第4話 その名前(後編)
「――お前ら、二人とも初心者か?」
先ほどの騒ぎが嘘のように、今は物音のひとつも聞こえない。
蛍光灯が切れかけているのか、薄ぼんやりとした明るさの中で不意に割り込んできた声に、俺とエマは同時に振り返った。
声の主は、さっき化け物から助け出した研究員の男だった。
髪に白髪の混じる年配の男は汗と土埃で汚れた白衣の袖をまくり上げ、油断なく扉の方に視線を向けている。
怯えてはいるが、それだけではない――どこか、状況に慣れた落ち着きがあった。
「初心者、というのは……」
「やっぱりな。その反応で分かる」
男は短く息を吐き、俺たちの顔を交互に見た。
「俺は二回目だ。前に一回、似たようなミッションをクリアしてる。だから多少は勝手が分かる」
「ミッション……?」
エマの声が、わずかに上ずった。
男はその反応に、少し気の毒そうな顔をした。
「説明しといた方がいいよな。混乱してるだろうし」
そう言うと、声を落として続けた。
「ここは、デスゲームの世界だ。俺たちは今、そのミッションの真っ最中にいる」
「デス……?」
エマが息を呑む音が聞こえた。
俺の顔も強張るのを感じる。
「クリアできなきゃ、普通に死ぬ。さっきの化け物に喰われるか、期限までに脱出できずに終わるか。とにかく、生き延びるにはルールに従うしかない」
淡々とした口調が、かえって現実味を増していた。
エマの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「死ぬって、そんな、嘘ですよね……? だって、ここ、研究施設で……事故があったって、そう放送で……」
「放送は嘘じゃない。ただ、それだけがルールの全部じゃないってことだ」
男の言葉に、俺は黙って頷いた。
「……フン、ずいぶん面倒な話に巻き込まれたもんだ」
我ながら、平静を装ったつもりが、また余計なセリフが出てきた。
このミッションの仕組みも、この先に待っている展開も、俺はもう物語の中で何度も読んできた。
だが今それを口にするわけにはいかない。
何か気の利いたことを言おうとして、俺は一拍、口を閉じた。
動揺したふりをするのは、思いのほか簡単だった。
もともと動揺していたのだから。
ただし、理由は男の説明とはまるで違うところにあった。
こうして口を開くたび、思ってもいない皮肉が滑り出てくる。
まるで自分の中に、もうひとり誰かがいるみたいに。
「――で、これからどうするんだ」
男が沈黙を破った。
エマはまだ青ざめた顔のまま、俺と男を交互に見ている。
「とりあえず、ここにずっと隠れているわけにもいかないだろ。動くなら、早いほうがいい」
「そう、だな……」
俺は頷きながら、頭の中で施設の見取り図を思い描いていた。
「詳しいことは、動きながら探すしかなさそうだ」
努めて素っ気なく、そう言ってみせた。
今度は、思ったとおりの言葉が出てくれたことに、内心で小さく息をついた。
「あなたたちは、これからどうするんですか……?」
エマが、縋るような目で俺を見た。
この状況で頼れる相手が少ないのは、彼女にとっても分かっているのだろう。
「一緒に動いた方が、生き残る確率は上がる。少なくとも、俺はそう思ってる」
エマを無事に上の階に連れていくという目的はあるが、この言葉は本音だった。
それが自分でも少しおかしくて、口の端がわずかに緩む。
男が小さく笑った。
「気が合うな。俺も似たようなことを考えてた」
三人の視線が交わる。
誰からともなく頷き合い、俺たちは物置部屋の扉に向き直った。
(大丈夫、やれるはずだ)
決意を胸に、俺は扉の先に一歩踏み出した。
地上の扉の前で何が起こるかも、この先に何が待っているかも、俺はもう知っている。




