前日譚1 一つの誓い
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―――それは、欠けた少年がたった一人で誓った、ただ一つの約束。
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可憐な少女がいた。
花のように笑う少女。彼女がただそこにいるだけで、空気は和らぎ、穏やかになる。そんな少女。
少女の名前は間宮悠。
裕福な家庭に生まれた彼女は、何不自由なく育った。
そんな悠には、ある男友達がいた。名を、氷室奏多。
彼はたまたま知り合った少年で、いつの間にか仲良くなり、気付けばよく遊ぶようになっていた。
奏多はとても落ち着いた少年だった。知り合ったのは互いに10歳の頃だったが、その時から奏多は少し大人びており、悠はそんな頼もしい奏多とずっと一緒にいた。
奏多には親がいなかった。家族がいなかった。だから、悠が奏多の家に行けば彼は常に一人だった。つまり悠は、奏多と二人きりの時間を多く過ごした。
そんな奏多も、年頃の男の子。ちょっとやそっとではお目にかかれない美少女である悠に惚れてしまうのも当然と言えば当然。
そして、それは悠も同じ。自分を大切にし、いつも一緒にいてくれる少年である奏多に恋心を抱いてしまうのも必然だろう。
いつしか両想いになっていた二人は、幸せな人生を歩む―――とは、ならなかった。
彼らが14歳になった頃に間宮家を襲った、強盗殺人。悠は目の前で両親を殺され、住んでいた家を焼かれた。彼女自身は、暴行される寸前で警察が到着したために無傷だったが、その心には深い傷が残っていた。
犯人の動機はもちろん、財産。ある大きな暴力団が裕福な間宮家に目をつけ、犯行に及んだのだ。
事件の翌日、悠の幼馴染だった三上舞によって、奏多は全てを知る。そして、彼はそれを許せるほど出来た人間ではなかった。
だから、当然のように。
―――報復することを決めた。
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氷室奏多。
10歳の頃、悠と出会う少し前、彼の両親は目の前で殺された。
犯人は通り魔。動機は別にない。
両親と三人で歩いていたところ、ふらりと寄ってきた犯人が父と母を刺したのだ。
彼は当然、悲しんだ。そして、犯人を強く憎んだ。
そんな奏多はある日、その通り魔を見つけた。本当に偶然。
親が殺されるという強烈な光景を目に焼き付けられた奏多は、当然その犯人も覚えていた。
そして、見つけた。
―――さて、ここで氷室奏多という少年が抱える問題について話そう。
彼には、およそ優劣に関する感情がなかった。
幼い頃から、何かに勝っても負けても感情の起伏がなく、周りからは気味が悪いと言われていた。
それもそうだ。幼い少年が勝っても嬉しがらず、負けても悔しがらないのだから。
だが、それはそれだけの話。
問題は、もう一つの欠けた感情だった。
それは、生まれた時には確かに持っていた感情。両親が殺されるまでは持っていた感情。いや、彼が通り魔を殺すまでは存在していた感情。
―――罪悪感。
気付けば、彼の前に血塗れで伏す通り魔がいた。
冷たい雨が降り続ける中で、表情が抜け落ちた奏多と、血で汚れた手。
彼は激情に駆られ通り魔を殺した時、罪悪感を失った。
『親を殺した相手を殺して、何が悪い』。それに答えを出せなかった彼は、自分の犯した罪を正当化し、そして罪悪感を失った。
以降、彼が罪悪感を感じることはなくなった。誰かに肩をぶつけた時。人の物を壊した時。友人を傷つけた時。
些細なことから、問題になるようなことまで。
その行為が、一般的には『悪い』ことだと知りつつも、微塵も『悪い』と思わない矛盾を抱えたまま彼は成長し、そして自己完結した。
ゆえに彼は何をしても、罪悪感を抱くことはない。その事実に、疑問を抱くこともない。
―――だから、彼は殺す。
例えば、足元にいる蟻を気にすることなく踏み歩く人間と同じように、彼は自分の定めた道の邪魔だと判断したものを、平然と、当たり前のように消す。決して積極的にではなく、しかし避けることもなく、『作業』として殺す。
―――それが、氷室奏多。欠けた少年の生き方だった。
◇
報復を誓った僕は、暴力団の本拠地へ行く。そこは有名な場所であり、しかし誰も近付かない場所。
廃工場。そこが、悠から全てを奪った組織の本拠地だ。
僕は包丁二本とアイスピック、そして鋏を確認し、乗り込もうとした。少し心許ない武器だけど、そんなものしか手に入らなかった。
そこで、本能的にしゃがみこむ。頭の上を、轟音を伴って何かが通り抜けた。
僕はすぐに前へ転がり出ると、後ろを振り返る。そこには、大柄な男が立っていた。
「……君は?」
「お前こそ、誰だ?お前みたいなガキが、ここの構成員とは思えないが」
「僕はこの組織の構成員じゃない」
「じゃあ、なんでこんなとこにいる?」
「この組織を潰すため」
躊躇うことなく答えた僕を見て、男は豪快な大声で笑った。
「ちょ、ちょっと声でかいって!バレるだろ?」
「ああ、悪い悪い」
「……それで、君は?こんなとこで何してるんだ?」
「あ?俺もお前と一緒だ。この組織をぶっ潰しにきた」
僕と同じ、なのか?
