第47話 ここは違う世界⑦(sideエマ)
体が光に包まれたかと思ったら、目の前が白く塗り潰されて、次の瞬間には見知らぬ景色が広がっていた。
空は燃えるような橙から、深い紫へとその色を変えながら、遥か彼方まで広がっていた。
見上げるほど高い建物と幾重にも重なる石造りの街並みが、視界いっぱいに立ち並んでいる。あちこちで光を放つランタンと、行き交う無数の人影。
そしてそのすべての中心には、一際高くそびえる白亜の塔があった。塔の先端は、まだ沈みきらない夕陽を受けてキラキラと黄金色に輝いている。
まるで、この街のすべての光を集めて、空へ返しているかのようだった。
あまりに現実離れした光景に、しばらく声も出せずに立ち尽くしてしまう。
(綺麗……)
見入っていたのは、ほんの数秒だったと思う。
我に返った瞬間、周りを見渡しても、透真さんも、篠崎さんも、凍黒さんも、どこにもいないことに気づいた。
(――独り、なんだ)
その事実が、じわりと胸に染み込んでくる。ミッションの間、ずっと誰かがそばにいてくれた。それがどれだけ心強かったか、独りになって身に沁みて分かった気がした。
落ち込んだ気持ちのまま、ふと見ると、先程まで着ていたはずの白衣がいつの間にか消えている事に気づく。
今朝家を出たときと同じ、見慣れた自分の服に戻っている。オーバーサイズの黒いカーゴジャケット、裾から覗く白いパーカー。ベルトで締めたカーゴパンツの感触も、確かに自分のものだった。
(いつの間に……)
理由は分からないけれど、見慣れた自分の服の感触に、少しだけ心が落ち着く。知らない世界に一人きりだという事実は変わらないのに、それだけで、わずかに息がしやすくなった気がした。
ふいに胸元に、半透明のウィンドウが浮かびあがる。
『――黄昏都市へようこそ、プレイヤー様。』
『所持ポイント:300pt』
『次のミッションまでの残り時間:3日00時間00分』
表示が消えていくのを見送りながら、微かに震える息を吐いた。
(大丈夫。……大丈夫、だから)
自分に言い聞かせても、心細さは少しも変わらない。
それでも、ここにいつまでも立ち尽くしているわけにもいかなかった。
私は意を決して、雑踏の中へと足を踏み入れた。
店先に吊るされた色とりどりのランタンの灯り、果物を山のように積み上げた露店、香辛料の匂いと、焼きたてのパンの香り。露店の呼び込みや金属の触れ合う音が聞こえ、遠くから漂う何かを焼く匂いが食欲を刺激する。
都市の中は、賑わっているはずなのに、どこか殺伐とした雰囲気があった。それは道行く人たちの顔は笑っていても、その目の奥だけは笑っていないせいかもしれない。
誰と話せばいいのかも、どこへ向かえばいいのかも分からず、私はきょろきょろと辺りを見回しながら歩き続けた。
「――あれ、もしかして初心者さん?」
不意にかけられた声に、びくりと肩が跳ねる。
振り返ると、軽薄な笑みを浮かべた男が二人、こちらに近づいてくるところだった。ひとりは金髪を撫でつけ、もうひとりは派手な柄のシャツを着崩している。どちらも、いかにもこの手のことに慣れた雰囲気を纏っていた。
「お姉さん可愛いねえ、一人なの? 心細いよなあ、こういうとこ初めてだと」
「俺たちが色々教えてあげるよ。宿の取り方とか、ポイントの使い方とか」
馴れ馴れしく肩に手を回されそうになって、私は思わず一歩後ずさった。
――ミッションをクリアして、報酬を受け取ったとき、篠崎さんが言いかけていた言葉が蘇る。
(都市じゃ、ポイントの扱いには十分に注意しろよ。中には――)
あの時は続きを聞けなかった、けれど今、目の前のこの状況はその忠告の意味なのだと分かった。
「け、結構です!」
できる限り強い声を出して、私は男たちの横をすり抜けた。心臓が痛いくらいに鳴っている。
男たちは拍子抜けしたような顔をしたものの、追ってくる様子はなかった。
「――チッ、ま、いいか。他あたろうぜ」
背中越しに聞こえた舌打ちと投げやりな声に、詰めていた息をようやく吐き出す。
また絡まれたら嫌なので、そのまま足を止めずに人混みの中をしばらく歩き続けた。
気づけば、香ばしい匂いが漂う一角に差し掛かっていた。商業エリアが近いのか、露店がずらりと並んでいる。
そういえば、目覚めてから今まで何も食べていなかった。緊張と恐怖で忘れていたけれど、意識した途端、お腹がぐぅと小さく鳴った。
露店を見て回りながら、何か食べられるものはないかと目を凝らす。串焼き、得体の知れない色をした飲み物、見たこともない果物――どれも異世界然とした品ばかりで、少し気後れしてしまう。
空腹も限界に近い頃、一瞬見覚えのある食べ物が視界の端に映った。
まさかこんな所で? と思いながらも近づいてみると、木製の台の上に三角型に握られた海苔を巻いたおにぎりと、四角に切られた玉子のサンドイッチが並んでいる。
(――おにぎりと、サンドイッチ……!)
