第六十三話 新しい日常
2027年3月28日(日) 10:14
大阪へ向かう電車の中。
少女は窓の外を眺めていた。
隣には母親が座り、足元には大きなキャリーケースが置かれている。
「もうすぐ着くよ」
「うん」
短く答えて、少女はまた窓の外へ目を向けた。
車内には、同じように大きな荷物を持った人の姿がいくつもあった。
家族連れ。
スーツ姿の男性。
キャリーケースを足元に置き、スマートフォンを見ている若い女性。
大阪を離れていた人々が、少しずつ戻り始めていた。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「もう大丈夫なの?」
母親は少し考えた。
「うん。もう大丈夫だと思うよ」
「ほんと?」
「うん」
母親は窓の外を見る。
「やっと帰れるね」
「うん!」
少女は笑った。
電車は、そのまま大阪へ向かって走っていった。
◇
大阪市内のスーパー。
買い物かごを手にした女性が、店内を歩いていた。
水。
パン。
米。
カップ麺。
数日前には空になっていた棚に、商品が並んでいる。
女性は足を止め、棚を眺めた。
「……良かった」
水を1本手に取り、買い物かごへ入れる。
その横を、商品を積んだ台車が通り過ぎていった。
店内には買い物客の声が聞こえ、レジにはいつものように人が並んでいる。
数日前までの光景が、嘘だったかのようだった。
◇
商店街のコンビニ。
数日前には空いた場所が目立っていた棚に、商品が並んでいた。
レジに、パンとペットボトルの水、それに菓子が置かれる。
ピッ。
ピッ。
店員が顔を上げた。
客も店員を見る。
「あ……」
互いに顔を見て、思い出した。
客が笑う。
「不安ですか?」
店員も笑った。
「もう大丈夫です」
「私もです」
「はい」
◇
大阪の街にも、人が戻り始めていた。
閉まっていた店のシャッターが上がり、買い物へ向かう人々が歩道を行き交う。
部活動へ向かう制服姿の学生たちが、並んで歩いている。
道路には車が並び、信号が変わるたびに動き出す。
街頭の大型モニターでは、今日も島についてのニュースが流れていた。
足を止める者は、もうそれほど多くない。
画面を一度見上げ、そのまま通り過ぎていく。
大阪湾に島がある。
わずか9日前には存在しなかったものが、今もそこにある。
それでも、人々の生活は動き始めていた。
◇
大阪府咲洲庁舎。
庁舎をぐるりと囲うほどの長い列ができていた。
「何、この行列」
「展望台から島が見えるんだって」
「ああ、なるほど」
「すごくよく見えるらしいよ」
列は展望台へ向かう人々で、今も少しずつ伸び続けていた。
家族連れや若者。
双眼鏡を首から下げた男性。
スマートフォンを手に、列の長さを撮影している者もいる。
◇
展望台。
窓際には多くの人が集まっていた。
「あっ、見えた!」
「どこ?」
「ほら、あそこ」
指さした先。
大阪湾の海上に、島が見える。
「……思ってたより大きいね」
「スマホじゃ小さくしか撮れないな」
窓越しにスマートフォンを向ける者。
双眼鏡を覗く者。
子どもを抱き上げて見せる親。
誰もが、大阪湾に浮かぶ島を見つめていた。
数日前まで、人々はあの島が落ちてくることを恐れて大阪を離れた。
今、その島を見るために人々が列を作っている。
窓の向こう。
大阪湾に浮かぶ島は、今日も変わらずそこにあった。
◇
2027年3月28日(日) 18:00
総理官邸、記者会見室。
藤堂が演台の前に立っていた。
正面には、多くの記者が並んでいる。
藤堂は手元の資料へ目を落とし、口を開いた。
「まず、紋様消失後の大阪湾に出現した島について、現在までに確認されている状況をご報告します――」
藤堂は、今日までに確認された状況と、政府の対応について説明した。
そして、記者席へ目を向ける。
「次に、24日に発生した事件についてご報告します」
記者たちの視線が藤堂へ集まる。
「島へ武装した5人が侵入したことを確認しています」
「この事件により、島の関係者1名が死亡しました」
会見場がざわついた。
「亡くなられた方について、氏名などの詳細は公表を控えます」
ざわめきが残る中、藤堂は続けた。
「また、事件に関与したとみられる人物1名を確保しましたが、搬送先の病院で死亡しました」
記者たちの間から、再び声が上がる。
「死因については司法解剖を行い、現在も詳細な調査を続けています」
藤堂は記者席を見渡した。
「政府としては、この事件について引き続き捜査を継続し、事実関係の解明を進めてまいります」
藤堂は一礼した。
司会が質疑応答へ移ることを告げると、記者席から一斉に手が上がった。
最初に指名された記者が立ち上がる。
「総理、亡くなった島の関係者について、死因は分かっていますか?」
「銃撃を受け、それによって死亡したものとみています」
「亡くなった島の関係者は、侵入した5人によって殺害されたということでしょうか?」
「その可能性が高いとみていますが、現在捜査中です」
「使用された銃器については?」
「拳銃のようなものとみていますが、現在捜査中です」
「亡くなった方は男性ですか、女性ですか?」
「女性です」
会見場がざわついた。
別の記者が指名される。
「島へ侵入した5人のうち、1人を確保したとのことですが、残りの4人はどうなっているのでしょうか?」
「現時点で、所在および安否を確認できていません」
「それは、今も島に残っているということですか?」
「その点についても、確認できていません」
「確保された人物は、島に上陸したのでしょうか?」
「上陸したものと思われます」
「何の目的で島へ?」
「現在捜査中ですので、回答は控えます」
「確保された時点で意識はあったのでしょうか。また、本人から事情を聞くことはできたのでしょうか?」
「捜査中のため、回答は控えます」
「では、搬送先の病院で死亡した人物の死因については?」
「同じく捜査中のため、回答は控えます」
「その人物の死亡に、島が関わっている可能性はありますか?」
「その点についても、現在捜査中ですので回答は控えます」
次の記者が立ち上がった。
「今回の事件を受けて、島との関係に変化はありますか?」
「現在も、島との関係を築けるよう努力しています」
「島には、何人くらいの人がいるのでしょうか?」
「把握できていません」
別の場所から手が上がった。
「亡くなった女性について、日本政府との接触が今回の事件に関係した可能性はありますか?」
質問が終わると同時に、藤堂の声が響いた。
「ありません!」
一瞬、会見場が静かになる。
やがて、次の記者が指名された。
「東都新聞、相沢です」
相沢が立ち上がる。
「総理、亡くなった女性は、以前の会見で政府が接触していると説明された人物なのでしょうか」
「そうです」
相沢は小さく頷き、席へ戻った。
その後も、事件や島についていくつかの質問が続いた。
やがて、記者席から上がる手も少なくなっていく。
司会が会見を終えようとした、その時だった。
「総理、最後に一点よろしいでしょうか」
藤堂が記者を見る。
「以前、今回の事態について責任を取るとおっしゃっていましたが、それはいつですか?」
藤堂は少し間を置いた。
「……時期をみて判断します」
司会が会見の終了を告げた。
藤堂は記者席へ一礼すると、演台を離れた。
記者たちの声が飛び交う中、藤堂は会見場を後にした。




