Another side 1 - 友を想う勇者
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「………」
夜、桐川怜は一人で苔に覆われた倒木に腰掛けていた。
蒸し暑く、じめじめとした湿気に嫌な汗をかきながら物思いにふける。
その視界の端で、ひっそりと生えていた植物が急に膨張し始めた。風船のように膨らんだ蕾が開くと、そこには凶悪な牙が並んでいる。
だが、怜は慌てない。
手を前に出すと、転がっていた拳大の岩が予備動作なく浮かび上がり、怜の掌に収まる。
岩はまたひとりでに浮かび上がり、今まさに怜へ襲いかかろうとしていた植物へ一直線に飛んでいった。
バンッ!と鈍い衝撃音が響く。拳大の岩はその植物に、まるで大砲が撃たれたかのような巨大な風穴を作った。
「さすがだね」
「……栞か」
背後から歩いてきた栞に、怜は疲れたような笑顔を見せた。
栞もまた疲れた表情のまま、極力足音を出さないように忍び寄るような足さばきで怜の隣に腰掛けた。
「最初は凄え怖かったけど……なんか、慣れちまったな」
「……だね」
怜と栞の視線の先にあるのは、たった今怜が倒した植物型の魔物だ。
「まあ、前向きに捉えようよ」
「そうだな」
と答えるものの、怜の表情はどこか暗い。
怜の見た目は特に変わっていない。相変わらず両耳には派手なピアスを3つずつつけている。服装は戦闘に備えたものに変えられ、音が出ないよう腰のチェーンは外しているが。
「あいつらは……今日もか?」
「うん。そうみたい」
「毎日毎日、飽きないもんだな」
怜は息を吐く。
怜が言うのは他の勇者、つまりクラスメイト達のことだ。
現在拠点としている場所には防音魔法が張られており、ある程度の音なら完全に遮断できる。
そして、今そこでは、怜のクラスメイト同士による性行為が行われている。
この討伐組に参加している女は木嶋栞、榎田千智、橘鈴の三人だけだ。
その中で問題だったのは、榎田千智だった。
彼女は異常なほどに性欲が強かった。そして恥という感情もなかった。
彼らの討伐組が始動し始めて数週間が経った後に、彼女が男を求めたのも仕方がないことではあるだろう。
そして過酷な環境の中で鍛える男達もまた、そのストレスを発散させるには女を抱くのが一番早かった。ただ、それだけの話だ。
そういった関係が始まると、同じくストレスを抱える橘鈴もその中に加わり出した。彼女は全ての事柄に対して緊張してしまう性格で、ストレスの溜まる量は尋常ではなく、男に抱かれるのは一番のリフレッシュになった。ただ、それだけの話だった。
いつ死ぬか分からない状況で、日々を過ごす。その中で更に合意の上ならと、引率係でもある里村亮介も混ざらぬとも止めはしていない。
よくあること、らしい。
だが、怜だけは一度も参加したことがなかった。理由は推して知るべし。
男達、中でも自分の思い通りに事が進まないと気が済まない大賀総一郎はクラス一の美少女である栞にも関係を迫ったが、さらりと断られた。
栞には性欲がないのだ。いや、正確に言えばあるのだが、極めて希薄であり、大して仲が良くない相手となど論外だ。同時に恋愛感情もないゆえに、彼女が誰かと性行をする可能性はほぼ皆無かもしれない。
こうして、夜になると居場所のなくなる怜と栞は、ほぼ毎晩拠点の外に出て過ごす。
拠点から出れば危険は増すが、それでも見知っているクラスメイトのセックスなど見たくないし、それによって発せられる声も聞きたくなどないからだ。
ちなみにだが、亮介は見張りとして別で外に出ている。
「一年。俺達が異世界に来て一年か」
「随分長かったように思えるけど、まだそんなものなんだね」
「ああ。しかも、帰れるのはいつになるか分かんねえしな」
彼らは、元の世界に帰るために戦っている。魔王を討つために、力をつけている最中なのだ。
しばらくすれば先に召喚されていた先輩達の討伐組と合流することになるのが、まだその段階ではないと言われている。
怜達がいるのは陰大陸。もはや常識が通用しない、未開の地だ。
そこには、魔族だけではなくあらゆる危険生物が多く存在する。
先程怜に襲いかかろうとした植物型の魔物もそうだ。ここには人族の生活圏である陽大陸にはいない凶悪な魔物が数多く存在する。
そこで約一年、彼らは修行をしていた。第五地区で奏多と対峙してから、約一年だ。
生物だけではない。天候や環境さえも過酷なこの地で、彼らは生き抜いてきた。
既に死んだ仲間もいるだが、それでも帰らず弱音を吐かないのは、元の世界へ帰るため。そのために、魔王を倒すためだ。
「俺は、奏多に追いついたかな」
「……どうだろね」
彼らが追うのは、あの日の奏多の背中だ。
第五地区で奏多と対峙した時、奏多は怜と栞に対して殺気を向けた。
平然と、まるで当たり前かのように。
奏多にとってあの場にいた全員が『敵』だったのは確かで、それを理解してしまったからこそ、二人の心傷は計り知れないほどのものだった。