まるで、コンビニの棚をそのまま切り取ってきたような光景だった。この世界に来てから初めて目にする、あまりにも見慣れたものに、胸の奥がじんと温かくなる。
「あら、いらっしゃい」
台の奥から声をかけてきたのは、明るいオレンジ色の髪を緩く三つ編みにした女性だった。年齢は私より少し上くらいだろうか。そばかすが散った頬に人懐っこい笑みを浮かべて、こちらを覗き込んでくる。
「可愛いお嬢さん、ここら辺で見ない顔ね。今日来た初心者かしら?」
「あ、はい……」
「なら、まずはお腹を満たさなきゃね。ほら、こっちおいで」
有無を言わせない調子で手招きされ、私はふらふらとその屋台に近づいた。
「おにぎりとサンドイッチ、どっちがいい? どっちも今朝作ったばかりだから、味は保証するわよ」
「じゃあ、おにぎりを……」
差し出された三角型のおにぎりを受け取ると、じんわりとまだ温かかった。
かぶりつくと、ほんのり塩気の効いた米の味が、じわりと口の中に広がる。
巻かれてる海苔もパリッとしていて、中身のおかかがお米と合わさって余計に美味しく感じた。
――美味しい。
それだけのことなのに、なぜか涙がじわりと溢れてきて止まらなくなる。
目覚めてからずっと状況の分からないまま、死と隣り合わせのゲームの中で考えないようにしていた。
今朝まで普通に生活していた、自分の部屋のベッドで起きて父と母におはようと言って、朝ごはんを食べて、大学へ向かうために家を出た。
それなのに。
――どうして、私こんなところにいるの?
ここに来てからずっと張り詰めていた何かが、その一口で一気に緩んだ。
ぼたぼたと大粒の涙を零しながら、無言のままにおにぎりを頬張る私を女性はじっと見つめていた。
「……よっぽどお腹が空いてたのかしら。ふふ、いい食べっぷりね」
しばらくして涙が落ち着いてきた頃、女性はそう言って笑みを深めた。
「私はプラムよ。ここで屋台をやってるの。あなたは?」
「柊エマ、です」
「エマちゃんね。よろしく」
プラムさんは軽く手を振ると、空いている木箱を引き寄せ、私に座るよう促した。
「いきなりこんな世界に放り込まれて、大変だったでしょ。とりあえず座って、ゆっくり食べていきなさい」
その優しさに、また目の奥が熱くなって私は慌てて頭を下げた。
「あの……ありがとうございます」
「いいのいいの。私も、最初は色々教えてもらったから」
プラムさんは肩をすくめながら、そう言った。その笑い方が、ほんの一瞬、どこか遠くを見るような、不思議な色を帯びた気がした。
「せっかくだから、色々教えてあげる。この都市のこと、ポイントのこと、危ない人たちの見分け方――女の子なら尚更知っておいて損はないからね」
そう言ってウィンクしながらプラムさんは笑った。
その笑顔を見て、この見知らぬ場所で張り詰めていた心が、ようやくホッと一息つけた気がした。




