第22話 増える脅威(後編)
振り返ると、崩れた壁にもたれるようにして、年配の男が一人立っている。
緩んだ笑みを浮かべるその男の、左頬に特徴的な蝿のタトゥーが目についた。
視線はエマの手の中の巻物に釘付けになっている。
俺はさりげなくエマとその男の間に体を入れた。
「――誰だ」
「いやいや、そんなに警戒しなくても。俺は見てただけだよ」
男は両手を軽く上げて見せる。
「ただ、そのスクロール、序盤じゃそうそう出ない代物だろ? 知ってるか。使い方次第じゃ、命拾いする場面がある」
「知ってて何の用だ」
「交換しないか。俺、特別な宝の場所を示す地図を持っててさ。お互い足りないもの、補い合おうぜ」
人当たりのいい口調だが、目の奥にちらつく計算高さが引っかかる。
地図を持っているというのも、確かめようがない。
それに仮に本当にこの男の言うことが真実であっても、地図は一枚じゃ意味がない。
「悪いが、初対面の相手を信用するほど平和主義者じゃないんだ」
「つれないなぁ」
男は肩をすくめると、ゆっくりとエマとの距離を詰めてきた。
手が、無造作に伸びる。
その瞬間、パチンッと軽い音とともに、伸ばされた手が弾かれた。
空を切るように跳ね返り、男は驚いた顔で自分の手を見つめる。
「――は、システムか。まあ、そりゃそうだよな」
悪びれる様子もなく笑うと、男は「じゃ、気が変わったら声かけてくれよ」と軽く手を振り、瓦礫の陰へ消えていった。
息を吐いたのはその後だった。
「透真さん、大丈夫でしたか……?」
俺と男とのやり取りを黙って見ていたエマが、不安そうに聞いてくる。
「ああ。だが油断はできないな。ああいう手合いは、直接手を出せないと分かってて、なにを仕掛けてくるか分からない。気をつけろ」
俺の言葉に頷くと、エマは強くスクロールを握りしめ、それを懐にしまい込んだ。
それから、俺たちは無言で歩を進めた。
遠くで、悲鳴のようなものが聞こえたのは、それからすぐのことだった。
甲高い声が二度、三度と続き、途中でぷつりと途切れる。
エマの手が、無意識に俺の袖を掴んだ。
様子を見に行くべきか迷ったが、その方角から、湿った土と埃の匂いに混じって、微かに鉄のような臭いが漂ってくる。
角を曲がった先――崩れた壁の隙間から見えたのは、地面に横たわる人影と、その周りに群がる白い輪郭だった。
数えるまでもなく、十は超えている。
俺は反射的にエマの前に立ち、視界を塞いだ。
「見るな」
「でも……っ」
「見なくていい」
喉の奥がやけに乾いていた。
心臓が、痛いくらいに速く動いている。
助けに行けば、俺たちも同じ輪の中に引きずり込まれるだけだ。
分かっていても、動けない足の裏に、苛立ちにも似た感覚が張り付いていた。
俺たちは、来た道を静かに引き返した。
俺もエマも、何も言わなかった。
しばらく歩いた先、崩れた集合住宅の陰から、聞き覚えのある声が響いた。
「――くっ、これで……!」
覗き込むと、そこにいたのは陽太だった。
手には小振りのボウガンを構え、目の前の白い輪郭と対峙している。
輪郭が腕を伸ばした瞬間、陽太は身をひねってかわし、すれ違いざまに矢を的確に叩き込んだ。
輪郭が霧のように散る。
危なげのない、無駄のない動きだった。
「陽太!」
「――透真さん!?」
振り返った陽太の顔が、驚きと安堵でくしゃりと崩れる。
「よかった、会えた……ずっと探してたんですよ」
先ほどの戦闘とは打って変わって、眉の下がった頼りない顔でこちらに駆け寄ってきた。
「お前、戦えたのか……」
「俺だって、命のかかった場面では必死になりますよ。運良く宝から武器が出てくれたので、なんとか命拾いしました」
照れくさそうに笑う陽太の手つきは、たしかに武器の扱いに危なげがなかった。
手先が器用だと言っていたが、こういうことだったのかと今さらながら納得する。
陽太は俺の隣にいるエマに気がつくと、慌てたようにぺこぺことお辞儀しながら自己紹介をはじめた。
エマもその様子に笑いながら答えている。
そんな二人を微笑ましく思いながら手元を見る。
リストバンドの数字は先ほどよりさらに減っている。
街のあちこちに揺れる白い輪郭の数は、どんどん増え続けていた。
それでも――三人揃った今この瞬間だけは、素直に安堵していいはずだ。




