第六十五話 ひよ姉
2027年3月30日(火) 08:21
宿泊所
ガチャ。
扉が開いた。
ひよりが、のそのそと部屋から出てきた。
髪は乱れ、目の下には濃い隈ができている。
そのまま共有スペースを歩き、神谷の前までやってくる。
神谷が顔を上げた。
「……終わりました」
「えっ?」
「終わりました!!」
突然、ひよりが両手を上げた。
「神谷さん、聞いて下さい! すごい言語なんです! 日本語と似ていると言いましたが、日本語より繊細で美しい言語なんです!」
「いや〜、私幸せでした〜」
「……水城さん」
「はい?」
「この3日間、寝ましたか?」
「1時間くらいは……」
「それは寝ていないと一緒です」
「まずは寝て下さい」
「……分かりました」
「先、シャワー浴びます」
ひよりはそう言うと、のそのそとシャワールームへ向かっていった。
神谷は、その後ろ姿を見送る。
ふと、開け放されたままの扉へ目を向けた。
神谷は部屋の中を覗く。
机の上には、大量のノートと紙が広がっていた。
書き込まれた紙は床にも散らばっている。
その間には、エナジードリンクの空き缶がいくつも転がっていた。
「……」
神谷は、しばらくその光景を見つめていた。
「……お疲れ様です」
◇
2027年3月30日(火) 14:08
宿泊所。
「おはようございます」
ひよりが共有スペースへ入ってきた。
朝とは違い、髪は整えられている。
「……もう大丈夫なんですか?」
「はい、寝ました!」
「5時間ですけどね」
「十分です」
神谷はひよりを見る。
「……大丈夫ですか?」
今度は、ひよりもすぐには答えなかった。
「……はい、大丈夫です」
「それじゃ行きますか」
「はい」
◇
2027年3月30日(火) 14:42
大阪湾。
船は、島へ向けて進んでいた。
ひよりは甲板から、前方に見える島を見つめている。
「水城さん」
「はい?」
ひよりが振り返った。
「先日、リツさんが使ったスプーンから採取した生体試料を、DNA解析に回しました」
「その結果が出ました」
「どうでした?」
「人間ということでした」
神谷は続ける。
「それと、セオさんとの血縁関係があるという結果も出ました」
「それじゃ、リツはセオの妹で――」
「間違いないと思います」
「分かりました」
ひよりは小さく頷き、もう一度島へ目を向けた。
少しの沈黙のあと、神谷が口を開く。
「それと今日は、これを用意してきました」
神谷が持っていた保冷バッグを開く。
ひよりが中を覗き込んだ。
「これは……」
「1個30万円です」
「おーー!」
◇
船は、いつもの場所で速度を落とした。
島へ向けて呼びかける。
返事はない。
そのまま待つこと、およそ15分。
森の向こうから、人影が現れた。
リツだった。
ひよりが身を乗り出す。
『リツ! ちゃんと覚えたよ』
『うん』
『そっち行っていい?』
『いい』
ひよりは神谷を振り返った。
「神谷さん、お願いします」
「分かりました」
船がゆっくりと岸へ寄っていく。
接岸すると、ひよりは保冷バッグを手に船を降りた。
リツがひよりを見る。
『本当に覚えたんだな』
『えへへ』
ひよりが嬉しそうに笑う。
リツの視線が、ひよりの持つ保冷バッグへ向いた。
『あ、そうだ。今日はこれを持ってきた』
ひよりはそれを足元に置き、蓋を開けた。
中には、白い生クリームに包まれたショートケーキが並んでいる。
その上には、見たこともないほど大きなイチゴが乗っていた。
『なんだ! これはー!』
『イチゴっていう果物が乗ったお菓子。美味しいよ』
『本当か!』
『一緒に食べよう』
『うん、食べる!』
二人は並んで座り、ショートケーキを前にした。
フォークで大きなイチゴを刺す。
そして、二人一緒に口へ運んだ。
『なんだこれー!』
二人の声が重なった。
『すごい甘くてみずみずしい! こんなイチゴ初めて!』
『私もこんな美味しい果物、初めて食べた』
リツが不思議そうにひよりを見る。
『ひよりが持ってきたのに、初めて食べたのか?』
『これはね、あそこの神谷さんが持ってきてくれたの』
ひよりが船の方を指さす。
リツもそちらへ目を向けた。
『かみや……』
『リツ、神谷さんもこっちに呼んだらダメかな?』
リツがひよりを見る。
『私が信頼している人で、リツにも紹介したい』
『……ひよりがそう言うなら』
『ありがとう』
リツは少し黙った。
『一つ、お願いがある』
『なに?』
『ひよりのこと、ひよ姉って呼んでいいか?』
ひよりの目が少し見開かれた。
そして、ひよりは笑顔で答える。
『もちろん!』




