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【完結】『彼方と日常の境界、そのリアル』 ―ある日、大阪上空に未知の紋様が現れたら、現実社会はどう動く?―  作者: そらと ソラ
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第五十話 プリン


2027年3月20日(土) 09:16


 島の対岸に設けられた一時隔離施設。

 共有スペースのテーブルには、20個のプリンが並べられていた。

 どれも小さなガラス製の容器に入れられ、その横には陶製のスプーンが用意されている。


「昨日言ってたプリン、用意しましたよ」


 神谷が言った。


「これを持っていきます」


 ひよりは並んだプリンを覗き込む。


「味見してもいいですか?」

「大丈夫です。ただし1個だけにしてくださいね」


 ひよりは1個手に取ると、蓋を開けた。


「いただきま〜す」


 陶製のスプーンでひとすくいし、そのまま口へ運ぶ。


「…………」

「どうしました?」

「な、何ですかこれ! めちゃくちゃ美味しいですよ!」


 神谷が小さく笑う。


「そりゃ、国の威信をかけて作ったプリンですから」

「国の威信って……そんな大げさな」

「試作と検査まで全部ひっくるめると、1個50万円になったそうです」

「……え」


 ひよりの動きが止まった。


「50万円」


 神谷がもう一度言う。

 ひよりは手元のプリンを見た。


「これが、50万えん……」


    ◇


2027年3月20日(土) 10:18


 神谷とひよりは、再び島へ向かう巡視艇に乗っていた。

 後部甲板には、前回までなかったものが置かれている。

 全長1mの、低い船体をした小型の水上ドローン。

 上部には蓋の付いた収納部が設けられ、小型のカメラも取り付けられている。


「これが昨日言ってた水上ドローンですか?」

「そうです。とりあえず前回と同じ50mまで。そこから先は、こいつに行ってもらいます」


 神谷が船体を軽く叩いた。


「プリンを載せて島まで運ぶ。向こうが警戒するようなら、その場で止めて引き返します」

「なるほど」


 ひよりは水上ドローンを覗き込んだ。


「でも、あの子も美味しいって思ってくれるといいですね」

「まず、食べ物だって分かってくれるかどうかですけどね」


 神谷は遠くに見え始めた島へ目を向けた。


    ◇


2027年3月20日(土) 10:46


「島まで、およそ100mです」

「ここで一度止めましょう」

「了解」


 巡視艇の速度が落ち、やがて停止する。

 前回と同じ海岸。

 人影はない。

 神谷は拡声器を手に取った。


『こんにちはー! 前回伺った2人です! いらっしゃいますか!』


 声が海面を越え、森へと届く。

 しばらく待つ。

 やがて木々が揺れた。


「あ、来ました!」


 ひよりが身を乗り出す。

 前回と同じ女性が森から姿を現した。

 海岸まで歩いてくると、巡視艇を見つめる。

 少なくとも、怒っているようには見えなかった。

 神谷は拡声器を口元へ運ぶ。


『前回はすいませんでした! 近づきすぎました!』


 そう言って、大きく頭を下げた。

 女性は黙って神谷を見ている。


「……まあ、通じてないでしょうけど」

「気持ちは大事です」

「ですよね」


 神谷は顔を上げた。


『じゃあ、前回と同じところまで行きますねー!』


 巡視艇がゆっくりと前へ進み始めた。


 90m。


 80m。


 女性に変化はない。


 70m。


 60m。


 50m。


「ここで止めてください」


「了解」


 巡視艇が停止する。

 女性は前回と同じ場所に立ったまま、こちらを見ている。

 神谷は声を張った。


「前回は本当にすいませんでした!」


 再び頭を下げる。


「なので今日は、お詫びにお土産を持ってきました!」


 神谷が横を見る。


「水城さん」

「はい!」


 ひよりが前へ出る。

 手には、小さなガラスの容器があった。


「これはプリンと言います!」


 女性から見えるように掲げる。


「プリン!」

「――――」


 女性が何かを言った。

 やはり意味は分からない。

 ひよりは蓋を開けた。

 スプーンでひとすくいし、そのまま口へ運ぶ。

 パクッ。


「ん〜、美味しい!」


 満面の笑顔を見せる。

 女性はじっとひよりを見ていた。