「面白え。なあ、一緒に戦ってみるか?こんなこと初めてだが、初めてだからこそ面白そうだ」
利害の一致か。まあ、一人よりかは心強いかな。
「決まりだな。事情は全部終わってから聞く。今は、名前だけ教えろ」
僕の表情を見て察したのか、男は答えを聞かずにそう言った。
「氷室奏多。君は?」
「羽田英明。よろしくな」
こうして、僕達は二人で廃工場に乗り込んだ。
◇
「はぁ、はぁ、はぁ」
何とか、終わった。
思ったより数が多かったし、二十回は死ぬかと思ったよ。
「よぉ、生きてるな」
羽田君がこっちに来た。正直、彼がいなかったら死んだのは僕だっただろう。
「……何とかね。君は余裕みたいだけど」
「は、余裕じゃねえよ」
羽田君は僕の隣に座る。その顔は、どこか不服そうだった。
「それで?お前はなんでここに来たんだ?」
「……それ、聞きたい?」
「ああ」
「……はぁ」
僕は全て話した。今思えば何故話したのか分からないけど、一緒に修羅場を潜り抜けた仲間として何か感じたのだろう。
「へぇ、好きな女のためか。漢じゃねえか」
「ありがとう。それで、君は?」
「あ?俺か?俺は単に強くなりたいからだ」
「強く?」
「ああ、そうだ。俺は強くなりたい。そのために色んな奴と殺り合ってきたが、満たされることがない。だから俺は、俺が満たされるまで戦い続けるんだ」
「………」
強くなりたい?素手で人の首を引き千切ったり、殴り殺してたのに?
「これ以上強くなったりするの?」
「さあな。でも、俺が満たされていないのは事実だ」
羽田君は血に濡れた手を見ながら、少し寂しげな表情を浮かべた。
見れば、その手は少し震えている。
「……君みたいな人でも、人を殺したら少しは感じることがあるんだね」
「当たり前だ。お前は違うのか?確かに、平然としてるように見えるが……」
「……僕には、罪悪感っていう感情がないからね。何も感じないよ。人を殺しても、何も感じない」
「……なるほどねぇ。だから無表情のまま殺してたのか。包丁で滅多刺しにしたり、アイスピックで眼球抉ったり、鋏で無理やり突き刺したり。流石の俺でも寒気を感じたぜ。お前とだけは殺し合いたくない」
はは、それは良かった。
「やっぱり、気味悪いかな?」
「どうだかな。少なくとも、俺は人のことを言えるほど立派な人間じゃねえ。……まあでも、いいんじゃねえか?人間なんか、欠陥を抱えてるのが当たり前だろ?」
……はは、随分めちゃくちゃな事を言ってるな。でも、そうか。
「羽田君は達観してるね」
「羽田君はやめろ。英明でいい」
「年上の人を呼び捨ては、ちょっと抵抗を感じるなぁ」
「変なとこ律儀だな。でも俺、こう見えて14だぞ?」
「はぁっ!?僕と同い年!?絶対嘘だ!!」
この後、少し拗ねてしまった英明を宥めるのに、少し時間がかかった。
◆
復讐を果たした奏多は、警察に保護されている悠の元へ向かった。
だが、全てが手遅れだった。
悠は心に深い傷を負い、それが原因で心を失った。感情を失った。
意味がなかったのだ。奏多の果たした復讐には。
伝えるべき相手は変わり果て、自分のことをも忘れ、その報復はただの自己満足へと姿を変えた。
当然、奏多は絶望した。
だが、彼はそこで終わらなかった。
―――必ず僕が、君に感情を取り戻してみせる。
奏多はそう誓った。悠に、そして自分に、そう約束した。
それから今までの約三年間、その決意が変わったことは一度たりともなかった。
彼がその足を止めることは、何があってもあり得ない。
◇
これは、特別な悲劇ではない。絶望的な悲劇ではない。誰かに憐れまれるようなものでも、同情されるようなものでもない。
普通の悲劇。どこにでもありふれた悲劇だ。
いつでも、どこでも、誰にでも起こりうる、そんなありきたりな悲劇。
―――だから。だからきっと。
―――何もないこんな僕でも、彼女を救い出すことができるはず。
悠の手を強く握り、深く深く、心に誓いを刻みつける。彼女のその目に、もう、僕は映っていない。
それでも。それでも僕は。
―――例え、世界が変わろうとも。僕は、君のために。




