第五十一話 セオ
2027年3月20日(土) 10:58
「セオ!」
ひよりがもう一度、その名を口にする。
女性が頷いた。
そして、今度はひよりを指さす。
「ひ……よ……り」
「そう!」
ひよりは嬉しそうに、大きく自分を指さした。
「ひより!」
今度は女性を指さす。
「セオ!」
セオは笑顔で頷いた。
初めて、互いの名前が通じた。
◇
2027年3月20日(土) 11:21
島を離れた巡視艇は、ゆっくりと大阪湾を進んでいた。
ひよりはまだ興奮が冷めない様子で、島の方を何度も振り返っている。
「名前が分かりました」
「すごいですね、水城さん」
神谷が感心したように言った。
「私じゃ、こんなに簡単にはいかないですよ」
「えへへ。誰かと仲良くなるのは得意なんです」
ひよりは少し得意げに笑った。
「それより、今日も分かったことがありました」
「ええ。あのプリンを食べる時の仕草。あれ、『いただきます』と『ごちそうさま』をしていましたよね」
「それだけじゃありません。私たちの真似をした可能性はありますが、スプーンの使い方に迷う様子はありませんでした」
ひよりは指を1本立てる。
「それに、食べる時の姿勢。綺麗な正座でした。食前と食後には手を合わせている。あれだけ定型化された食事の作法があるなら、生活様式や社会的な慣習も、ある程度確立されていると考えていいと思います」
「なるほど。原始人じゃないということですね」
「また、そんなこと言う」
ひよりが呆れたように神谷を見る。
「冗談ですよ」
神谷は笑いながら、水上ドローンへ目を向けた。
収納部は、セオが使ったガラスの容器と陶製のスプーンを収めたまま閉じられている。
「検査に使える試料が残っているといいですね」
「とりあえず、作戦は成功。名前まで伝え合えたということで」
神谷が片手を上げる。
ひよりも笑って手を上げた。
パンッ、と乾いた音が船上に響いた。
◇
2027年3月20日(土) 11:24
官邸対策室
大型モニターには、巡視艇から送られてくる映像と、水上ドローンに搭載されたカメラの映像が並んでいた。
画面の中では、神谷とひよりがハイタッチを交わしている。
「使用済みの容器とスプーン、回収成功!」
職員の声が上がった。
室内の空気がわずかに緩む。
「すぐに解析を」
藤堂が言った。
「京都大学に協力を要請しています。港で検体を密封・保全したうえですぐに搬送します」
「お願いします」
藤堂は再びモニターへ目を向けた。
そこには、海岸に立つ女性の姿が映っている。
「……セオか」
浅間が口を開いた。
「まだ、対象の名前と決まったわけではありません」
「そうですね」
藤堂は少し考える。
「ですが、いつまでも『対象』では不便でしょう。ひとまず呼称を『セオ』としましょう」
「分かりました」
藤堂はモニターに映るセオをしばらく見つめたあと、官房長官へ顔を向けた。
「官房長官。今日の午後、リード大統領との会談を用意してください」
「分かりました」
◇
2027年3月20日(土) 14:12
官邸
藤堂の前には、アメリカ大統領との専用回線がつながっていた。
『まずは、大きな被害がなかったことを喜びたい』
リード大統領の声が響く。
「ありがとうございます。島の出現による負傷者は十数名。いずれも軽傷です。港湾施設や船舶にも一部被害が出ましたが、幸い軽微なもので済みました」
『それは何よりだ』
藤堂は手元の資料へ目を落とす。
「島は、およそ2\.5km四方。現在のところ、形状に大きな変化は確認されていません。ただ、中央部には濃い霧がかかっており、内部の詳細な観測はできていません」
『霧か』
「はい」
『それで、島そのものについてはどこまで調べた?』
「現在も周辺から調査を続けています」
『なぜ、すぐに上陸しない?』
藤堂は一瞬黙った。
「島で、知的生命体の存在を確認しました」
『……何?』
リードの声色が変わった。
『エイリアンか?』
「いえ。見た目は、人間です」
『……』
しばらく沈黙が続いた。
『人間……なのか?』
「まだ分かりません」
『相手はこちらに気づいているのか?』
「はい」
『なら、最初の接触は日米共同で――』
「いえ」
藤堂が言葉を遮った。
「現在、我が国の特別チームが意思疎通を図るため、接触を続けています」
『……何?』
『単独で接触を進めたのか!』
リードの声が強くなった。
「日本国内で起きた事象です。まずは我が国で対応するのが筋でしょう」
藤堂は冷静に答える。
『……』
沈黙が落ちる。
リードが低い声で答えた。
『……分かった。ただし、今後の情報は逐次共有してもらいたい』
「もちろんです」
『後日特使を送る。この先は、日米共同で進めたい』
「ありがとうございます。協力に感謝します」
『……』
「それでは」
通話が切れた。
◇
リードは乱暴に受話器を置いた。
「くそっ……」




