第七十一話 来日
2027年4月3日(土) 10:16
宿泊所。
「水城さん、今日はよろしくお願いします」
「はい。こちらこそお願いします」
ひよりは小さく頭を下げた。
◇
2027年4月3日(土) 10:44
大阪湾。
ひよりは目の前の船を見上げた。
「今日は大きな船ですね」
「お出迎えですから」
神谷が答える。
これまで島との往来に使っていた船とは違う。
今日、2人が乗るのは海上保安庁の巡視船だった。
船が岸を離れる。
ひよりは甲板から大阪の街を振り返った。
何度も島へ向かった。
最初は、何がいるのかさえ分からなかった。
そこでセオと出会い、リツと出会った。
そして今日――島の人が日本に降り立つ。
これまでとは違う。
自分が通訳しなければ、言葉は通じない。
そう考えた瞬間、身体が震えそうになる。
「わーーーー!」
突然の大声に、隣にいた神谷が驚いてひよりを見る。
「ど、どうしました、水城さん!」
「いやー、自分に気合いを入れようと思って」
「ぷっ、なんですかそれ」
神谷が笑う。
「こっちこそなんですか。バカにしてますね」
ひよりは不満そうな顔をする。
「いえ、水城さんが一緒で良かったです」
「うわ、そんな適当な言葉で誤魔化そうとする」
「いえ、本心ですよ――」
船は、もう間もなく到着する。
◇
巡視船が島の岸へ着く。
神谷とひよりは先に船を降り、島側の代表を待った。
しばらくして、こちらへ歩いてくる人影が見えた。
「リツ……」
先頭を歩いているのはリツだった。
いつもの笑顔はない。
どこか緊張した表情で、まっすぐこちらへ歩いてくる。
その後ろにはヤシロ。
そして、さらにその後ろに見慣れない青年がいた。
見たところ、20代半ばだろうか。
端正な顔立ちをした青年だ。
その後ろ――。
「……?」
一瞬、目の前の光景に思考が追いつかなかった。
10歳くらいの少女。
背中には、自分の身長ほどもある大剣を背負っている。
それだけでも十分に異様だった。
だが、ひよりが目を奪われたのはそこではない。
少女の身体には、何重にもロープが巻かれていた。
そして――そのロープを、前を歩く青年が引っ張っている。
リツが先にひよりの前までやってきた。
『こんにちは、リツ』
『ひより、こんにちは……』
リツはどこか落ち着かない様子で、後ろを気にしている。
『リツ、あれは――』
その時、後ろから声が届いた。
『ちゃんと歩いて下さい。大隊長、行きますよ』
『うるさい! なんで、わらわがこんな扱いを受ける!』
『それは自分の胸に聞いてください……』
『わらわの小さい胸には何も入っていないわ!』
『はい、はい。分かりました。行きますよ』
『お、おい、そんなに引っ張るな!』
神谷がひよりへ顔を寄せ、小声で尋ねる。
「どういう状況ですか?」
「私にも分かりません……」
ひよりも声を潜める。
「ただ、あの小さい子が大隊長みたいです」
「……」
神谷はロープで引っ張られている少女を見る。
「分かりました」
やがて、後ろの3人もひよりたちの前までやってきた。
「水城さん、お願いします」
ひよりが頷く。
「はじめまして。日本国外務省、神谷直人と申します」
神谷は頭を下げた。
ひよりがその言葉を伝えると、青年が一歩前へ出た。
『ツクシノ辺境方面軍、第三大隊、副長ナギです』
そう言って、ナギは腰の刀を前へ出した。
『こちらが大隊長のカガリです。事情がありまして、このような有り様で失礼します』
ロープで縛られたカガリがこちらを向く。
『わらわがカガリじゃ』
ひよりから訳を聞いた神谷は、もう一度頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「では、こちらが皆さまをお送りする船になります。ご乗船ください」
神谷が巡視船へ向いて案内する。
『これがこの世界の船か!』
カガリが声を上げると、突然、船へ向かって走り出した。
しかし次の瞬間、ナギの持つロープがぴんと張る。
『ぐえっ』
カガリの身体が止まった。
『はい、大隊長。船は逃げませんので、ゆっくり行きましょう』
ナギはそう言って、カガリを連れて船へ乗り込んでいく。
その後ろをヤシロが続く。
神谷の前を通り過ぎる際、ヤシロは小さく頭を下げた。
『すまねぇな』
それだけ言い残し、船へ向かう。
続いてリツ、ひより、神谷の順に乗り込んでいった。
◇
2027年4月3日(土) 11:44
大阪湾岸、港湾区域。
藤堂は巡視船の接岸地点から50mほど離れた場所に立っていた。
その隣には浅間。
周囲には警備にあたる大阪府警の警察官たちが配置され、一般人の姿はない。
昨夜0時から、この一帯への立ち入りは規制されていた。
「総理」
浅間が声をかける。
「船が出ました」
「はい」
藤堂にも見えていた。
島を離れた巡視船が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
船が大きく見えてきた。
藤堂の目には、船の乗組員のほかに神谷、水城、少女、若い青年、風格のある男が映る。
――あの少女が、セオ氏の妹だろうか。
どこか面影がある。
巡視船が接岸のため、ゆっくりと船体を横に向ける。
その時、藤堂の目に、ロープに縛られた小さな少女の姿が入った。
「……」
「総理、あれは……」
「……分かりません」
◇
巡視船が岸壁に横付けされ、乗組員がタラップを渡す。
『大隊長、着きましたよ』
『あー、分かった、分かった』
カガリが面倒くさそうに答える。
タラップに足をかけた、その時だった。
カガリの視線が、50mほど先に立つ藤堂の腰へ向く。
そこにある刀を見据えた。
『あいつか!』
そう言うか否や――。
ロープだけをその場に残し、カガリが飛び出した。
疾風のように藤堂へ向かって走り込む。
瞬く間に藤堂との距離を詰める。
『お前が一番――』
そう言うと、背中の大剣を両手で握り、地面を蹴った。
『偉い奴かー!!』
小さな身体が宙へ舞い、藤堂の頭めがけて、大剣を振り下ろす。
その瞬間――。
船にいたはずのナギが、藤堂の目の前に走り込む。
自分の刀を抜くと、そのまま大剣をいなす。
軌道を逸らされた大剣が、轟音とともに藤堂と浅間の間へ突き刺さった。
「…………」
リツがその光景を見て、満足そうに頷く。
『ちゃんと動かなかったな』
その隣では、ひよりがその場にへたり込んでいた。
『……こういうことだったの、リツ』




