第28話 交渉(後編)
「優しいお嬢ちゃんでよかったよ。俺はちゃんと情報を買って、このミッションに必要な地図を手にいれたんだ。ほら、これが証拠だ。俺が必要なのはスクロールだけだからな」
男は馬鹿にしたように笑いながら、懐から丸められた古びた紙片を取り出すとエマに差し出した。
それを見たエマが男に向かって歩き出す、直前。
「待ちなさい」
低い声が男とエマの間に割って入るようにかけられた。
後ろを振り返ると、玲はこちらを見ておらず、まわりを警戒するように見ている。
つられて俺もぐるりと周囲を見渡す。
視界の端で白いものが揺らめいた。
ぼやけた輪郭の人影が一つ、二つ、三つ。
それとパキ、パキッとなにかひび割れるような音と、同時にあたりの空気が冷えていくような感覚が強くなってくる。
一度気づくとそれはどんどん数を増やして、あちこちの廃墟の陰から滲み出るように現れていた。
「と、透真さん、これ……」
同じように周囲の異変に気付いた陽太の声が、うわずっていた。
(しまった! 一ヶ所に長くいすぎたか?!)
人の気配を感じて集まってきているのか、増え続ける敵に誰もが周囲に視線を向けていた。
その中で、俺がその気配に気づいたのは偶然だった。
「エマ、下がれ!」
蝿のタトゥーの男がエマに向かって腕を伸ばす。
その手がエマの持つスクロールに触れた瞬間、バチッと弾かれた。
男は舌打ちすると苛立ったように叫ぶ。
「スクロールをよこせっ! それを持ち帰らないと俺は……俺はぁ!」
考えるより先に、無意識に体が動いていた。
男の背後、男もエマも気づいてない。
そこから滲むように白い輪郭がいくつも現れていた。
白い輪郭が腕を伸ばしてエマを傷つける前に、気づけば自分の体をその前に割り込ませていた――エマを死なせるわけにはいかない――それだけだった。
エマを背にして割り込んだ視界に、滲んだような灰色の腕が迫る。
避けきれない。
次の瞬間、肩を掴まれて、衝撃が体を駆けぬけた。
肩から焼けるような痛みが遅れて追いついてくる。
「透真さん!」
エマの悲鳴が聞こえたが返事を返す余裕もなかった。
「くそ、っ」
歯を食いしばる。
腕は上がるが、力が入らない。
焼けたような匂いが鼻をつく。
すぐさま風を切る音とともに、玲が割って入ってきた。
手にした刃の一振りで、迫っていた白い影を吹き飛ばす。
「大丈夫ですか」
短く聞かれ、答える代わりに頷いた。
冷や汗が全身に滲んで顔が苦痛に強張る。
「柊さん、芽吹くん、あなた方は今すぐここから離れてください」
玲の声に、いつもの淡々とした響きはなかった。
「怪我人を抱えてあなたたちまで面倒みきれません。鴉城さんは、私が何とかします」
「でも!」
食い下がろうとするエマに「行け」と俺はかすれた声で、それでも精一杯に言った。
「足手纏いだ、とっとと逃げろ……」
その言葉にエマが唇を噛む。
陽太がその腕を掴んだ。
「エマさん、行こう。……俺たちがここにいたら邪魔になる」
エマも陽太も泣きそうな顔でこちらを見た後、駆け出した。
二人の姿が離れていく。
「うわああああーーー!」
背後で、男の悲鳴が上がった。
振り向く余裕はなかったが、音だけで分かった。
増え続けた白い影が、一箇所に群がっている。
「やめろ! 離れろ! 嫌だ……こんな所で、死にたくない……」
声が、途中で途切れ、それきり何も聞こえなくなった。
玲が俺を腕に支えたまま、地面に落ちたままの何かに目をやった。
「地図、ですね」
先ほど男が手にしていた古びた地図が、離れて残されていた。
プレイヤーが死亡すると持ち物はそこに残る、ゲームのルールをこんな形で目にすることになるとは思わなかった。
玲がそれを拾い上げ、懐にしまう。
「敵の数が、まだ増えます」
視線の先、白い影がさらに数を増やしていく。
「手荒になりますが、我慢してくださいね」
玲が懐から鈍い光を放つ小さな札を取り出した。
それは俺がこのゲームで最初に見つけた宝から出たアイテムと同じ札だった。
それは幽霊を浄化するための貴重なアイテムのはずだ。
「行きます」
簡潔な言葉とともに札が破かれる。
視界が白く染まる直前、俺は玲に抱えられるようにして、その場から駆け出していた。




