10 胸の谷間と不穏な影
「拘束した者から馬車に乗せろっ、拘留用の天幕も用意しておけっ」
チアーナの声が大広間に重く響いた。
感情を表に出さず、見る人によっては冷たさを感じさせるほど、チアーナは淡々と指示を下していった。
帝国兵たちは手慣れた仕草で、スパイたちの手首をきつく縛り上げ、口には自決を防ぐために、布で猿轡がされた。
「外の大隊にもスパイが紛れ込んでいる可能性がある、ブルーチバス領の装備を身に着けているものがいないか確認しろ、それまではスパイを拘束したことは悟られるな!」
「はっ」
手足の自由を奪われたスパイたちは、馬車の荷台へ荷物のように放り込まれた。
チアーナの「出せ」という短い指示とともに、御者が鞭を振ると、馬車はガタガタと軋みながら動き出した。
「戦闘が終わったばかりなのに、疲れを見せる素ぶりもありませんね、ジール様」
「あぁフェリ、自分の部下にスパイが紛れ込んでいたなんて、精神的にもダメージ受けているだろうに、部下の前では全く顔に出さない、流石だよ」
チアーナの隙の無い凛々しい顔と、余裕のある堂々とした態度に、ジールとフェリは、指導者としての威厳を感じていた。
「一応、まだスパイが残っていないか、警戒はしておくか」
2人は迎賓館から少し離れ、その仕事ぶりを見守るように視界を広げた。
「ジールとフェリーハに助けられちゃったね。一時はどうなるかと思ったけど、友情パワーで勝利だね!」
「リヨンさん、人質怖かったですよね。チアーナさんも、落ち着くまでどこかで休めたらいいんですけど、現場を離れるわけにはいかないですよね」
「ずっと顔に出さないけど、私たちの国と、ジールの国が戦争になって、チアーナさんも心苦しくてね」
リヨンはチアーナへ視線を向け、眉を下げた。
「ずっと2人の安否を気にしていたし、賠償もどうしたって厳しい制裁は免れないだろうって……」
堰を切ったように、リヨンの赤い瞳から涙がこぼれた。
「こっちから仕掛けた戦争なのにね……、勝った側の言い分を押し通そうとする、帝国のやり方も恥じていて」
「認めちゃっていいんですか? 表向きは、話し合いの席を蹴って、武力を持ち出したのはこっちって公表してるのに」
「信じているのは帝国の国民だけだよ。世論が得られればいいだけの方便、わかってるでしょ、グス」
「戦争って、そういうもんだと思ってますよ」
「ジールたちだけでもどうにかって、そんなことも話していたんだよ」
「それで、講和の使者を買って出てくれたんですか」
「えっ!? 気づいてたの?」
「なんとなくは。侵攻してきた軍はシャウゼン側で、講和の窓口がプラネ側って、なんかちぐはぐだったので」
「多分、プラネ殿下の意向もあるけどね。シャウゼン殿下ばかりに大きな顔させたくないって」
「なるほど、帝国内でもバチバチにやり合ってる最中ですもんね。そりゃあれだけスパイも入り込みますよ」
「でもこの講和で、お互いうまくいく可能性が見えてホントにホッとしてる。まだ終わってないけど、ひっくり返される可能性も残ってるけど、今だけはホッとさせてー!」
リヨンはジールとフェリの首に腕を回し、顔をうずめるようにして抱きしめた。
「チアーナさんには、リヨンさんがいてよかったですね」
「フェリーハわかってるー! 完璧でいようとする人だから、たまに茶化して息抜きさせないとダメなのよー」
リヨンはフェリの大きな胸に顔をうずめた。
「ジールも、緊張の糸張り詰めすぎないでね。お父様の事、まだ半年でしょ」
「父の死を言い訳に、仕事をサボろうかと思いましたけど、妹やフェリもいますし、色々と落ち着くまでは、まぁ頑張らないとって感じです」
「ちゃんと吐き出せてる? 無理してない?」
「ジール様の事なら大丈夫です。リヨンさんのように、私が息抜きさせますから!」
フェリは力強く拳を握り、口角を上げてみせた。
「フェリーハは表情豊かになったね。この国でいい時間を過ごしたのがわかる。あの頃は無愛想すぎて、何考えてるかわからないとこあったもの」
