第六十話 リツ
2027年3月26日(金) 06:18
宿泊所。
ひよりはベッドに腰掛けていた。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
机の上には、昨夜運ばれてきた食事がそのまま残っていた。
「……」
ひよりは胸元に手を伸ばした。
指先がペンダントに触れる。
その時、ドアをノックする音がした。
「水城さん」
神谷の声だった。
「……はい」
「起きてますか?」
「はい」
「少し、いいですか?」
ひよりは立ち上がり、ドアを開けた。
神谷が立っていた。
「おはようございます」
「……おはようございます」
神谷はひよりの顔を見る。
「水城さん。今日、少し出ませんか?」
「……どこにですか?」
「セオさんが見つかった場所です」
「……」
「花を持っていこうと思っています」
ひよりは俯いた。
胸元のペンダントを握る。
「……行きます」
◇
2027年3月26日(金) 07:42
大阪湾。
小型艇が、静かに海の上を進んでいた。
ひよりは甲板から海を見つめている。
神谷と接触チームのメンバーが、その後ろにいた。
やがて、小型艇の速度が落ちた。
「この辺りです」
神谷が言った。
ひよりは海面を見つめる。
あの日と変わらず、波が揺れていた。
神谷が花を手に取る。
海へ落とした。
他のメンバーも続く。
花が波に揺れながら、ゆっくりと離れていく。
最後に、ひよりが花を手に取った。
「……セオ」
両手を伸ばす。
花が海面へ落ちた。
ひよりは流れていく花を見つめていた。
「……」
やがて、小型艇が再び動き始める。
島の海岸線が近づいてくる。
「神谷さん!」
「はい」
「あそこ……」
神谷がひよりの視線を追う。
海岸に、人影が立っていた。
「……あの子」
2日前、四肢を失った男を連れて現れた少女だった。
「神谷さん、寄せてください」
「分かりました」
小型艇がゆっくりと海岸へ近づいていく。
少女は動かなかった。
ただ、船を見ている。
距離が縮まる。
ひよりが船首へ出た。
少女へ声をかけようとした。
その時、少女の視線が、ひよりの胸元で止まった。
「……?」
少女の表情が変わった。
『――!!』
「え?」
少女が地面を蹴った。
「水城さん!」
その身体が海岸から跳んだ。
一瞬だった。
少女は船へ飛び移ると、そのままひよりへ飛びかかった。
「きゃっ!」
ひよりの身体が甲板へ倒れる。
「水城さん!」
神谷たちが動く。
少女の手には、鞘から抜かれた刀が握られていた。
その切先が、ひよりの首筋へ向けられる。
『これは母様からの贈り物! 盗ったのか貴様!!』
「水城さん!」
「待ってください!」
「でも――」
「大丈夫です」
ひよりは胸元のペンダントを握った。
『これ……セオ、もらった』
『……セオ?』
『うん……セオ、もらった』
涙が頬を伝う。
『……お前、ひよりか?』
「……!」
『うん……うん……』
少女の手から、刀が下りた。
少女は黙って、ひよりに手を差し出した。
ひよりはその手を取り、立ち上がる。
『……ごめんなさい』
『なぜ、お前が謝る』
『セオ……死んだ』
『お前が殺したのか?』
ひよりは首を振った。
『だったらいい』
少女はひよりを見た。
『何か分かったか?』
ひよりは神谷を見る。
「神谷さん、セオのことについて何か分かりましたか?」
「はい」
神谷は、官邸からの報告を説明した。
ひよりも、分かる言葉をつなぎながら少女へ伝えていく。
『なら、あの5人なんだな?』
ひよりは頷いた。
『分かった』
少女は船縁へ足をかけた。
そのまま岸へ跳んだ。
「待って!」
少女が振り返る。
『わたし、ひより! あなたは?』
『私はリツ!』
『リツ! また、会いたい』
『……』
リツは少し考えた。
『プリン、持ってきてくれるか?』
『……!』
ひよりの表情が変わる。
『分かった!』
セオが亡くなってから、ひよりは初めて笑った。
◇
2027年3月26日(金) 12:17
大阪市内、病院。
ピー、ピー、ピー――
病室に、異変を知らせるアラームが鳴り響いた。
廊下にいた看護師が病室へ駆け込む。
「――ヒッ!」
足が止まった。
男の顔は白く凍りつき、髪には霜が張りついている。
顔も、首も、胸も――露出していた身体のすべてが氷に覆われていた
「先生!」
看護師が叫ぶ。
医師と別の看護師が駆け込んでくる。
「……!」
医師はすぐに男へ近づいた。
◇
2027年3月26日(金) 13:06
総理官邸、対策室。
「総理、病院へ搬送されていた男ですが、先ほど死亡が確認されました」
「……死んだ?」
「はい」
「何があったんですか?」
「全身が凍結した状態で、死亡が確認されました」
「……全身?」
「はい」
「司法解剖に回しますが、よろしいですか?」
「お願いします」
「それと、もう1件あります」
「何ですか?」
「接触チームから、用意してほしいものがあると連絡が入っています」
「なんですか?」
「……プリンです」




