第12話 脱出の扉(後編)
俺と男は、通常の化け物の注意を引きながら、じりじりと距離を取っていく。
この化け物の力や鉤爪は脅威だが、地下の戦いで確信したとおり俺たちでも十分にかわせるレベルだ。
(問題はあっちだ)
降り下ろされる腕をかわしながら、俺は視界の端で、玲と巨体の化け物との攻防を追い続けていた。
最初のうちは、戦闘は拮抗しているように見えた。
玲の動きは役員フロアで見た通り驚くほど速く、比べ物にならないほど鋭く正確だった。
だが――
(――遅い。まだ、決まらないのか)
何度もナイフが振るわれるのに、致命傷には至らない。
刃が弾かれる硬い音が、何度も響いた。
相対している玲の表情からはなにも感じ取れず、俺の中で焦りが少しずつ膨らんでいく。
(もう、そろそろ終わってもいいはずなんだが……)
知っている展開なら、とっくに決着がついているはずだった。
それなのに――膠着状態は、いつまでも続いていた。
その戦いの均衡が崩れたのは、一瞬のことだった。
化け物の巨躯が、不意に動きを止める。
気づけば、その身体が内側からミシミシと軋むような音を立てて縮んでいく。
膨れ上がっていた筋肉が捻れたように締まり、代わりに全体の輪郭が引き締まった、より人間に近いシルエットへと変わっていった。
「――は?」
俺の後ろにいた男の呆けた声が聞こえた。
「なんだ、あれは……」
俺も目を見開いたまま、思わず呟いた。
(――そんな、こんな展開、知らない……)
知っているはずのあの小説に、こんな場面はなかった。
あの巨躯の唯一の弱点――両目を、玲がナイフで貫いて押し切る。
それが、俺の知る結末だったはずだ。
変貌を終えた化け物は、明らかに動きの質が変わっていた。
先ほどまでの鈍重さが消え、しなやかで速い。
そしてその背中から、いくつもの触手のようなものがずるりと伸びてきた。
「危ないッ! 後ろ――!」
俺の叫びは、間に合わなかった。
伸びた触手の一本が、刹那、玲の脇腹を薙いでいた。
吹き飛ばされるその姿が、スローモーションのように視界に映る。
そのまま玲の身体は大きな音を立てて、瓦礫の山に叩きつけられた。
「玲!」
声が、勝手に喉から出ていた。
俺は化け物の腕をかわしながら、玲の様子を見た。
額から一筋、血が伝っている。
だがすぐに体勢を立て直し、片膝をついたまま油断なく敵を見据えていた。
(――そんな、なんで。なんで、こんな展開に)
どくん、どくん、と心臓が大きく鼓動している。
喉の奥がまたたく間に干上がり、呼吸が息苦しい。
視界の端がぐにゃりと歪み、目の前の光景が現実のものであると脳が認識することを拒んでいた。
頭の中が、真っ白になる。
こんな場面を、俺は知らない。
物語に出てこなかった展開に、初めて知識が役に立たない衝撃で混乱した。
だが次の瞬間、俺の中でスイッチが切り替わるように、何かが切り替わった。
――否、まだだ。
浅く乱れていた呼吸を腹の底から吐き出し、乱暴に髪を掻き上げて、硬く握った拳で自身の頬を強く叩いた。
肉と骨がぶつかる固い音が耳奥で聞こえ、頬に走る痛みが思考の混乱を強制終了させる。
(知らないなら――今この目で見て、判断するしかない!)
俺は後ろにいた男に向き直ると、早口に告げる。
「そのまま雑魚を頼む、絶対にあそこに近づけるな!」
「お、おい、兄ちゃん……!」
男の困惑した声を背に、俺はエマに向かって所長権限アクセスキーを投げ渡した。
「エマ、これで扉を開けろ! 開いたら、すぐに動けるようにしておいてくれ!」
「透真さん……!」
「頼んだぞ!」
それだけ言い残しはやる鼓動を抑えながら、俺は玲の元へと走り出した。