仲が良かったから、そう思っていたからこそ、ショックも大きかった。
更に、その後に羽田英明から告げられた真実。
『奏多には罪悪感がない。あいつは元の世界でも人を殺してた。もし奏多が敵と判断すれば、俺も、お前らも、躊躇なく殺すぜ』
罪悪感がない。そのことを、怜も栞も知らなかった。
にも関わらず英明は知っていた事実と、そしてその内容に、当時の二人は随分と取り乱したものだ。
だが、同時に理解した。あの時の奏多が、なぜあそこまで強かったのか。
覚悟の違いだ。覚悟が違い過ぎた。
「……とりあえず、俺はあいつを一発ぶん殴ってやんねぇと気が済まねぇ」
「だねぇ。私も、ビンタぐらいはしとかないと」
シュッシュッと手のひらで空を切る栞に、怜は笑顔を向ける。
こうしたちょっとした仕草が、怜にとってはとても愛おしく、そして救いでもあった。
怜と栞は、あの日、奏多が罪を背負ってまで守ろうとしたものをまだ知らない。
二人はまだ、奏多のことを何も知らなかった。
知らなかったことを知ってしまったからこそ、知りたいと願う。
そして奏多に近づくため、死に物狂いで力を求めた。そうでもしないと、二度と奏多には会えないような気がして。
また、植物型の魔物が蠢き出した。だがそれは、栞が指を向けるだけで動きを止める。そしてそのままどこかへ去ってしまった。
「それ、ここじゃあ凄え便利だよな」
「ほんと、これのおかげで何回も助かったよ。怜君のことを守ってあげるから、期待しててね」
「……そのセリフ、嬉しいけどなんか複雑だな」
怜は苦笑する。
栞のスキルは『植物を操る』ものだ。
単純なようで実は出来ることは多く、植物を自分のイメージ通りの形に変えたりすることも可能で、使いようによってはかなり強力なスキルとなり得る。
怜のスキルは『念力』。
文字通り、念力を使うことが出来る。物を動かしたり、近づけたりなど、これまた汎用性が高い。自分自身を浮かすこともできる。
「………」
それはいい。だが、怜にはもう一つのスキルがある。
それは人によっては喉から手が出る程欲しがるもので、怜もそれを理解していた。現に、当初は喜んでいた。
しかし、その意味をよく考えてみた時、彼はそのスキルが怖くなってしまった。一番恐ろしいのは、自分の意思に関係なく発動するということだ。
まだ、使ったことはない。そのような事態にはなんとかならずに済んでいる。
だが。
このままいけば、いつかは必ず使うことになる。怜はそんな確信があった。確信があったからこそ、その時がいつ来るのか、怖くて怖くて堪らなかった。
「怜君?どうかした?」
「……ん?いや、なんでもない」
こうしたやり取りは、今までに何度もしている。
怜が時折不安そうな表情を浮かべるのを、栞は見ているからだ。だからこうして、たまに尋ねる。
しかし、怜は答えない。
一度も答えたことはなく、そしてこれからも答える気はなかった。
そう考えた時、怜は、少しだけ奏多を理解する。
もしかすると、奏多もこんな気持ちだったのかもしれないと。
仲が良いからこそ、本当のことを言いたくなかったのかもしれないと。
それは心配をかけたくないとか、安心させたいとか、怖がられたくないとか、様々な理由はあるだろうけど、とにかく、こんな気持ちだったのかもしれないと。
真意は分からない。
だからこそ、怜は奏多を一発ぶん殴って、それからゆっくり話を聞いてやろうと、そう考えていた。
「…….明日からまた奥地に移動するって言ってたよな」
「うん。あと一年以内には安全区域に行きたいって」
過酷なこの陰大陸にも、人の生息圏が存在する。それはかつての勇者達が筆頭に作り上げた街で、魔王軍と戦う冒険者達が多く住んでいる。
奏多の師にしてシャーラの父であるダークエルフのグランや、竜王国の竜王ファルグの父である前竜王が魔王軍相手に戦っていた時も、その街が拠点となっていた。
そこが、彼ら第五期勇者討伐組の目的地だ。
「そこで他に魔王と戦ってる人達と合流して、それから本格的に魔王軍と戦い始めるんだよね」
「ああ。亮介先輩はそう言ってた。……あの人、ここを一人で突破してアルティアに戻ってきたんだと思うと、凄いよな」
「うん。心強いけどね」
改めて、先に召喚された勇者達との差を実感する。
10年の差があるとはいえ、ここまで違うと追いつける気がしない。それが彼らの正直な感想だった。
自分達が危機に陥るたびに助けてくれる亮介に、二人は常に感謝している。
「空が、明るくなってきたな」
ふと、吐く息が白いことに怜は気付いた。見れば、白い結晶が空から降ってきている。
「雪、か」
「寒くなってきたね。さっきまで暑かったのに」
急に極寒へと変わった気温に、半袖だった二人はぶるりと体を震わせた。
怜と栞は顔を見合わせ、立ち上がる。そして拠点へと帰っていった。
ーーー夜は明ける。終わらぬ戦いと、残酷な未来を引っさげて。
彼らが再び奏多と相見える日は、そう遠くない。




