第五十九話 そんな事のために
2027年3月24日(水) 22:27
大阪湾。
暗い海上を、小型ボートが進んでいた。
男は何度も後ろを振り返る。
島はすでに遠ざかり始めている。
周囲には、いくつもの船の灯りが見えていた。
「……くそ」
男は再び島を見る。
誰も戻ってこなかった。
何度呼びかけても、返事はない。
その時、暗い海面を強い光が照らした。
『そこの船、停止してください』
「……!」
男が振り返る。
海上保安庁の巡視艇だった。
『エンジンを停止してください』
男はしばらく動かなかった。
やがて速度を落とし、エンジンを停止した。
◇
2027年3月24日(水) 22:56
総理官邸、対策室。
「総理、海上保安庁から報告です」
藤堂が顔を上げる。
「島の沖合で、不審な小型ボートを発見。乗っていた外国人風の男1人を確保したとのことです」
「外国人?」
「はい。現在、身元を確認しています」
「島との関係は?」
「まだ分かっていません。ただ、立入禁止区域内にいたことから、先ほどの侵入者との関連を調べています」
「分かりました。船も詳しく調べてください」
「はい」
職員が続ける。
「それと、病院へ搬送された男についてですが、現在、救命処置を受けているとのことです」
「……そうですか」
「ただ、四肢の切断面は現在も凍結したままとのことです」
「凍結したまま?」
「はい。病院でも原因は分かっていません」
「意識は?」
「まだ戻っていません」
「分かりました。治療を最優先してください。意識が戻っても、医師の許可が出るまでは事情聴取を行わないように」
「承知しました」
藤堂は室内を見渡した。
「皆さん」
職員たちが藤堂を見る。
「長い夜になりますが、まだ何も分かっていません」
「何が起きたのか、必ず明らかにしましょう」
「よろしくお願いします」
◇
2027年3月25日(木) 08:12
宿泊所。
共有スペースのテレビには、官房長官の会見が映し出されていた。
『昨夜、島側から外国人とみられる男性1人が日本側へ引き渡され、現在、医療機関で治療を受けています』
『また、島周辺の立入禁止区域内で、小型船舶に乗っていた外国人とみられる男性1人を、海上保安庁が確保しています』
記者から次々と質問が飛ぶ。
『昨夜、島周辺の海上で女性の遺体が発見されたという情報がありますが』
『女性1人の遺体が発見されたことは事実です。詳細については現在確認中です』
神谷はソファに座り、黙ってテレビを見ていた。
テーブルには、手をつけていない朝食とコーヒーが置かれている。
「水城さんは?」
向かいにいた職員が答える。
「まだ部屋です」
「……そうですか」
神谷はテレビへ視線を戻した。
昨夜から、ほとんど眠っていない。
共有スペースには接触チームのメンバーもいたが、誰も口を開かなかった。
◇
2027年3月25日(木) 09:37
大阪府警。
小さな取調室に、男が座っていた。
昨夜、島周辺の海上で確保された男だ。
向かいには捜査員が2人。
通訳を介して事情聴取が始まっていた。
「何のために島へ来た?」
「調査です」
「何を調べるために?」
「島の周辺です。写真や映像を撮って、データを持ち帰る仕事でした」
「誰から依頼された?」
「会社です」
「会社名は?」
男は会社の名前を答えた。
捜査員の1人が書き留める。
「島へ上陸する予定だった?」
「違います」
「では、島の近くで何があった?」
男は少し俯いた。
「……島の中のデータも取ろうって、仲間が言い出したんです。金になるからって」
「あなたは?」
「俺は帰ろうって言いました」
「なぜ?」
「日本政府もまだ上陸してないって聞いてたし……危ないと思ったから」
「それでも仲間は上陸した?」
「……はい」
「何人?」
「5人です」
「あなたは船に残った?」
「はい」
「その後、仲間と連絡は?」
「ありません」
「一度も?」
「はい。何度も呼びました。でも、誰も返事をしなくて……」
男は落ち着かない様子で指を組み直した。
「それで逃げた?」
「……はい」
「なぜ逃げた?」
「誰も戻ってこないし……周りに船が増えてきて……」
男は俯いた。
「怖くなりました」
捜査員は男をしばらく見つめた。
「仲間は武器を持っていた?」
「……はい」
「何を?」
「拳銃です」
「あなたも?」
「持っていました」
「その拳銃は、何のために?」
「護身用です」
捜査員が手元の資料へ目を落とす。
「島の人間と接触する予定は?」
「なかった」
「島の中に何があるか、事前に知っていた?」
「知らなかった」
「島について、依頼主から何か聞いていた?」
「何も。周辺のデータを取ってこいって、それだけです」
捜査員はペンを置いた。
男は椅子に座ったまま、俯いていた。
◇
2027年3月25日(木) 11:48
大阪市内、病院。
ベッドの上で、男がゆっくりと目を開いた。
白い天井が視界に入る。
規則的な電子音が聞こえていた。
傍らにいた看護師が、その様子に気づく。
「先生」
医師がすぐに男のそばへ寄った。
瞳孔を確認する。
男の視線が医師へ向いた。
医師は英語で問いかけた。
「私の声が聞こえますか?」
男がわずかに頷いた。
「私の言っていることが分かりますか?」
もう一度、頷く。
医師はモニターへ目を向けた。
四肢の切断面は、依然として凍結したままだった。
医師は看護師へ顔を向けた。
「警察に連絡してください」
「はい」
◇
2027年3月25日(木) 14:16
大阪市内、病院。
ベッドの傍らに、捜査員が2人座っていた。
医師から許可された時間は、10分。
通訳を介し、事情聴取が始まった。
「島で何があった?」
男は天井を見つめたまま、しばらく答えなかった。
「……分からない」
「覚えていることだけでいい」
「仲間が……消えていった」
「森の中だ……気づいたら、後ろにいた奴がいなくなってた……」
男の呼吸が少しずつ浅くなる。
「……女がいた」
「若い女だ……」
そこで男は黙り込んだ。
何かを思い出すように、ぼんやりと天井を見つめる。
「……何か、言ってたな……」
「何を言ってるのか……分からなかった」
「ただ、日本語だったと思う」
捜査員が男を見つめる。
「その女を撃ったのか?」
「……分からない」
「俺じゃない……」
「撃ったのか?」
「……分からない!」
男の呼吸が荒くなる。
「ここまでにしてください」
そばにいた医師が声をかけた。
捜査員は男を見つめたあと、静かに立ち上がった。
◇
2027年3月25日(木) 15:08
総理官邸、対策室。
藤堂は、警察庁からの報告を聞いていた。
「以上が、現時点で2人から得られた証言です」
「……」
藤堂は机の上で両手を組んだまま、しばらく動かなかった。
「島への上陸は、最初から計画されていたものではないんですね」
「船に残っていた男は、そう話しています」
「理由は……金になると思ったから」
「はい」
「……そんな事のために」
誰も答えなかった。
藤堂は小さく息を吐いた。
「それで、病院の男が話していた女性ですが」
「はい」
「日本語で何かを話していた、と言ったんですね?」
「はい。内容までは理解できなかったそうです」
浅間が口を開く。
「昨夜、水城さんが島側の少女から聞き取った内容では、セオ氏は最後まで刀を抜かなかったとのことです」
「……なぜ……」
「……」
やがて藤堂は顔を上げた。
「依頼した会社について、徹底的に調べてください」
「承知しました」
「証言だけで結論を出さず、船や所持品、通信記録もすべて確認してください」
「はい」
「お願いします」