「神谷さんも食べて!」

「え、私もですか?」

「食べ物だって分かってもらわないと」

「あなたが今食べたじゃないですか」

「2人で食べた方が伝わります!」

「……そういうものですかね」


 神谷もプリンを1個取り出した。

 一口すくい、口へ運ぶ。

 そして女性へ向かって、ぎこちなく笑う。


「……美味しいです」


「神谷さん、笑顔が下手です」

「ほっといてください」


 女性は、そんな2人を興味深そうに見つめていた。

 ひよりは新しいプリンを1個手に取る。


「食べますか?」


 女性へ差し出すように腕を突き出す。

 女性の視線がプリンへ向く。

 そして、再びひよりを見る。

 その表情が、わずかに変わった。

 期待している。

 少なくとも、ひよりにはそう見えた。

 ひよりと神谷の視線が合う。

 ひよりが小さく頷いた。


「それじゃ、今からそっちに送りますね」


 水上ドローンの収納部を開き、用意されたプリンと滅菌済みの陶製スプーンを入れる。

 蓋が閉じられた。

 乗組員が水上ドローンを海面へ下ろす。


「ゆっくりお願いします」


 神谷の言葉とともに、水上ドローンが動き始める。


 海面を小さく波立たせながら、島へ向かっていく。


 40m。


 女性は黙って見ている。


 前回のように拒む様子はない。


 30m。


 表情は変わらない。


 20m。


 10m。


 やがて水上ドローンは浅瀬へ入った。

 女性はしばらくそれを見つめていたが、水際まで歩み寄る。

 そして水上ドローンへ手を伸ばし、ゆっくりと陸地へ引き上げた。


「着いた……」


 ひよりが小さく呟く。

 神谷は目を離さない。


「今です。蓋を開けてください」


 収納部の蓋がゆっくりと開いていく。

 中から現れたプリンを、女性が覗き込んだ。

 しばらく見つめる。

 やがて手を伸ばし、ガラスの容器を持ち上げた。

 側面を見る。

 底を見る。

 中のプリンを見る。

 それから顔へ近づけ、匂いを嗅いだ。


 そして――


 プリンを水上ドローンへ戻した。


「駄目だったか」

「いえ、まだです」


 女性はその場を離れなかった。

 ゆっくりと腰を下ろす。


 ――正座だった。


 神谷とひよりが、思わずその姿を見つめる。

 女性は胸の前で両手を合わせた。

 その口元が、わずかに動く。

 声までは届かない。

 だが、その仕草が何を意味するのかは、なんとなく分かった。

 女性は再びプリンを手に取った。

 陶製のスプーンを持ち、ひとすくいする。

 口へ運ぶ。

 その動きが止まった。


「……」


 神谷もひよりも黙って見つめる。


 もう一口。


 今度は先ほどより早い。


 そして、もう一口。


 気づけば、スプーンを運ぶ手が止まらなくなっていた。

 ひよりの顔に笑みが広がる。


「食べてくれましたね」

「食べてくれましたね」


 神谷が頷いた。

 やがて、プリンはきれいになくなった。

 女性は空になったガラスの容器とスプーンを水上ドローンへ戻す。

 そして、もう一度両手を合わせた。


「今です。蓋を閉めてください」


 収納部の蓋が閉じる。

 女性は水上ドローンを両手で持ち上げ、水際まで運んだ。

 そっと海へ戻す。


「ゆっくりこちらへ」


 水上ドローンが方向を変えた。

 10m。

 20m。

 30m。

 やがて巡視艇まで戻ってくる。

 乗組員が水上ドローンを引き上げた。

 神谷は海岸に立つ女性へ向き直る。


「喜んでいただいたようで良かったです!」


「――――」


 女性が何かを返す。

 やはり意味は分からない。


「それじゃ、今日はこれで――」



「神谷さん」



 ひよりが遮った。


「もう1つだけ、試していいですか?」


「何です?」


「名前です」


 ひよりは女性からよく見える位置へ立った。

 自分の胸を指さす。


「ひ・よ・り」


 女性がじっとひよりを見る。

 今度は神谷を指さす。


「か・み・や」


 もう一度、自分を指さす。


「ひ・よ・り」


 女性の視線が、神谷からひよりへ移る。

 しばらく2人を見つめたあと――

 女性は、自分の胸元に手を添えた。


「セオ」


 ひよりが目を見開く。


「……セオ?」


 女性が、微かに頷いた。

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