第四十九話 次の一手
2027年3月19日(金) 08:42
島の対岸に設けられた一時隔離施設。
昨日、島への接触に参加した者たちは、感染症などの可能性を考慮し、一定期間ここで生活することになっていた。
神谷が共有スペースへ入ると、テーブルに突っ伏しているひよりの姿があった。
「おはようございます」
「……おはようございます」
返ってきた声に、いつもの勢いがない。
神谷はひよりの顔を覗き込んだ。
「水城さん、寝てないんですか?」
「少しは寝ました」
「何時間?」
「……」
「寝てないんですね」
ひよりがゆっくりと顔を上げる。
「昨日録音した、あの子の言葉を一晩中分析してたんです」
「分かったんですか?」
「全然」
即答だった。
「何度聞いても、知っている言語との共通点が見つかりません。単語の区切りすら、まだ分からないです」
「一晩やって?」
「一晩やって」
神谷は向かいの椅子に腰を下ろした。
昨日の接触については、映像とともに官邸へ報告されている。
政府は接触を継続する方針を決定したが、次に何を試みるか、その提案は神谷たちに委ねられていた。
神谷は椅子の背にもたれた。
「で、今日はどうします? 昨日、思いっきり警戒されちゃいましたけど」
「大丈夫です」
「……その大丈夫、昨日も聞いた気がするんですけど」
「今日は大丈夫です」
「何か考えが?」
「実は、秘密兵器を持ってきました」
「秘密兵器?」
ひよりが、ひょいと差し出す。
その手には、プリンが乗っていた。
「……プリン?」
「プリンです」
「これ、どうするんです?」
「食べてもらいます」
「いやいや。島にこっちの食べ物を持ち込むのは、さすがにまずいでしょ」
「絶対いけます!」
「どこから来るんですか、その自信」
「女の子は甘いものが好きなんです」
「……それ、民族言語学者が言っていいんですか?」
「美味しいものに文化の壁はありません」
「あると思いますけどねえ……」
神谷は呆れたようにプリンを見ていた。
だが、ふとその目が止まる。
「……待って」
「はい?」
「これ、あの子が食べたら、容器とスプーンが残りますよね」
「残りますけど」
「それ、回収できたら……唾液が付いてるんじゃないですか?」
ひよりが目を瞬いた。
「あ……」
「DNA、採れるかも」
2人の間から、先ほどまでの軽い空気が消えた。
ひよりが手元のプリンを見る。
「可能性はあると思います」
「ですよね」
神谷は椅子に座り直した。
相手が人間なのか。
地球上の生物と同じ遺伝機構を持っているのか。
外見だけでは決して分からない。
もし生体試料を手に入れることができれば、その答えに近づける可能性がある。
「……これ、俺たちで決めていい話じゃないですね」
「ですね」
「官邸に上げましょう」
◇
2027年3月19日(金) 09:27
総理官邸。
官邸対策室では、神谷から上げられた提案について協議が始まっていた。
「食品を渡す、ですか」
藤堂が確認する。
「はい。水城さんからの提案です。当初は友好的な意思を示すためのものだったようですが、神谷くんから、使用後の容器やスプーンを回収できれば生体試料を得られる可能性があるとの意見が出ています」
「唾液ですか」
「はい。付着した細胞が得られれば、DNAの解析を試みることができます」
室内の空気が変わった。
「それは大きいですね」
1人が呟く。
「待ってください」
別の出席者が口を開いた。
「相手の生理機構すら分かっていないんですよ。こちらの食品を口にして、どのような影響が出るか予測できません」
「しかし、強制的に食べさせるわけではありません」
「問題はそこではありません。乳、卵、糖類。地球人にとって一般的な食品でも、相手にとって安全だという保証はない」
「それを言えば、どんな食品も渡せません」
「だから渡すべきではないと言っているんです」
別の声が続く。
「ですが、生体試料を非侵襲的に得られる可能性があります。現在、我々には相手の生態についてほとんど情報がありません」
「ですが、DNAを解析することについて、相手の同意は得られません」
「それは事実です。しかし、現状ではその意思を確認する手段がありません」
意見が割れる。
藤堂は黙って、そのやり取りを聞いていた。
「もう1つ問題があります」
浅間が口を開いた。
「仮に食品を渡すとしても、昨日の接触では約30mまで近づいた時点で、相手が刀に手をかけています」
「……直接渡すのは難しいですね」
「こちらから接近すれば、再び警戒させる可能性があります」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、1人が口を開く。
「小型の水上ドローンを使ってはどうでしょう」
「水上ドローン?」
「遠隔操作できる小型の船です。巡視艇は昨日と同じ50m付近で停止する。そこから食品を載せた水上ドローンだけを海岸へ向かわせます」
「相手が警戒した場合は?」
「その場で停止させ、すぐに戻します」
藤堂が尋ねる。
「容器の回収もできますか?」
「相手が食べた後、容器を水上ドローンに残した場合は、そのまま回収できます」
「持っていった場合は?」
「諦めます。こちらから回収に近づくことはしません」
藤堂は腕を組み、しばらく考えた。
「食品そのものの安全性は?」
「保証はできません」
出席者の1人が答える。
「相手の生理機構が分からない以上、絶対に安全な食品を用意することは不可能です」
「では、可能な限り危険性を下げることは?」
「原材料を限定し、添加物などを極力使用せず、製造工程まで管理すれば、少なくとも何を摂取したのかは正確に把握できます」
藤堂は浅間を見る。
「厚労省と農水省に検討させてください」
「承知しました」
藤堂は室内を見渡した。
「……許可しましょう」
何人かが藤堂を見る。
「ただし、条件を付けます」
藤堂は続けた。
「食べるかどうかは、相手自身の判断に委ねること。無理に勧めない。水上ドローンを警戒する様子があれば、直ちに引き返させる」
「はい」
「そして容器は、相手が自ら水上ドローンに残した場合に限り回収を認めます。こちらから返却を求めるような行動はしないでください」
「承知しました」
「容器とスプーンは事前に滅菌し、準備と回収の際には、他の人間の細胞が付着しないよう徹底してください」
藤堂は一度言葉を切った。
「その条件で、2度目の接触を進めましょう」
こうして、日本政府による2度目の接触に向けた準備が始まった。
その中心に据えられたのは――
1個のプリンだった。




