第四十七話 ファーストコンタクト
2027年3月18日(木) 10:18
大阪湾。
島の対岸にある堤防に、2人の男女が立っていた。
神谷直人、31歳。
外務省職員。
その隣では、1人の女性が海の向こうを食い入るように見つめている。
水城ひより、26歳。
民族言語学者だった。
「……本当にある」
「そりゃあるでしょう。なかったら俺たち、何しに来たんですか」
「そういう意味じゃありません」
ひよりは島から視線を外さない。
「昨日まで、あそこには何もなかったんですよ」
「正確には一昨日まで、じゃないですか?」
「神谷さん」
「はい?」
「今そこ、重要ですか?」
「……いえ」
神谷は小さく肩をすくめた。
「しかし……」
神谷が島を眺めながら呟いた。
「なんで俺なんでしょうね」
◇
前日。
外務省。
「神谷、お前に大阪へ行ってもらう」
「大阪ですか?」
「そうだ」
「……俺、何かしました?」
「してないから行かせるんだ」
神谷は怪訝そうな顔をした。
「何しに行くんです?」
「島だ」
「……ああ」
「今日、島の海岸で人間によく似た存在が確認された」
「初耳ですが」
「公表前だ」
「それ、俺に言っていいんですか?」
「だから呼んだんだ」
神谷は一瞬黙った。
どうやら、ずいぶん面倒な話に巻き込まれるらしい。
「政府は接触を試みる方針を決めた。お前には、その交渉を担当してもらう」
「俺が?」
「そうだ」
「いや……」
神谷は少し考えた。
「言葉、通じます?」
「分からん」
「どこの国かも?」
「分からん」
「何を考えてるかも?」
「分からん」
「それ、交渉って言うんですか?」
「だからお前なんだ」
神谷が黙った。
「決まった手順のある交渉なら、お前である必要はない」
「褒められてるんですかね、それ」
「これまで数々の交渉をまとめてきたお前なら、今回も何とかするんじゃないかと思っている」
上司は神谷を見る。
「今回は、相手が何を求めているのかすら分からん。場合によっては、言葉そのものが通じない」
「……」
「だから、お前に行ってもらう」
神谷はしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「分かりました」
◇
同じ頃。
政府から協力を求められた民族言語学の教授は、担当者の説明を聞き終えると、しばらく考え込んでいた。
「接触する人員は最小限にします。先生には、民族言語学の専門家として同行をお願いしたいと考えています」
「……私ではなく、ひよりを連れていってください」
「ひより?」
「私の娘です。同じく民族言語学を専門にしています」
「長年、私の研究を補佐しながら、少数言語の現地調査にも携わっています」
「おいくつですか?」
「26です」
「26歳……」
「……どういった方ですか?」
「人と打ち解けるのが早く、未知のものを前にしても物怖じしません。少々、好奇心が強すぎるところはありますが」
担当者の表情が曇る。
「今回の任務を理解されていますか?」
「もちろんです」
「未知の存在との最初の接触になる可能性があります。何が起きるか分かりません」
「承知しています」
「でしたら、なぜ娘さんを?」
「だからこそです」
教授は迷わず答えた。
「知識なら、私の方が上でしょう。しかし、今回必要なのは知識の量ではありません」
「では、何が?」
「知らないものを、そのまま見て分析する能力です」
教授は続けた。
「私より適任です」
教授はそこで一度言葉を切った。
「それに、今回の話をあの子が聞けば、自分が行くと言ってきかないでしょう」
「……分かりました、経歴を確認した上で、至急検討します」
◇
2027年3月18日(木) 10:24
再び、島を望む堤防。
神谷とひよりは、並んで海の向こうに浮かぶ島を見つめていた。
「水城さん」
「はい?」
「絶対、勝手なことしないでくださいね」
ひよりがようやく島から目を離した。
「しませんよ」
「……」
「何ですか?」
「いや。なんとなく言っておいた方がいい気がして」
「失礼ですね」
ひよりはそう言うと、再び島へ顔を向けた。
その目は、先ほどよりも輝いていた。
その時、背後から声がかかった。
「出航準備、整いました」
