第七十五話 リツの思い
2027年4月4日(日) 09:47
東京 官邸
総理執務室の扉が開いた。
クロフォードが足早に室内へ入ってくる。
その表情には、いつもの穏やかさはなかった。
「島が帰るとはどういうことですか、藤堂総理」
挨拶もそこそこに、クロフォードが問いかける。
「そのままの意味です」
藤堂は落ち着いた声で答えた。
「共同調査はどうするのですか?」
「調査は難しいでしょう」
「難しいでしょうって、いいんですか? あの島には我々にはないテクノロジーが詰まっているんですよ!」
「それを、みすみす手放すということですか!」
クロフォードの声が大きくなる。
藤堂は何も言わず、その言葉を聞いていた。
「……確かに、これまでになかった力を手に入れられるかもしれません」
少し間を置いて答える。
「ただ、それは我々には過ぎた力になる可能性もあります。それはアメリカがよく分かっているはずです」
「……」
クロフォードは黙った。
しばらく、2人の間に沈黙が流れる。
「ですから、このまま帰すのが一番と私は考えます」
「アメリカ政府は、簡単には納得しませんよ」
「承知しています」
藤堂は即答した。
クロフォードは、その表情をじっと見る。
「……藤堂総理、あなたは本当に、このまま帰すつもりなのですね」
「はい」
藤堂の答えは変わらなかった。
「……分かりました」
クロフォードはそれ以上何も言わなかった。
藤堂へ一礼すると、総理執務室を後にした。
扉が閉じる。
藤堂はしばらく、その扉を見つめていた。
◇
島内某所。
石造りの建物の一室。
扉の前に立ったナギが、軽くノックする。
『入れ』
扉の向こうからカガリの声が返ってきた。
『失礼します』
ナギは扉を開け、室内へ入った。
部屋の奥にいたカガリが顔を上げる。
『どうした、ナギ』
いつもと変わらない声で問いかける。
だが、ナギはすぐには答えなかった。
『リツのことで……』
その名前を聞き、カガリの表情がわずかに変わる。
『あやつのことか……』
『はい……姉の死から立ち直りかけていたのですが、また……』
ナギはそこで言葉を止めた。
最後まで聞かなくても、カガリには分かっていた。
『それは、わらわも気付いておった。どうする、ナギよ……』
カガリは腕を組み、少し考える。
ナギも黙ったまま立っていた。
やがて、何かを決めたように顔を上げる。
『こうしてはどうでしょう――』
◇
しばらくして、リツがカガリの前に立っていた。
呼び出された理由が分からないのか、少し不思議そうにカガリを見ている。
『リツ、すまぬな。急に』
『いえ、大丈夫です……』
気丈に答えるが、その声にいつもの元気はない。
カガリはそんなリツをしばらく見つめた。
『次、あやつらが来た時にここへ呼んでくれぬか』
リツが僅かに首を傾げる。
『ひよ姉たちをですか?』
『そうじゃ、ちょっと話があってな』
『分かりました』
理由を尋ねることなく、リツは頷いた。
『うむ、頼むのじゃ』
カガリはそれ以上、何も言わなかった。
◇
2027年4月5日(月) 10:12
カガリからの招待を受け、官邸の許可を得た神谷とひよりは、リツの案内で森の中の細い道を歩いていた。
島を外から見ると、その内部は濃い霧に覆われている。
だが、森の中は不思議なほど明るかった。
木々の隙間から陽の光が差し込み、足元まで届いている。
先頭を歩くリツは、迷う様子もなく小道を進んでいく。
その後ろを神谷が歩き、さらに後ろをひよりが続く。
ひよりは歩きながら、何度も周囲を見回していた。
日本側の人間が、初めて目にする島の内部だった。
30分ほど歩いただろうか。
前方に森の切れ間が見えた。
その向こうに、建物らしきものが見える。
さらに進むと、視界が一気に開けた。
森を抜ける。
「……大きい」
ひよりが思わず声を漏らした。
目の前に、巨大な建物がそびえていた。
石を積み上げて造られた、砦のような建物。
日本人の目から見れば、中世ヨーロッパの城塞を思わせる。
正面には、大きな門がある。
その前には、守衛と思われる2人が立っていた。
リツは2人に声をかけると、そのまま門をくぐっていく。
神谷とひよりも、その後に続いた。
門をくぐると、そこには多くの人の姿があった。
木刀を振り、訓練をしている者。
荷物を運んでいる者。
武具の手入れをしている者。
薪を積んでいる者。
休憩中なのだろうか、数人で雑談している者もいる。
