いに来てくれたの~、私も会いたかったわ~」
「アン、君が会いたかったのはこのパイだろ」
「きゃぁー! ジール様大好きぃー!」
ジールの腰ほどの背丈のアンは、ジールにウィンクをするも、ファナートが持っているパイの香を嗅ぐやいなや、現金にピョンピョンと飛び跳ねた。
「トゥーリン、来てるんだろっ、5歳児に何て言葉を教えてるんだ!」
「あら、男の扱いはうちの娼館の必修科目よ。誘い方とあしらい方、上手く使い分けできないと苦労するわ。駆け引きで利益を得る、政治の世界でも同じでしょ」
トゥーリンは椅子に腰掛けた姿勢で、大きな胸元を揺らして見せた。
肌を多く露出させた紫色のドレスから、こぼれそうな胸の谷間を見てジールは意識を奪われそうになるが、ゴホン、というフェリの咳払いで我に返った。
「……同じだな、子供に見せたくない世界って意味で。街の様子はどうだ? 見た感じ、そこまで混乱が広まっている雰囲気はないけど」
ジールはトゥーリンと机を挟んだ向かいに座り、フェリはその横に腰を下ろした。
トゥーリンは少し気だるい表情を浮かべ、頭を傾げた。
長い濃い茶色の髪がハラリと靡き、赤い瞳に影を落とした。
「娼館の客足が減った割に、街中は知らない顔が増えたわね。どっか外国の香りを漂わせて、きな臭い連中よ」
「敗戦国に旅行に来る酔狂もいるとは思うけど、数が多いとなると、別の目的だろうな……」
「裏町も治安が悪くなっているし。あの地区、娼館と近いじゃない、危ないからうちの下働きの小さい子たち、もう少しこっちで預かってもらっていい?」
「ここに勉強をしに通ってきてる子たちか。うちの子と仲良くしてるしいいんじゃないか、ね、先生」
「えぇ、大丈夫ですよ。敗戦の影響で巡回する衛兵も減り、裏町まで手が回らないのでしょう」
「裏稼業も多い地区なんだから、こっちを優先して巡回してほしいわ」
「そういう地区だから、裏町の巡回は難しいんだよ」
「どういう意味? そういう場所だから必要なんでしょ?」
「裏で貴族や役人が絡んでる件も多いからな。捕まえてもどこからか圧力が加わって、無罪放免なんてよくある話。娼館だって、突っ込まれたくない部分はあるだろ」
「うぅ、それはそう。でも私たちの情報が役に立ってる事もあるでしょ、持ちつ持たれつよ」
「見ないふりしてる俺も同罪だが、頼りにしてるよ。市井から見た街と、役人側から見るのでは、街の景色が随分と違う。全部を1人で見るのは限界があるから――」
「ジール様隙あり! 覚悟!」
ポコン。
ジールの後頭部に紙の棒が当たった。
赤みを帯びた茶髪の少年は、茶色い目を活発に見開き、紙を丸めた棒を剣に見立てて、ジールに向かって構えを取った。
「ほらね、1人が把握できる世界、視野は狭い――ってラル! もう11歳だろ、おやつの前は手を洗って机で待ってろ」
「えー、でもシェラも洗ってないよ!」
ラルが指差した先では、机の上に広げた画材を片付けている少女の姿があった。
「ラルはシェラよりお兄さんでしょ、みんなの後片付けをしているシェラを褒めてあげてほしいわ」
ターラがラルの頭を優しく撫でながら諭すと、ラルは難しい顔をしながらも、シェラの手伝いを始めた。
「ターラ様のドレスキレイ! いいなー!」
手を洗い終えたアンは、中庭に戻ってくるなりターラのドレスに目を輝かせた。
「ずっとドレスを着てればいいのに!」
「物語に出てくるお姫様みたい!」
地味な作業着とエプロン姿から、華やかな赤いドレスへの変身に、園の女の子たちもターラの周りに駆け寄り、憧れの目を向け、その美しさにうっとりしている子もいた。
「みたい、じゃなくてお姫様ですよ。ベイ家のお嬢様なのですから」
「フェリ姉様、ドレスを着ればみんなお姫様よ! そうだ、今度私の小さいころのドレスを持ってくるわ、シェラやアンにもどうかしら! ねぇお兄様!」
「そうだな、俺のお古も今は誰も着てないし、領から送るように言っておこう」
「ジール様っ、俺は服なんかより聖剣が欲しい!」
「聖剣!? ラルは今だって上等な聖剣を持ってるじゃないか」
「こんな紙の棒じゃなくてっ、ほら、こんなのっ!」
ラルは片付けていた机の上の絵を手にし、ジールに見せた。
そこには、鎧をまとった青年が強大な龍に向かって、赤く燃える剣を構えている、勇ましい姿が描かれていた。
「この絵、バッカーナ教の経典、5章3節に出てくるお話ですね」
「フェリは細かいとこまでよく覚えているな。経典の聖剣の騎士の話か、子供はみんな好きだよな、こういう話」
「この聖剣の騎士が、魔王を倒した勇者の事なんだろっ!」
「経典は1000年以上前の話だから、200年前の勇者と聖剣の騎士は時代が違うぞ。とはいえ、当時は聖剣の騎士の再来と言われてたようだし、今はごっちゃになってる人も多いだろうな」
「えー、で一緒なの? 違うの?」
「お兄様、余計に曖昧になってしまったわ。ラル、聖剣の騎士も、勇者も凄い人なのよ、ラルも頑張れば聖剣の騎士になれるし、勇者にもなれるのよ!」
「やったぁー! 俺絶対騎士になるっ! それで勇者にもなるんだっ!」
紙の剣を振り回しはしゃぐラルの後ろでは、水色の髪の少女が、ジールと話す順番を待つように、ずっと黙って立っていた。
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しばらくは物語の区切りが良いところまで、複数話ずつ更新する予定です。
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