2人が振り返る。
「今回は直接接触せず、一定の距離を保つことを条件に、医療班からも防護服は不要との判断が出ています」
「ただ、本当に着用しなくて大丈夫ですか?」
「初対面の相手に防護服で行くのは失礼でしょう」
神谷が答える。
「そんな邪魔なものいりません!」
ひよりが即答する。
岸壁には、今回の接触に使用する海上保安庁の巡視艇が待っていた。
神谷はもう一度、島を見る。
「それじゃ、行きましょうか」
「はい!」
ひよりの返事だけが、妙に弾んでいた。
「……遠足じゃないんですからね」
「分かってます」
本当に分かっているのだろうか。
神谷はそう思いながら、巡視艇へ向かった。
◇
2027年3月18日(木) 10:51
巡視艇が、ゆっくりと島へ近づいていく。
後方には、万一に備えて海上保安庁の巡視船が距離を置いて待機していた。
巡視艇に乗務する海上保安官も、相手を刺激しないよう、武器は見えないようにしていた。
「島まで、およそ100mです」
「一度、ここで止めましょう」
「了解」
巡視艇の速度が落ちる。
海岸に人影はない。
その先には木々が生い茂り、森が広がっている。
神谷は拡声器を手に取った。
『こんにちは! 誰かいませんか!』
声が海岸へ響く。
反応はない。
『私たちは、あなた方と話をするために来ました!』
しばらく待つ。
神谷は英語でも呼びかけた。
続いて、準備していたいくつかの言語を試す。
それでも森から反応はなかった。
「……駄目ですかね」
神谷が拡声器を下ろしかけた、その時だった。
「神谷さん」
ひよりが森を見つめている。
「今、木が動きました」
神谷が視線を向ける。
海岸線の木々が、微かに揺れた。
やがて、その間から1人の女性が姿を現した。
「……昨日の女性ですね」
「はい」
女性は森を抜け、海岸へ出てくる。
神谷たちを見ていた。
「50mまで近づきましょう。ゆっくりお願いします」
「了解」
巡視艇が再び動き出す。
100m。
80m。
60m。
女性はその場を動かなかった。
「50mです」
「ここで止めてください」
巡視艇が停止する。
神谷は改めて、目の前に立つ女性を見た。
昨日、官邸で見せられた映像よりも若く見える。
20歳前後だろうか。
肩まで伸びた髪。
見慣れない衣服。
腰には、昨日の映像と同じ刀がある。
「こんにちは!」
神谷が声を張った。
女性は神谷を見つめ、何かを言った。
「――――」
聞いたことのない言葉だった。
「水城さん、あの言葉分かりますか?」
「いえ、初めて聞きます」
神谷は再び女性を見る。
「私たちは、あなたと話をするために来ました」
「――――?」
やはり通じてはいない。
それでも女性は神谷の顔を見つめ、わずかに首を傾げる。
神谷が自分を指差すと、女性の視線もその指先を追った。
今度は島を指差してみる。
女性は振り返り、森を見る。
「……言葉は分かってないみたいですね」
「でも、こっちが何を伝えようとしてるのか、理解しようとしてます」
ひよりは女性の一挙一動を見つめていた。
話しかければ、何かを返す。
分からなければ首を傾げ、時折、困ったような表情を浮かべる。
昨日の映像から受けた印象とは違い、意外なほど表情は豊かだった。
神谷は英語でも話しかけてみた。
やはり通じない。
言葉の通じないやり取りが、しばらく続いた。
「神谷さん」
「はい?」
「もう少し近づきましょうよ」
神谷は女性を見る。
こちらを強く警戒している様子はない。
「……寄ってみるか」
乗務員へ合図する。
巡視艇が、ゆっくりと前へ進み始めた。
女性が何かを言う。
「――――」
表情は変わらない。
50m。
45m。
40m。
「――――! ――――!」
女性の声が少し大きくなった。
先ほどより早口で、何かを訴えかけている。
それでも、その表情はまだ柔らかい。
神谷が眉を寄せた。
「水城さん、よくない感じに見えますが大丈夫ですか?」
「大丈夫、だと思います。もう少しだけ寄りましょう」
「本当に?」
「もう少しだけ」
巡視艇はさらに近づいていく。
35m。
女性が何かを言っている。
30m。
その瞬間――
女性の手が、腰の刀へ伸びた。
そしてその表情から、柔らかさも消えた。




