第七十六話 国籍法
2027年4月6日(火) 16:47
東京駅
新幹線を降りた神谷は、足早にホームを歩いていた。
向かう先は、総理官邸。
東京駅から地下鉄丸ノ内線に乗り、国会議事堂前駅へ向かう。
歩きながら、今朝ひよりと交わした言葉を思い出す。
――「水城さん、今日、官邸に行って直接話をしてきます」
――「分かりました。神谷さん、お願いしますね」
神谷はこれから総理に会う。
昨日、自分が口にした言葉が頭に浮かぶ。
――「はい。日本側との調整は、私が引き受けます」
――「この神谷! 必ずこの話をまとめてみせます!」
言った以上、やるしかない。
いや、絶対やる。
リツさんが日本に残るために。
神谷は地下鉄の改札へと急いだ。
◇
官邸 総理執務室
コンコン、と扉をノックする。
「どうぞ」
中から声が返り、神谷は総理執務室へ入った。
室内では、藤堂と浅間が待っていた。
「神谷くん、ご苦労様です」
「いえ」
神谷は軽く頭を下げる。
藤堂が神谷を見る。
「君が直接来たということは、重要なお話でしょうか?」
「はい。聞いて下さい、総理――」
神谷は話し始めた。
昨日、島でカガリから提案されたこと。
リツが島の帰還を知ってから、再び元気をなくしていたこと。
そして、日本に残るという話を聞いたリツが涙を流し、それでも最後には自分の意思ではっきりと受け入れたこと。
神谷は、その時の様子をできる限りそのまま藤堂へ伝えた。
「そして、総理」
「リツさんを、日本国民として迎え入れることはできないでしょうか」
「日本国籍を与えるということですか?」
「はい」
「……」
藤堂は目を閉じたまま動かない。
浅間も何も言わなかった。
しばらくの沈黙が続く。
やがて、藤堂がゆっくりと目を開いた。
「分かりました。その提案、前向きに受けましょう」
神谷の表情が僅かに緩む。
その横で、浅間が藤堂へ声をかけた。
「では、今すぐ関係各所の担当者を集めましょう」
「そうですね。早い方がいい。お願いします」
「承知しました」
浅間が動こうとした、その時だった。
「総理」
神谷が声を挟んだ。
「私も同席してもよろしいでしょうか」
「……」
藤堂は神谷を見る。
その目には、先ほどまでとは違う強い意志があった。
「分かりました。いいでしょう」
◇
官邸 会議室
長机を囲むように、関係省庁の担当者が座っていた。
藤堂の隣には浅間。
その向かいには法務大臣、法務省民事局長、出入国在留管理庁長官。
さらに内閣法制局長官、外務省国際法局長の姿もある。
そして、その末席に神谷が座っていた。
神谷は机の上に並べられた資料を見る。
国籍法。
戸籍法。
出入国管理及び難民認定法。
外務省職員とはいえ、神谷の専門ではない。
「それでは始めましょう」
藤堂の言葉で、会議が始まった。
「今回集まっていただいたのは、島の住民であるリツ氏の処遇についてです」
浅間がこれまでの経緯を説明する。
島側から、日本での継続調査のため1人を残したいとの申し出があったこと。
その人員としてリツが選ばれ、本人も日本に残る意思を示していること。
説明が終わると、最初に口を開いたのは出入国在留管理庁長官だった。
「まず、在留そのものについて検討する必要があります」
「現在、彼女たちを通常の入国者と同じように扱うことには無理があります。旅券もありません。当然、査証もありません」
「そもそも島そのものが日本の領域内に出現したという、入管法が想定していない事例です」
藤堂が尋ねる。
「日本に残ること自体が不可能ということですか?」
「いえ」
長官は首を振った。
「そこについては、法務大臣の裁量を含め、既存制度の中で検討する余地があります」
「少なくとも、直ちに国外へ退去させなければならないという結論にはならないと考えます」
「では、日本で暮らすことはできる?」
「制度上の整理は必要ですが、その方向で検討することは可能です」
藤堂は小さく頷いた。
だが、民事局長は資料へ目を落としたままだった。
「問題は、その先です」
全員の視線が民事局長へ向く。
「先ほど総理から、日本国籍の取得まで検討するようにとのお話がありました」
「はい」
「それは、在留を認めることとは全く別の問題です」
民事局長が国籍法を開く。
「通常、外国人が帰化する場合、国籍法第5条に定められた条件を満たす必要があります」