「ジール様、それにベイ家の方々からも、行き場のない様々な気持ちを、消化する時間を頂けたので」
「わかるー、私も昔は荒んでたし、チアーナさんもお高くとまったヤなヤツとか思ってたし、積み重ねた時間て尊いよね、時間が雪解けの春を連れてくるよね!」
「昔話をしているのか、あまり恥ずかしい話をするなよリヨン」
粗方の指示を出し終えたチアーナは軽く息を吐き、目元の力をわずかに緩めた。
「余計な面倒をかけてしまったな、ハイジール」
「うちも一枚岩ではありません、お互い様ですよ」
「この講和が、帝国が変わるきっかけの1つになるだろう。全てを力で解決させる皇帝やシャウゼン殿下のやり方は、いずれ帝国の首を絞める」
「そのためにもプラネ殿下の即位を、ってことですね。こちらもシャウゼン殿下と接触してそうな貴族に心当たりもあります、何かわかれば連絡します」
「シャウゼン殿下は各国に影響力工作を働いている。調べれば帝国の側からわかることもあるだろう。情報を掴み次第連絡を入れる、この講和、必ず成功させるぞ」
「えぇ、もちろんです」
ジールとチアーナの会話に、割って入れない空気を感じ、帝国兵の1人はリヨンに声をかけていた。
「チアーナさん、我々も出発の準備ができたようですよ」
「あぁ、ではハイジール、そしてフェリーハ、約束のパイ、頼んだぞ」
「はい、楽しみにして下さい!」
ジールとチアーナは、覚悟を決めた瞳を交わし、深く頷いた。
リヨンは少し砕けた表情で、手をひらひらとさせ、フェリもその表情に応えた。
「私もリヨンさんのように、ジール様を支えます!」
庭園の門が開くと、ファッド国の衛兵は民衆をかき分けて道を作った。
チアーナとリヨンの乗った馬車の後ろを、ジールは少し不安気な表情で見送った。
「一段落、とはまだ言えないな」
「講和の邪魔をしてくる人が、シャウゼン殿下と繋がっているという事ですか」
「俺が気に食わないって貴族や役人もいるし、そんなにわかりやすく動かないだろう。怪しいからってすぐに手を出すなよ」
「そんなに狂犬ではありませんよ」
「ダンジョンで魔物狩るときと同じ顔してるよ、今のフェリ」
「えぇ、私どんな顔をして剣を振っているんですか?」
「こいつめって、ほら、あんな感じで」
そう言いながらジールは、衛兵に詰め寄っている民衆を指差した。
一度落ち着きを見せた民衆だったが、衛兵たちとまた何か言い合いをしているようだった。
「講和の調印式までに、国内情勢を安定させないと……」
ジールは迷いながら、民衆の方へ歩き出した。
「そこにいるのは、ロッカス亭の息子さんのアンバーじゃないか、店はいいのか」
ジールは笑顔を崩さないよう、そして柔らかい声を保つように心がけた。
「ハイジール様、どうしても気になってしまって……」
「女将さんはいつものパイは焼いているのかい? この後買いに行こうと思っているんだが」
「あ、あぁ今朝も元気にうるさいくらい、沢山作ってますよ。どんな時でもパイを焼くって」
「明日にでも公表されるが、この国が占領されるような事はない。安心して明日もパイを焼いてくれ。捕虜の解放もじきに始まる、街の活気もすぐに戻ってくるぞ」
「ほ、本当ですか……」
「あぁ、ロッカス亭も忙しくなるぞ、あのパイの味は帝国にもない絶品だ! こんな所でサボってていいのか?」
「あの、ハイジール様は、俺たち庶民へ親身になってくださる方だって、母さんが言ってたし、オレもそう思ってます。ハイジール様の言葉を信じて、俺仕事に戻ります!」
アンバーは勢いよく頭を下げると、その勢いのまま走っていった。
「ハイジール様って?」
「ほら、ベイ家の孤児院の」
「お高く留まった貴族と違うなら、言ってる事信用していいのかね」
「俺もそろそろ仕事に戻らないとまずいか」
民衆の一部はアンバーの言動にあてられ、口にする話題が変わると踵を返し始めた。
その様子は、先ほどまでのすさんだ空気を次第にほぐしていき、庭園から離れていく人の姿は増えていった。
馬車に乗り込んだジールはその光景に胸を撫でおろし、御者に馬車を出すように指示を出した。
