第48話 ここは違う世界⑧(sideエマ)
「――で、まずこの世界で一番大事なのはこれね」
プラムさんは屋台の脇に置かれた木箱に軽く腰掛けると、人差し指を立てた。
「ポイント。これがこの世界のお金みたいなものなの。宿代も、食料も、アイテムだって、全部ポイントで買うことになる。ここで生きていくためには、必要不可欠なものよ」
真剣なその表情に思わずゴクリと喉が鳴る。
「はい、それは、さっきミッションのクリア報酬で……」
「そうそう、それ。ミッションクリアで貰えるのが基本だけど、こうやって屋台で物を売ってポイントと交換する人もいるのよ」
プラムさんはにっこり笑って、おにぎりを指差した。
「プラムさんも、プレイヤーなんですか?」
何気なく尋ねると、プラムさんの笑みが一層深まる。
「――ええ、そうよ。プレイヤーの中には私みたいに屋台を出したり、アイテムや情報を売ったりする連中もいるの。この世界は良くも悪くもポイントがすべて。ポイントを払えば何でも買えるし、ポイントのためなら何だってするプレイヤーがほとんどよ」
何故だろう、プラムさんの顔は笑っているのに、その声に含まれるなにかが圧を持ってのし掛かってくる。
何と返したらいいのか迷う私に、けれど彼女はすぐに話を変えるように続けた。
「それより、さっき絡まれてたでしょ。金髪と、シャツの派手なの」
見られていたのだと知って、頬が熱くなる。
「あ、あれは、その……」
「別に恥ずかしがることじゃないわ。この都市じゃ、よくある話だから」
プラムさんは肩をすくめると、声をわずかに落とした。
「ああいうナンパ紛いのは、まだ可愛い方よ。本当に危ないのは、親切ごかしで近づいてきて、契約書だのなんだの言って、法外な利子を吹っかけてくる連中のほう」
「契約書……」
まだこの世界に来て間もないのに、そんな話を耳にすることになるとは思わなかった。
「返済が滞ると、次のミッション報酬から天引きされるとか脅してくるのよ。でも――」
プラムさんは、悪戯っぽく笑った。
「実際にはそんな事ないわ。運営は基本プレイヤー間の問題にはノータッチだから、報酬から天引きとかあり得ない。でもいつまでも付き纏われて脅されて、結局多額のポイントを奪われることになるわ。とくに来たばかりの初心者は狙われていて、それで丸め込まれちゃうんだけど」
「そうなんですね……知りませんでした」
「知っておくだけで、全然違うわ。今日、覚えて帰りなさい」
プラムさんはそう言うと、指を二本立てた。
「あと、暴力沙汰は基本的に起きない。傷つけようとする意志そのものを、この世界のシステムが弾くから」
「世界のシステムが弾く、ですか?」
言葉の意味は分かるが、どういう事なのか分からない。
「ま、こればっかりは実際に経験しないと分からないかもね。とにかく、暴力振るわれそうになったり、殺されそうになっても、ひとまずは心配ないって事」
プラムさんは頷いた。
「だからって、油断は禁物よ。直接殴られなくても、痛めつける方法はいくらでもある。さっきの契約金の話もそうだし、情報を操作して孤立させたり、なんて手を使う人もいる」
言葉の端々に、実感めいた重みがあった。まるで、そういう目に遭ったことがあるかのような。
「――あの、プラムさんは、大丈夫だったんですか? そういうのに」
思わず尋ねると、プラムさんは少し驚いたように瞬きしたあと、ふっと笑った。
「大丈夫よ。私、これでも結構図太いから」
その笑顔は明るかったけれど、どこか、こちらを気遣うような優しさが滲んでいる気がした。
「それより、エマちゃんは今夜の宿、もう決めてる?」
「あ……いえ、まだです」
「なら、ここから南側にある宿屋が相場より少し安くて、初心者にはおすすめよ。部屋もちゃんと鍵がかかるタイプだから」
テキパキと教えてくれる様子に、胸がジンと熱くなる。会ったばかりの他人なのに、ここでのルールをこんなに丁寧に、こちらを心配してくれているのだと分かったから。
