第四十八話 意思疎通
2027年3月18日(木) 11:07
「ストップ!」
神谷の声が飛んだ。
巡視艇が停止する。
神谷はすぐに両手を上げ、海岸に立つ女性へ大きく振った。
「す、すいません! これ以上そちらに近づきません!」
当然、言葉が通じているとは思っていない。
それでも頭を下げる。
「少し離れてください」
「了解」
巡視艇がゆっくりと後退を始めた。
35m。
40m。
女性は動かない。
その手は、まだ刀にかかったままだ。
さらに距離が開いていく。
50m。
女性の手が、ゆっくりと刀から離れた。
「……ふぅ」
神谷が小さく息を吐く。
ひよりも隣で、その様子をじっと見ていた。
「やっぱり、近づきすぎたみたいですね」
「……ですね」
「俺も止めるべきでしたけど……水城さん」
「はい」
「さっき、大丈夫って言いましたよね?」
「……言いました」
「寄りましょうとも」
「……言いました」
「危なかったじゃないですか」
「すみません……」
ひよりが小さく頭を下げる。
神谷はもう一度、海岸を見る。
女性はこちらを見ている。
だが、先ほどまでの険しい表情はすでに和らいでいた。
「今日はここまでにしましょう」
「はい」
神谷は女性に向かって大きく手を振った。
「今日はありがとうございました! また来ます!」
女性は神谷を見つめている。
言葉の意味が伝わったかは分からない。
神谷はもう一度頭を下げた。
「戻りましょう」
「了解」
巡視艇がゆっくりと島から離れ始めた。
海岸に立つ女性の姿が、次第に小さくなっていく。
やがて、その姿は森の木々に紛れて見えなくなった。
◇
帰路
神谷は船尾から遠ざかっていく島を眺めていた。
「結局、何も話せませんでしたね」
「そうでもないですよ」
隣に立つひよりが答えた。
「何か分かったんですか?」
「いくつか」
先ほどまでしょんぼりしていたのが嘘のように、ひよりの表情が変わる。
「まず、あの刀」
「刀?」
「昨日の映像だけでは、武器なのか、装飾品なのか、それとも何か別の意味を持つものなのか判断できませんでした」
「今日は違う?」
「はい。私たちが近づいた時、明らかに使えるように手をかけた」
ひよりは島を振り返る。
「あれは武器です」
神谷も遠ざかる島を見る。
「……やっぱりそうなりますか」
「ただ、もっと重要なのは、刀を抜かなかったことだと思います」
「どういうことです?」
「50mでは普通に私たちとやり取りをしようとしていた。40mくらいから、少し慌てて何かを伝えようとしていた。それでも私たちが近づいたから、30mで刀に手をかけた」
「……」
「でも、抜かなかった。そして私たちが離れたら、刀から手を放した」
神谷は少し考える。
「警告だった?」
「そう考えるのが自然だと思います」
「なるほど」
「それに……」
ひよりが少し考え込む。
「彼女は、ちゃんと順番を踏んでいるように見えました」
「順番?」
「最初から武器を使おうとはしなかった。まず言葉で私たちに何かを伝えようとした。それで駄目だったから、次に刀に手をかけた」
ひよりは続ける。
「もちろん、まだ彼女1人しか見ていません。彼女個人の判断なのか、あの人たちの社会にそういう決まりがあるのかは分かりません」
「30mという距離にも意味があるかもしれない?」
「それもまだ分かりません。単純に、あの時点で彼女が危険を感じただけかもしれない」
神谷が頷く。
「でも、1つだけ言えると思います」
「何です?」
「彼女も、私たちに意思を伝えようとしていました」
ひよりは遠ざかる島を見つめた。
「言葉が通じないから、話ができないだけです」
「……」
「話ができない相手じゃない」
神谷はしばらく黙っていた。
「言葉さえ何とかなれば、ですか」
「はい」
ひよりが頷いた。
「それと、身につけていた物も気になります」
「服と刀ですか?」
「はい。刀や装飾品らしきものを身につけ、衣服も整った作りに見えました。少なくとも、一定の加工技術と、それを支える社会があることは予想できます」
「原始的な生活をしているわけではなさそうだと」
「そう思います」
ひよりは少し考えた。
「あと、私たちが近づいた時、彼女が手をかけたのは刀でした」
「銃じゃなかった」
「はい。もちろん、あの人が持っていなかっただけかもしれません。これだけで断定はできませんけど――」
ひよりは遠ざかる島を見る。
「少なくとも、私たちが近づくことに危険を感じた時、真っ先に頼った武器が刀でした」
神谷は黙って、ひよりの言葉を聞いている。
「それを考えると、私たちのいう近代兵器は一般的ではない可能性があります」
「なるほど……」
神谷はもう一度、島を振り返った。
言葉は通じない。
どこから来たのかも分からない。
何者なのかも分からない。
それでも、昨日まで何一つ分からなかった相手の輪郭が、ほんの少しだけ見え始めていた。
「次は、もう少し準備して来ましょう」
「そうですね」
神谷はそこでひよりを見る。
「ただし」
「はい?」
「次から、どこまで近づくかは俺が決めます」
「えっ」
「えっ、じゃないですよ」
ひよりは不満そうに口を尖らせた。
巡視艇は、島から離れていく。
最初の接触で、言葉を交わすことはできなかった。
それでも――
互いの意思が、まったく通じなかったわけではなかった。