「貴族なのに街の人たちを気遣う姿、ダンパ様のようですね。衛兵にお任せして、立ち去っても良かったのに」
「父上と? 他人の世話ばかり焼いて、母上が亡くなってからは寂しさを埋めるように、余計に仕事に時間を割いて、似たくはないな……」
ジールは窓の外に目を向け、遠くを見つめながら眉をしかめた。
「俺の留学中は、ターラが1人になる事も多かった。まだ7歳だったし、寂しい思いをさせたと思う」
(俺が家を出る日、ぐずって泣いてたな。使用人はいたが、家族がいなくなる不安は、母上が亡くなった後だし、余計に辛かっただろうな……)
ジールのズボンのすそを掴んで放さない、涙を浮かべたターラの表情が、ジールの目の前に浮かんだ。
「自分より他人の気持ちを思い行動するところ、やはり似ていますよ」
「……成り行きで、気になったら後先考えずについ口を出してしまう。悪い癖が治らない、バカなだけだよ」
「関わった相手を自分の事のように感じとれる情、その想像力、言葉の裏側にある思慮深さ、分かる人にはちゃんと胸に響いていますよ」
「買いかぶりすぎだ。フェリのことだって、あの時は本気で放っておくつもりだった」
「その成り行きや、ついが、家族のいない私にはどれも特別でした」
フェリの脳裏には、ダンパやターラと食卓を囲んだ記憶が蘇っていた。
「家族のように受け入れてくれた、ベイ家での人と触れ合う時間は、私にはもう絶対ないと思っていたから。この時間を守るため、ジール様の力になりたいです」
ベイ家の使用人と港へ買い出しに行ったり、畑の収穫を手伝ったりした時間が、ジールと出会う前の孤独な時間を上書きしているのだと、フェリは改めて実感した。
「最初は命を助けられた恩でした。それは今もありますが。それ以上に、積み重ねた時間の方が重く、尊く感じています」
フェリは心の奥に感じている気持ちを確かめるように、両手を胸の上に置いた。
「無責任な男だよ。今だって、こんな紙きれが面倒くさく感じてる」
ジールは肘置きについた手で顔を支え、指先で勅命をつまんでヒラヒラと揺らした。
「どっかその辺でなくしそうで、気が休まらない、厄介な紙きれだ」
臭いものを持ったように、勅命をつまんだ手を顔から遠くへ離した。
「安心してください、そう言うだろうと思って、用意しておきました」
フェリは書類を入れていた皮のバックから、木製の丸筒を取り出した。
短剣より短い長さで、親指程の太さの筒は、先がはめ込み式になっていて、フェリはその先端をスポンと抜いた。
「用意がいいね、入れておけば風で飛んでくことはないな」
ジールから勅命を受け取ると、フェリはその用紙をくるくると円柱に巻いて、丸筒の中にキレイに収めた。
「無くさないように、大事にしまっておきますね」
フェリは、公務服の上着をはいで、中の白いブラウスのボタンも外し、大きな胸元を露にした。
「っ!? 何やってるんですか、フェリーハさん!?」
ジールがフェリの胸の白い肌にくぎ付けになっているのを横目に、当たり前とでもいうような、平然とした表情で、フェリは自分の胸の谷間に、丸筒を差し込んだ。
先端が入ると、丸筒の頭を指先でぐっと押し込み、丸筒は全て胸の谷間の中に消えていった。
「この後、ターラ様のいるフィッシャー園に立ち寄るのですよね」
服のボタンを留めているフェリの指先と、その奥にある胸元に見惚れたままだったジールは、フェリに声をかけられるとすぐに視線を戻した。
「あ、あぁ、先に王宮に行って、会談の報告をしておこう。その後ロッカス亭のパイを買って、園の流れで。あれ食ってる間はみんな静かでいい」
「パイ、いっぱい買いましょうね!」
「っぱい!? あぁいっぱいね! うんパイ、いっぱい買っておこう……」
(んー、落ち着け―、胸元見てる場合じゃないぞー……)
ジールは平然を装おうとして、窓の外の景色に目を向けるので精いっぱいだった。
馬車の後を追う不穏な一行に、気づくこともなく――
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