「本当に、ありがとうございます。何から何まで……」
「気にしないで。こういうのは、お互い様だから」
プラムさんはそう言って、もうひとつおにぎりを紙に包み、私の手に押しつけてきた。
「これ、夜食用に持っていきなさい。宿までの道、危ないから急いでね」
「そんな、悪いです……!」
「いいから。困った子を放っておけない性分なの」
困ったように眉を下げながらも、その差し出された手を、私は断ることができなかった。
「――ありがとうございます」
深く頭を下げると、プラムさんは軽く笑って手を振った。
「またおいで。ここにいるから」
屋台を後にして、教わった通りに南側の宿を目指しながら、私は胸の中に小さな灯りが灯ったような気がしていた。
知らない世界に放り出されて、独りぼっちだと思っていたのに。
透真さんたちのような、頼れる誰かはいなくても――こうして助けてくれる人が、ここにもいる。
それだけで、少しだけ、前を向けそうな気がした。
橙と紫が混じり合う空の下、私は宿への道を急いだ。
それから三日間、私はプラムさんの屋台に通い続けた。
行くたびに、何かしらの食べ物と一緒に、この世界での生き方を教えてもらった。ポイントの稼ぎ方、相場の目安、信用できるプレイヤーと避けるべきプレイヤーの見分け方。プラムさんの話はいつも具体的で、それでいて時折、どこか遠い場所を見ているような目をしていた。
「エマちゃんは素直だから、変な連中に騙されないよう気をつけてね」
そう言って渡された干物のような保存食を、私は宿の部屋で少しずつ食べながら過ごした。
独りで見上げる橙色の空にも、少しずつ慣れていった。
それでも夜、ベッドに入るたびに、透真さんたちのことを思い出す。
今頃どうしているんだろう、と考える時間が、日に日に増えていくのが分かった。
休息期間の終わりが近づいたある日、屋台の前でプラムさんが不意に言った。
「そろそろ、次のミッションの受注時期ね」
「受注、ですか?」
「そう。ここでは自動的に次のミッションに進むわけじゃなくて、自分で受けに行かないといけないの」
プラムさんは、都市の中心にそびえる白亜の塔を指差した。太陽の光に照らされた白い石造りの、ひときわ大きな建物。
「あそこの受付で、ミッションを受注するの。もし知り合いと運良く合流できたら、あの建物に一緒に行って同じタイミングで受注すれば、同じミッションが受けられるわ」
「知り合いと、同じ場所で……」
「頑張ってね、エマちゃん」
プラムさんは最後に、また一つおにぎりを握らせてくれた。
「――ありがとうございました。本当に」
深く頭を下げると、プラムさんは目を細めて笑った。
そうして、三日目の朝、視界の端に半透明のウィンドウが浮かんでいた。『休息期間終了まで残り六時間。以降、ミッション未受注のプレイヤーにはペナルティが発生します』文字を眺めながら、気持ちが沈んでいく。またあの命懸けのゲームに参加しなければならない。
塔の受付に着くと、半透明のウィンドウがいくつも並んでいて、その中から選ぶようにミッションの一覧が表示されている。F〜Eのランクが並び、これが私が今受けられるミッションのようだった。
正直、どれも選びたくない。どれを選択しても危険なことには変わりなく、またあの化け物が出てくるようなミッションなら、恐怖で足がすくんでしまうだろうから。
どうしよう、と迷っているとふと一つのミッションが目についた。
【Eランク・廃墟の街の宝探し】
舞台は、かつて栄えていたとされる廃墟の街。街のどこかに眠る「特別な宝」を、制限時間三日以内に発見せよ。参加人数:十二名。と記載されていた。
「宝探し……」
命懸けのゲームに似合わない、なんとも平和なミッションにこれならと文字を目で追いながら、私は迷わずそれを選択した。
(もし、またいつか会えたら――)
透真さんの顔が浮かぶ。この先ミッションを続けていけば、もう一度会えるかもしれない。
そう願いながら、私は光の中に身を委ねた。