その中の1人が、神谷たちに気づいた。
『おい、外の人間が来たぞ!』
その声に、周囲にいた者たちが一斉に振り返った。
興味深そうにこちらを見る者。
近くの者と何かを話しながら、神谷たちを指さす者。
何人かは、そのままこちらへ近づいてくる。
だが、その中から声が飛んだ。
『何しに来た!』
ひよりの足が、一瞬止まった。
男の顔には、怒りが浮かんでいる。
その理由は分かる。セオのことだろう。
その時。
『やめろ。こいつらが悪いわけじゃない』
男の声がした。
先ほど声を上げた男は口を閉ざす。
周囲からも、それ以上声が上がることはなかった。
男はひよりの前まで来ると、足を止めた。
『俺はトウヤ。セオとは同じ隊だった』
『……セオと?』
『あんたが、ひよりだろ?』
『……はい』
『こっちに来てから、セオはよくあんたのことを話していたよ』
『私のことを?』
『ああ』
その時、声が届く――。
『うるさいぞ、どうしたのじゃ』
その瞬間、その場にいた全員が声のした方を見て、背筋を伸ばした。
神谷とひよりもそちらを見る。
建物の奥から、カガリが歩いてくる。
リツが一歩前へ出た。
『大隊長、神谷とひよ姉を連れてきました』
『おお、すまぬな』
神谷がカガリへ向き直る。
「カガリ大隊長、本日はお招きありがとうございます」
『礼はいい、こっちで話すのじゃ』
カガリはリツを見る。
『リツ、おぬしは残れ』
『分かりました』
神谷とひよりは、カガリに連れられて1つの部屋へ通された。
中にはナギの姿もあった。
『神谷さん、ひよりさん。ようこそいらっしゃいました』
カガリはそのまま中央の机につき、その横にナギが立つ。
カガリにいつもの威勢はない。
神谷とひよりに目を向けると小さく息を吐いた。
『……おぬしらに相談なんじゃが』
『リツのことじゃ……』
『リツのこと?』
ひよりが首を傾げる。
『そうじゃ』
『単刀直入に聞く、リツを預かってもらうことは可能か?』
『えっ』
ひよりが驚く。
「どうしました、水城さん」
ひよりは神谷へ伝える。
「えっ、どういうことですか?」
ひよりから聞いた神谷も驚きの声を上げる。
『実はリツのやつが帰ると聞いた日から元気がないのじゃ』
「あ……」
神谷は今朝、会った時のリツを思い出す。
確かにいつもの様子ではなかった。
『おぬしらでリツを預かることは可能か?』
「リツさんはどのように?」
『あやつにはまだ聞いてはおらぬ』
『おぬしらの確認を先にと思ってな』
「……」
神谷は黙って考えこむ。
そして、ひよりを見る。
「水城さんは、どう思いますか?」
「私は……リツが望むなら、一緒にいたいです」
神谷は頷き、カガリへ向き直った。
「リツさんの思いを聞いてもいいですか?」
『あやつのか?』
「はい、お願いします」
『……分かった』
『ナギ、リツを呼んでくれ』
『分かりました』
◇
しばらくして、扉をノックする音が響いた。
『入れ』
カガリが答える。
扉が開き、リツが姿を見せた。
『何でしょう、大隊長』
リツは部屋に入り、カガリの前に立つ。
『すまぬなリツ、実はな――』
『おぬし日本に残らぬか?』
リツの動きが止まった。
『……』
カガリは、そんなリツの様子を見つめる。
『その、なんじゃ……ナギ、説明してくれ』
ナギはリツへ向き直り、話し始める。
『我々はまもなくツクシノへ戻ります』
リツの表情がこわばる。
『ただ、継続調査のため、人員を日本に残してはどうかという話が出まして』
『その役目を、リツ、あなたに任せてはどうかと大隊長が』
『えっ』
リツの表情が、驚きに変わった。
『あ……』
そして、その目から涙が溢れた。
『嫌じゃったか、リツ』
『あ、いえ、これは嫌じゃなくて、嬉しくて……』
リツは慌てて涙を拭う。
だが、拭っても、また涙が溢れてくる。
ひよりは何も言わず、その姿を見つめていた。
『なら、受けてくれるか』
『……はい』
リツはもう一度、涙を拭った。
まだ涙に濡れる目を擦り、姿勢を正す。
『その、お話』
『謹んで、お受けします!』
部屋に、元気なリツの声が響いた。
その声を聞いたひよりの表情が、ふっと緩む。
『という事じゃ。神谷、頼めるか』
ひよりが神谷へ訳す。
神谷はカガリを見る、そしてリツを見る。
先ほどまで涙を流していたリツが、まっすぐこちらを見ていた。
「はい。日本側との調整は、私が引き受けます」
「この神谷! 必ずこの話をまとめてみせます!」
次回ラスボス、国籍法。