「その1つが、引き続き5年以上、日本に住所を有することです」
「5年……」
神谷が小さく呟く。
「リツ氏がこの世界に来てから、まだ1か月も経っていません。当然、この条件を満たしません」
「特例はありませんか?」
藤堂が尋ねる。
「あります」
民事局長がページをめくる。
「日本で生まれた者、日本国民の配偶者、日本国民の子や養子などについては、条件を緩和する規定があります」
「しかし、現時点で確認できているリツ氏の身分関係では、いずれにも該当しません」
会議室が静かになる。
浅間が尋ねる。
「では、帰化はできない?」
「通常の帰化であれば、極めて困難です」
「……」
神谷は黙って資料を見つめた。
文字を追っても、法律の専門家ではない神谷にはほとんど分からない。
外務省国際法局長が口を開く。
「そもそも、その前段階にも問題があります」
「何でしょう」
「彼女の国籍です」
「ツクシノ側に、我々の国籍制度に相当するものが存在するのか。存在するとして、日本法上それをどのように扱うのか」
「現在の我々には、それを判断する材料がありません」
法務大臣が腕を組む。
「身分関係も同じです。氏名、生年月日、出生地、父母との関係。それらを日本の通常の書類によって証明することができない」
「……難しいですね」
浅間が呟く。
しばらく誰も話さなかった。
その時、出入国在留管理庁長官が口を開いた。
「総理」
「はい」
「そこまで日本国籍にこだわる必要があるのでしょうか」
神谷が顔を上げる。
「在留外国人として受け入れるのでは駄目なのでしょうか」
「在留資格について特別な事情を考慮し、日本で生活できる状態を整える。その方が現実的です」
「永続的な生活を望むのであれば、その後の状況に応じて改めて検討することもできます」
「……」
藤堂は答えなかった。
「外国人では駄目です」
神谷の声だった。
出席者の視線が、一斉に末席へ向く。
「神谷さん?」
「我々は彼女を、日本人と同じ処遇で預かる必要があります」
「ツクシノ側は、この日本を信じてリツさんを託そうとしているんです」
神谷は言葉を続ける。
「数年、日本に滞在させてほしいという話ではありません」
「彼女が望む限り、安心してこの国で暮らしていけるようにする」
「それが、私が引き受けた約束です」
会議室が再び静かになった。
民事局長が神谷を見る。
「神谷さん。お気持ちは分かります」
「しかし、日本に住むことを認めることと、日本国民として受け入れることは、法律上まったく意味が違います」
「はい」
「国籍は、政府の判断だけで便宜的に与えられるものではありません」
「……分かっています」
神谷は民事局長をまっすぐ見た。
「だから、ここへ来ました」
「……」
今度は民事局長が黙った。
藤堂が口を開く。
「他に方法はありませんか」
「……」
誰もすぐには答えなかった。
資料をめくる音だけが、会議室に響く。
法務大臣が民事局長を見る。
民事局長は首を横に振った。
内閣法制局長官も、手元の条文を確認している。
「現行法の範囲で、です」
藤堂がもう一度言った。
「法律を無視しろと言っているわけではありません」
「彼女を日本国民として受け入れる方法が、本当に1つもないのか。それを確認したいんです」
「……」
長い沈黙が続いた。
やがて、内閣法制局長官が顔を上げた。
「……法務大臣」
「何でしょう」
「国籍法第9条は?」
民事局長が顔を上げる。
「第9条……」
すぐに手元の国籍法をめくる。
そして、その指が止まった。
「……ありました」
法務大臣が尋ねる。
「どういう規定ですか?」
民事局長が条文を確認する。
「日本に特別の功労のある外国人については、第5条第1項の規定にかかわらず、帰化を許可することができるという規定です」
「つまり?」
「先ほど申し上げた、5年以上日本に住所を有することを含め、第5条第1項の通常の帰化条件によらずに許可できる可能性があります」
神谷が身を乗り出す。
「それなら――」
「ただし」
民事局長が神谷の言葉を遮った。
「条件があります」
「……条件?」
「法務大臣だけでは決められません」
民事局長は、開いた条文を見つめる。
「国会の承認が必要です――」
ラスボスが第二形態『国会』へ変化。
次回、決戦。




